泣く

※この記事は名前を忘れた酒を飲んで書かれた。

自分でも整理しきれない理由でひどく泣いた。

ヒトの体は生きにくいな。早く卒業したい。

ただ生きて生殖すること以外に生命の本質などありはしないのに、人間は単なる栄養補給以上に美味い飯を作り、単なる体温維持以上に華美な服を作る。絵を描き、歌を歌い、ニコニコ動画にBB先輩劇場を投稿する。

心理学は人間の情報処理に迫る学問だ。進化はシビアなので大抵の人間の機能には生存か生殖に有利なものだ。しかしなぜか人間はニコニコ動画に排泄音と喘ぎ声をリズミカルに配置した動画を投稿してしまう。この奇妙なミッシングリンクは興味深い。

チャイムの故障/風呂掃除で腰痛

※この記事は『ほろよい ゆずみつサワー』を飲んで書かれた。

↑美味い。

昨夜から大規模な掃除をした。1年以上まともに掃除をしておらず、1年前にこぼした米がまた床に散らばっていた。

ゴミ袋を買ってきて大胆に放り込んでいった結果、45リットルの袋が満杯になった。特に意識しなくともモノがどんどん増えていってしまうのは消費社会の病だと思う。モノを増やすことはコストであり避けるべきことだという意識を持ちたい。

17時過ぎに引越し用の梱包資材が届く予定だったのだが、チャイムが鳴らないまま不在票が入れられていた。一瞬腹が立ったが、思い直してチャイムを確認したところ、なんと故障していた。電池を替えてもダメだった(電池のサイズを間違えて1000円無駄にした)。よりにもよって引越しを控えたこの時期に人が訪ねてきてもそれに気づくことができないとは。僕の手には負えないので明日大家に修理の相談をする。大家は工作スキルがあるのでその場で直すかもしれない。ダメならチャイムに「故障中 叫んで」とでも書いておこう。

掃除の勢いに乗って本格的な風呂掃除もした。風呂という狭い空間で身をかがめて、窮屈な姿勢を取りながら壁面を磨くのは想像以上の負担でいまでも腰が痛い。激落ちくんが非常に強力なのだがあれは要は研磨であって、賃貸の浴槽で使ってよいか疑問がある。僕は重曹とクエン酸でやった。重曹は万能で、油汚れも重曹に吸わせたあと擦ると落ちる。

修論とその発表が終わり、いよいよ引越しに向けて動き出している。見ないふりをしてきた生活することの難しさを痛感している。

感情の麻酔としての酒

※この記事は『キリン 一番搾り』『ほろよい』のなんかゆずのやつを飲んで書かれた。

僕は不安がりだ。あらゆる締め切りにひどく不安になる。そんなときに効くのが酒だ。酒は感情を鈍らせ、不安が緩和される。能力を低下させる酒を飲むという行為自体が、不安の原因を恐れていないと自分に言い聞かせることにもなる。単純に自分を傷めつけるのが楽しいというのもある。

良くない習慣だ。なんでもかんでも不安になる脳の方が良くない。カス。人生終了。もしメンタルが強靭だったら研究でこんなに苦しんでないよ。最初の興味のあったテーマで貫徹していたはずだ。多分。Dの先輩のやってることを聞くと面白そうだし俺がM1の頃に検討していたテーマに近くて「どうしてそれをやっているのが俺じゃないんだ」という気になる。気合が足りなかった。

8時間後に修論発表だ。研究無理無理って思って諦めようとしたのに周囲の人に止められて続けて今に至るので、今更修論不合格になろうとなんとも思わない。僕に言わせれば順当な結果だ。あんな研究。アルコールを切らすな(カメラを止めるなではない)。

麻雀チョットデキル

※この記事は『麦とホップ』とあとなんか名前を知らない強い酒を飲んで書かれた。

人数合わせで参加するくらいはできる。役は全ては把握していないし点数計算はできない。臨時で代役が必要なときくらいは呼んでくれてもいい。

見えている情報から点数期待値を最大化する行動を選択することはおそらく可能なのだろうが、そのための計算量が膨大で初心者には難しいゲームだと思う。運要素があるゲームなので正しい行動をしても勝てるとは限らないし、そのせいで正しい行動の習得も遅れる。

一方で4人で長時間卓を囲む知的ゲームという点ではコミュニケーションツールとして優れている。ゲームを通して普段は知らないその人の一面を知るのは楽しい。ただし途中で抜けられないのは辛い。

「夜型人間」は実在する?

※この記事は『クリアアサヒ』を飲みながら書かれた。

生活時間の制約が少ないと僕は夜型になる。今も6時就寝12時起床のリズムだ。なにか不都合が出るなら困るが、今は特に困っていないので積極的に直す気はない。金曜日が修論の発表で、それに向けて細かく質問されそうな辺りの論文を読むために大学に泊まり込んでいる。なにかを集中的にやりたい時には夕方に大学に来て夜通し研究室で作業するのが習慣になってしまった。

よく「夜型人間」という言葉が出る。いわく、人類の何割かは生まれつき「夜型人間」である、それは夜中に見張りを立てた名残である、彼らに朝の出勤を強いるのは非生産的である、などなど。僕はあまりこれを信用していない。軽く調べても信頼できる専門家がこういうことを言っているのは見たことがないし、なによりこれはいかにもネットで流行りそうな構造の言説だからだ。「あなたの社会不適合は生まれつきだ。進化論的なお墨付きもある。あなたに合わせない社会は実は損をしているんだ。バカだねえ」と。

無論これが事実である場合もあるだろうが、多様性を認める風潮(それ自体は歓迎すべきことだ)に乗じて科学的根拠のない情報が広がるのは望ましくない。「夜型人間」が事実かどうか知っている人がいたら教えてください。

そもそも4月からは会社員(予定)なので、自由の効きやすい会社ではあるが、それでも夜型とか言ってる場合ではない。一人自宅にこもって他人の3倍の効率を出せる天才ならいざ知らず、僕のような普通の人間は社会性の動物としてチームと緊密に情報交換をしながら作業をするべきで、そうなるとやはり時空間を共有しながら作業するのが効率的だ。人間はそういうふうにできている。

厳罰化を望む人々/明日は茶番の卒論発表会

※この記事は『STRONG ハードレモン』を飲みながら書かれた。

↑不味い。非常に不味い。そのくせアルコールは強い。最悪だ。

自分が犯罪被害にあったわけでもないのに「厳罰に処せ」「厳罰化しろ」などと主張する人間がネット民には大変多いが、理解できない。自分と関係ない人間が厳罰に処されることで何の利益がある?おそらく社会心理学の視点から説明可能なのだろうが。何でもかんでも厳罰化を主張する人間は自分が罰される側になることは決してないと思っているのだろうか。それは思い上がりだ。国家はいつあなたに牙を剥くかわからないし、その気になればあなたを(そして私を)殺すことくらい簡単にできる。

僕は警察を信用していない。法律を理解しているかも怪しい人間が拳銃を持って歩いているのが怖い。ろくにものを知らないままで人を逮捕するし、取り調べも不透明だ。でも泥棒に入られたら警察呼ぶんでそのときはよろしく。税金から給料もらってるんだからちゃんと働けよな。

そんな警察に個人情報を漏らしている企業があるらしい。よってTカードは解約し、CCCには個人情報の削除を要求する。書類を郵送しないと受け付けてくれないとのことで、手続きのハードルを上げることでその手続きをさせまいとする姿勢はまさしくカスだと思うが(ビジネスとしては正しい)、時間があるうちにやる。悪を許すな。

明日は10時から18時まで学部生の卒論発表会を聞く。大学院生は積極的に質問することが期待されているようだが、正直言って興味はないし憂鬱だ。本気で卒論生を潰して良くてそれで金がもらえるなら少しはやる気も出るが…。現状では卒論生を落とすことで誰にも利益が発生しない。それは卒業生の質保証を誰も信用していないからだ。もし生半可な成果では卒業できないことが保証されている学科があれば企業はその卒業証書を信用して採用するだろうが、そんな企業はほとんどない。大学の卒業証書なんかに価値はなくて、だから企業独自に採用プロセスを設けている。僕だって卒業が確定してないのに内定出てるし。

心理学にもそういうところはある。伝統的な研究法が再現性のない研究を量産しているにもかかわらず、心理学の作法に則ることが重視され、実質的に人類にとって価値のある科学的貢献をしているかどうかは気にされない。心理学のことも研究のこともわからないまま修士だけ取って(予定)就職する(予定)人間の戯言だから忘れてくれ。

卒論なんてものは時間が限られている以上まともな成果は出ない。卒論発表会の質疑応答というのはそれをわかった上でやりすぎないようにプロレスをするもので、下らない。成果が出るとすればそれはラボがガチガチにサポートしたテーマに限るし、そんなものは今更聞いても面白くない。卒論ならではの遊び心のあるテーマの発表が多く聞けたら嬉しい。

僕は研究をする人間ではなかった。せいぜい新書か教科書を読んで面白い知識を身に着けて自己満足に浸るのが関の山だ。研究は大変だ。世界中の研究者が好き勝手な切り口で行った実験を読んで理解するのも大変だし、参加者を集めてくるのも大変だし、ろくな結果が出なくても修論は書かなければならないのも大変だ。金ももらえないし。

今日もまとまりのない日記になった。生き方に締りがないからこういうことになる。酒が不味い。

お茶の本質は色か?

※この記事は『ほろよい はちみつレモン』を飲んで書かれた。

↑うまい。

食堂の給茶機はたまに透明な湯を出す。今日もそうで腹立たしく思いながら食事をした。食後のルーティンとしてお茶を飲みながらツイッターを見ていたが、気づくと茶が透明であることを忘れていた。透明でもそれなりに味はついていて、わざわざカップを覗き込まない限りは気づかない。

味覚・嗅覚の研究は難しいので少ないが、ジュースの味は実は味よりも色で区別しているという研究がある。日本人ならかき氷のシロップの例でおなじみだろう。

うーん、今日もやはり筆(キーボード)が進まない。文章がまとまらない。

あるようなないような/モニターアームは野蛮だ

※この記事は『極搾り りんご』を飲んで書かれた。

やることがあるようなないような中途半端なときは苦手だ。やることがあるようなないような中途半端なときというのは、期限はまだ先だが自分で「早めに終わらせよう」と決めたタスクが存在する状況を言う。

タスク管理に限らず、僕は人生が苦手だ。お布団だけが僕の味方だ。

液タブの出し入れが面倒なのでモニターアームを使うことを検討しているが、液タブに求められる安定性をモニターアームで実現できるのか未知数だ。先例も少ない。そもそもモニターアームという道具が好きではない。机の端に力任せに噛ませたアームで重いモニターを保持しようという発想はあまりに野蛮だ。どうせアームが必要だとわかっているのならアームと一体化したデスクというのはないものだろうか。

酒の頻度を落としたら酔いが楽しすぎる

※この記事は『麦とホップ』を飲みながら書かれた。

友人に「毎日少しずつ飲むのもアル中になる」と言われてから飲酒の頻度を落としているのだが、そうするとたまに飲んだ日の酔いが強烈に感じる。

全然関係ないけどタイトル長いとまとめサイトみたいで嫌だな。いや問題は「〜すぎる」という言葉の使い方か?

まとめサイトを検索結果から除外するために僕が使っているのはμBlacklistだ。類似の拡張は色々あってどれも十分効果的なんだが、μBlacklistは何件ブロックされているか表示される。

妄想をデカい声で語る連中

※この記事は『のどごし生』を飲んで書かれた。

社会学とか現代思想、評論家みたいな肩書の人間は警戒している。自分が見聞きした現象はものすごい大きな現象の表層であるというような妄想を逞しくしている、単なるフィクション作家だ。風車と相撲でもしてろ。

物事はそう簡単には明らかにならないにもかかわらず「わかりやすく」「おもしろい」ストーリーをでっち上げることであたかも自分が最もよく世界を理解しているかのように吹聴している人間を許すな。それこそが知への冒涜にほかならない。

人間は特に自分の心のことは自分でよくわかると錯覚しがちだが、心理学は実証的な研究を100年間積み重ねてそう単純ではないと主張してきた。きちんと調べてみないとわからない物事を感覚であっさりと言い切る人間を僕は信用しない。