退職者と継承

記憶が正しければkwappaさんは僕が最初に会ったドワンゴのエンジニアだ。インターンの面接だったので2017年6月頃だったか。ベテランで年上で上司であることを忘れてしまうような話しやすい雰囲気の方で、それはそうである必要性を認識して努力されていたのだと思う。僕にとってのドワンゴのエンジニアの気質の体現者だ。

おそらく僕は認知されていないが、僕はkinoppydさんを認知している。なぜならSlackで存在感を放ちイベントを主催していたからだ。詳しくは言えないが社員同士がお互いの仕事を理解し仲良くなれる(?)ようなイベントを開いてくださった。それは入社して5ヶ月になる僕が持ち始めた問題意識と重なる。

kwappaさんやkinoppydさんが退職し技術コミュニケーション室がなくなっても、当たり前のように彼らの作った良い文化が継承され育っていくことが望ましいし、僕もその一助になりたい。

ゆく人くる人

※この記事はビールを2本飲んで書かれた。

という気分になっているのだなあ。

mesoさんには2017年のインターンのときに初めてお会いした。中間発表会に遅れてきたとき、席は用意してあったのに入り口の近くの床に座っていた。当時人事部長という立場にありながら偉ぶらず人を緊張させない振る舞いとしてとても印象に残った。フランクな人柄と組織の中核としての毅然とした態度の両方を尊敬している。

kmizuさんは新卒Scala研修の講師だった。Scalaのことなら何でも知っている。言語の第一人者から教わることで、細かな仕様にも妥当性や事情があることがわかった。動けばいいやのアマチュアではなく、隅々まで理解し尽くしたプロとしての仕事を求められることを実感した。

お二人とも新天地でのご活躍を祈っています。

くる人は誰かって?それは僕です。

社内LT/『きみと、波にのれたら』

※最近は酒を飲んでいない。

昨夜は退勤後に映画を見に行く約束があったのだが、少し時間があったので社内で開催されていたLT会を聞きに行った。LTはライトニングトークの略で、短時間のプレゼンテーションのことだ。ドワンゴでは毎週エンジニアLTがあり、仕事と関係あったりなかったりする情報が交換されている。情報共有が仕事のアウトプットにも繋がってくるということが最近わかってきた。

昨日行ったLTはエンジニアLTではない違うテーマのLTで面白かった。自分と違う部署や職種の情報は意識的に取り入れていきたい。

その後上野で『きみと、波にのれたら』を見た。まあまあ楽しい映画だったが見た後に語りたくなるほどの内容はなかった。

それでも湯浅政明は偉大なアニメ監督だ。なにが素晴らしいって仕事が早い。

  • 『ピンポン THE ANIMATION』(2014年4月)
  • 『夜は短し歩けよ乙女』(2017年4月)
  • 『夜明け告げるルーのうた』(2017年5月)
  • 『DEVILMAN crybaby』(2018年1月)
  • 『きみと、波にのれたら』(2019年6月)
  • 『映像研には手を出すな!』(不明)
  • 犬王』(2021年)

この制作ペースは異常だ。劇場長編を主戦場とするアニメ監督を挙げると、細田守も新海誠も最近は3年間隔で、原恵一はもっと遅い(コナンとかクレしんとかはノーカン)。

具体的な要因を考えてみると、Flashの大胆な採用による作業効率化や副官チェ・ウニョンの存在が挙げられるだろうか。

一生で一本歴史に名を残す名作を作るのもいいが、早さも大事で、しかもそう簡単に身につくものではない会社員になってからは特にそう思う。

Kyashを止められて復活した/cilliaとしらスタ

Kyashを止められて復活した

昨夜Kyashで映画のチケットを取ろうとしたら僕のKyashが凍結されていた。調べてみるとよくあることらしい。違反行為に心当たりなどない旨を届け出たところ、今日には凍結が解除された。あっさり止めて、チェックしたらすぐ戻すというのはいかにも今風のスタンスだと思った。

Kyashはスマホアプリであり、支払いサービスだ。クレジットカードやコンビニ支払いなどでKyashにお金をチャージする。各ユーザーにはVISAの番号が付与されていて、チャージした範囲内でデビットカードのように支払いを行える。クレジットカードによる自動チャージを登録しておけばチャージを気にする必要はない。現金じゃないのに「キャッシュ」なのでとても迷惑なネーミングだ。

そんなことをして何のメリットがあるのかと思うだろうが、2%という無視できない量のポイントがつく。どこでどういう仕組みで価値が発生しているのかイマイチわからないが、とにかくKyashの運営者はがっぽり儲けていて、2%ものキャッシュバックを行うことができる。

実はわからなくもない。店から手数料を取っているのだ。店はKyash支払い対応というメリットを買い、それによって集客力を高めている。

cilliaとしらスタ

cilliaというボカロ調教師がいる。ボーカロイドを人間らしく発声させるためには繊細な調整が必要であり、cilliaはそれが超うまい人だ。彼女が米津玄師の『海の幽霊』をカバーした動画がこれだ。

さらに、しらいしりょう(しらスタ)というYouTuberも紹介したい。彼はボーカルトレーナーであり、いろいろなヒット曲の歌い方を分析してわかりやすく説明する動画で支持を伸ばしている。

ボカロに歌わせるのも人に歌を教えるのも、人間が陥りがちなミスを防いで意識的に表現を組み立てていかねばならないという点では同じだ。全然違う方向から知った2人が同じようなことをしているのがなんとなく面白くて紹介した。

既存の作品をコピー・カバーするだけのものでもそこには必ず自分の色が加わるので世界の人々にはどんどんそういう遊びをやってもらってニコニコ動画に投稿してほしい。

 

伝説

※今は8日の44時だ。

サークルの伝説的な長老(学部9年目)がついに卒業論文を提出したとのことで、ゼミの準備もそこそこに祝いの席に参加した。当日の呼びかけにもかかわらず下は2年生から上は社会人まで多くの人が集まった。

人生というのは人の和さえあればどうにかなるもの。彼のこれからに幸多からんことを。

妄想をデカい声で語る連中

※この記事は『のどごし生』を飲んで書かれた。

社会学とか現代思想、評論家みたいな肩書の人間は警戒している。自分が見聞きした現象はものすごい大きな現象の表層であるというような妄想を逞しくしている、単なるフィクション作家だ。風車と相撲でもしてろ。

物事はそう簡単には明らかにならないにもかかわらず「わかりやすく」「おもしろい」ストーリーをでっち上げることであたかも自分が最もよく世界を理解しているかのように吹聴している人間を許すな。それこそが知への冒涜にほかならない。

人間は特に自分の心のことは自分でよくわかると錯覚しがちだが、心理学は実証的な研究を100年間積み重ねてそう単純ではないと主張してきた。きちんと調べてみないとわからない物事を感覚であっさりと言い切る人間を僕は信用しない。

ひろゆき唐澤問答に一言申したかった

今は1日の47時だ。

ひろゆき氏と唐澤貴洋氏の論戦?の動画を見たんだけど、全体見直して論点を整理する余裕がないので大雑把な感想だけ。ちなみに僕はひろゆき氏は嫌いだし、アジテーターとテレビ対談して勝ったように見せることができなくてもそれは唐澤氏の弁護士としての能力を疑う理由にはならないと思う。

ひろゆき氏は唐澤氏に対して「ネットを専門とする弁護士は多くいるのになぜあなたがここまで狙われるのかわからない」と述べ、暗に「お前に原因あるだろ」と主張している。

その後ひろゆき氏は「2ch(5ch?)の取締を強化してもみんなツイッターとかフェイスブックで同じことをやるから意味がない」とも述べ、場ではなく人が原因であると主張するとともに、そういう人を訴えて排除するほうが効果があると主張した。

ひろゆき氏は一貫して2chの管理者としての責任に触れなかった。自分の弱点だから触れないのは当然だろうが、私は彼自身の話法を用いてこう問い返したくなった。

「ネットの言論空間は多くあるのになぜ2chで犯罪行為が起きるのかわからない」

ツイッターやフェイスブックが自分のサービスで犯罪行為を行わせないためにしている努力に比べれば2chの努力などないも同然だろう。場ではなく人が悪いといいたいのなら、ツイッターやフェイスブックと同等の努力をしてからにすべきだ。

レスバトルで負けない話法とか学んでも本当に何も生み出さないんでしょうもない。「はい論破」という言葉は大嫌いだ。

kawango2525氏のインターネット観

利他行動は社会心理学の重要なトピックだが(専門ではない)、包括適応度という概念が重要らしい。素朴に自分の遺伝子を残すことだけを考えると利他行動は全く無意味で、利他行動を取るような個体は裏切られ続けて子孫を残さず死ぬので、利他行動は次世代に継承されない。しかし自分自身の遺伝子ではなくても、自分と遺伝子を多く共有するような他個体を援助する行動は、結果的にそのような行動を引き起こす遺伝子が次世代に継承される確率を高める。だから利他行動は存在するのだという。この手の話は『複雑さに挑む社会心理学 改訂版--適応エージェントとしての人間 』に詳しい。

上記のツイートはプラグマティックで科学的な考え方だが、kawango2525氏は以下のように続けている。

こういう思考の飛躍は好きだ。kawango2525氏の政治的なスタンスには賛成できないものもあるが、彼のインターネットの使い方はクールだと思う。科学的でしっかりした話をしたかと思えば、次は哲学的な含みのある話をする。そこには隙がある。後者のツイートには「科学的根拠はあるんですか?」というクソリプがついてもおかしくない。しかし彼は恐れない。

インターネットの発言は文字ベースで曖昧さがなく、しかもログが永久に残る。誰が読むかもわからない。いつ誰からどんな理由で攻撃されるかわからないので、自然とディフェンシブな投稿をしてしまう。あるいは、匿名を選んで攻撃する側にまわる。インターネットってそういう場所でいいんだろうか。

インターネットは人類を試している。