20251111 失敗の連鎖

ポッキーを食べそこねた(プリッツは論外である)。電池も買わなかった。

夕食を外食することにしたのだが、食べたいものが思いつかなかった。21時をすぎるとチェーン店は夜間割増が付く店が多いので行けず…駅前のエスカレーターが工事中でエレベーターで降りようとしたら扉に挟まれた。行きつけのあんまり美味しくない中華料理屋で麻婆丼を食べた。麻婆丼は、「鈍」料理である。丼料理というのは米の弾力・粘りと具材の味わい・汁気の絶妙なバランスによって、具も美味しい、米も美味しいという共存共栄を果たすところに美点がある。しかしながら麻婆丼にはそのようなよさがない。ただ米の上に麻婆豆腐を盛り、一緒に食べているだけだ。ねこまんまと同じだ。豆腐+片栗粉を米と一緒に食うことに何のシナジーがあるのか。そして麻婆豆腐はトロトロがその本体であるがゆえに、どうしても丼料理のアンチパターンであるところの汁気過剰に陥る。いっそのこと麻婆粥を名乗ってくれた方がまだ納得感がある。

気難しい独身おじさんのよくなさ、なんだよな。大変申し訳ない。

ブログを書こうと思ったらwordpressにアクセスできなかった。はてさて、原因はなんだろう。リバースプロキシは正常に動いていて、アップストリームがエラーを返している。そしてコンテナのログを見るとDBアクセスが失敗している。同じサーバーで動いている複数のサービスで同じ状態だ。ということは問題は各サービスではなくインフラレイヤーにある。ふと思いついてdfしてみると、果たして100%であった。さらにdu -hで調べてみると/var/lib/docker/overlay2がバカでかい。なるほどな。過去のdocker imageが大量に溜まっていてストレージを圧迫していたのでたくさん消した。

人生がかなりおしまいに近づいている。眠れないし、気持ちが落ち込むし、ジムに行く気も起きない。孤独で、することもない。楽しくなる方法がわからない。仕事も達成感がある部分は全部AIに持っていかれて、めんどいしんどい気を遣う部分だけが残されている。それも仕事の一部であることは認めるが、そこだけ残されるのは話が違う。

20251106 餃子の王将『ラーサイメン』

度重なる値上げにより外食の時代の終わりを感じさせてくれる王将。しかし今日は王将の近くに用事があったので行った。行くとなれば期間限定メニューを頼みたくなるのが俺。いや、無難に餃子が美味いことは知っているんだが、もう無難に美味いものを提供するのでは許されない価格帯になってるんだよ。そういうわけで期間限定のラーサイメンを頼んでみたのだが、まあ食べる価値はなかった。なんだろう、まず異様に食べにくいのが気になったな。おそらく箸の種類・麺の質・麺の太さ・麺と他の具の大きさの関係だと思うのだが、まったく箸で麺を掴むことができない。味も中途半端に酸味系に寄せた担々麺という感じで、さりとてさっぱり感があるわけでもなく、何を主張しているのかよくわからなかった。

ツイッターのアカウントが凍結された。まあもう信頼も何もないサービスだったのでツイッターに預けてある情報はほぼエクスポート済みで、最近はブログ更新告知しかツイートしてなかったのでアカウントを作り直す気もない。ツイッターでしかつながっていなかった、特にやりとりはしないけど生存は確認している人のつながりもpreciousではあったのだが、ツイッターがそういう基盤的なあり方を捨てたいという意思もずっと感じていたので、さようならだ。エヴァ最終回だよ。

足元暖房が最近ホットの話題だ。電気代が高い。エアコンは部屋全体を暖めるが、冷静に考えて僕は90%の時間をデスクに座って過ごしているので、デスク周辺だけピンポイントで暖めればよくない?という発想である。頭寒足熱の原則に従い、足元をパネルヒーターで暖める計画を最初は立てた。しかし近所の電気屋で電気カーペットで足裏だけ暖めるプランもあるなと思い直し、安かろう悪かろうの電気カーペットを買ってきた。結論としてこのプランは失敗で、足裏だけ暖まってもあまり嬉しくない。ちゃんとしたパネルヒーターを買うつもりだ。

生活リズムは、いまだに良くはない。入眠も遅いしジムに行くのも遅い。仕事も多い。ただ、よい生活を嬉しいと感じる感情は少し戻ってきたように思う。マインクラフトは消した(一旦クリエだけと思って戻したのだが、クリエの才能のなさに直面して引退の決意が固まった)。

生活が破綻している(n年ぶりm回目)

生活が破綻している。夜眠れない。眠ろうという意思が起きない。どちらかと言えば眠りたくない。眠らずにしたいことがあるかと言われると、まあなくもないが、面倒なのでしない。つまり謎に意味なく起きている。

睡眠薬はこの状況で意味がない。睡眠薬を飲んだとて倒れるように眠れるわけではなく、結局布団に入っていなければ眠れない。眠りたくないので布団には入らない。だから眠れない。眠れるはずがない。

生活には明らかに影響が出ている。部屋は汚いし勉強会も出ていない。ジムも行ってない。かろうじて働いている。以前日記を書いていた頃は規則正しい生活に価値を認めていた。そう生活することが嬉しかったのでそうしていた。今は別に嬉しくない。そうしたいと思わない。なぜそうしていたのかわからない。改善の意思がない。面倒が勝る。ので改善しない。

こういう思考に行き着いていること自体が異常であり改善が必要であることは明白なのだが、改善しようという意思と活力が湧いてこない状態を改善することは、論理的に不可能だ。思えばこうしてずるずる夜中にずれこんでいく生活は大学院時代もそうだった。人生で一番嫌な時期だ。

困ったなあ。なんとかなってほしい。助かりたい。

20251006 ホームパイ


ようやくマイクラの世界から規則正しい生活に復帰しつつある。マイクラは5回くらい引退しました。

メンタルもかなり終わってたけどホームパイ1袋どか食いして復活しました。

苦しみながらマインクラフトをしている

最近、友人たちと一緒にマインクラフトをやっている。以前も少しやっていたことがあるが、このゲームは悪魔的に面白い。

最初マインクラフトの世界に降り立ったとき、僕たちを出迎えるのは美しい自然だ。ローポリではあるが、一貫性のあるアルゴリズムによって生成され、インタラクション可能でどこまでも広がるこの世界は、無限の可能性、ときめきを与えてくれる。僕はいつまでもその美しさを感じていたいと思い、自然と調和した生活、最小の介入での生活を試みる。

しかし次第に心は変わり始める。たまたま見つけた鉄で作った斧の切れ味を知ってしまったら、もう木の斧には戻れない。様々な先進的な道具が鉄で作れるとわかり、僕たちの中の暴力的なフロンティア精神が目を覚ます。鉄や希少鉱物を求めて岩盤に届くまで地面を掘り続ける。山を丸裸にする。そこには自然との調和という思いはもうない。

重要な位置づけの自動化装置としてゴーレムトラップがある。非常に用途が多い鉄を無限生産するただ一つの手段だ。アイアンゴーレムはNPCが敵対NPCに襲われたときに召喚する守護者で、死亡時に鉄を落とす。この性質を利用し、敵対するNPCたちを同じ部屋に閉じ込めて継続的にアイアンゴーレムを生み出させ、それを水流で捕えてマグマで焼き殺して鉄を得るのがアイアンゴーレムトラップだ。

ゲームの表現にとやかく言うつもりはないが(言います)、世界の原住民の感情を支配し、恐怖から生み出される自衛のためのゴーレムをシステマチックに殺して資源を手に入れる仕組みは、どの程度意識して作っていたのかわからないが、現実の搾取のあり方にも通じるものがありグロテスクだ。ゲームの世界だとわかっていても、生み出されて直後に焼き殺されるゴーレムがプレイヤー(僕)を見つめてくる感情のない目を見ていると、間違ったことをしているという気持ちになる。

僕はこのゲームを心底楽しんでいる。すごいゲームだと思う。何もやれと言われないのにやりたいことがなくならないゲームというのはそうそう作れるものじゃない。そしてまた、このゲームが教育にも役立つというのも間違いない。高度な自動化装置をYouTubeの解説動画やwikiで仕様を見ながら自分の手で組み立てていくことで技術の楽しさに目覚める子供は多いだろう(僕が『電子ブロック』でひたすら遊んでいたように)。説明を聞き、手を動かし、仕組みを理解し、さらに発展させる。これでどんどん上達していくし、抽象的な仕組みを考える力もつくだろう。

それでもなお、僕はこのゲームをプレイするのが苦しい。自分の中にある人間の欲望・向上心、それと表裏一体の調和を乱す性質に向き合うことを強制されるからだ。本当に優れたゲームは自分自身の人間性を浮き彫りにし、それと向き合わせてくれる。よくできたゲームだからこそ楽しく、そして苦しい。悪魔的というのはそういうことだ。

そしてこのゲームをプレイするまだ純粋(?)な子どもたちは、この世界に何を思うのだろう。

20250920 友人と自動車移動

友人と会う予定があり、せっかくだからとレンタカーを発動した。が、これはなかなかハードだった(開幕)。

土産を上野で買っていこうと考えたのだが、これが大きな間違い。都心部の道路が激混み。途中で諦めたのに想定の3倍以上かかってしまった。

混んでるだけじゃなく、都心の運転は難しい。まず人間が多い。単純に交通ルールを守って右左折で歩行者を持つ機会が多いだけではなく、異常な場所を歩いている人間も多く、人を殺さない難易度が高い。自転車も多い。自転車は合法的かつ危険に車道を走行するので、どうにもならない。この国の法律と道路事情では自転車は「無理」だ。諦めてくれ。道も難しい。右左折車線が複雑だし、路上駐車が多すぎて基本的に第一通行帯が死んでいる。基本死んでいる。だから左折のほうが右折より難しい。車が多いため運転技術の下限が低い。平均レベルはわからないが、俺より下手な人間がいたりするので本当に危ない。曖昧に白線を跨いで曖昧に進んだり止まったりしている。

23区内の運転は教習所以来かもしれない。23区内の運転はダメだ。別物。もうやりたくない。この経験を経て都心部の電車網がいかに偉大かよくわかった。

さて、友人の家を見せてもらい、車で移動してかつて暮らしたエリアを見たり、なんとも言えない公園を見たりして、もつ焼きを食べて解散した。もつ良かったですね。肉・油・塩・食感、全てがあり、「満ち」た。

20250915 志木ドライブ

また発作が出て、レンタカーを発動してしまった。と言っても今回は16時~20時。適当にスパジャポなる施設に行ってみたんだけど、入場待ちの行列があまりにも長く、諦めて別の場所に行くことにした。と言っても特に行きたい場所もなく、適当に志木駅に行った。

時間制駐車場に停めて、1分くらい歩いたところに良さそうな寿司屋があったので入ってみた。早めだったので客は僕だけ。並寿司とシメサバを注文(本当はバッテラが食べたいのだが、大抵無いので妥協)。寿司の良し悪しはあまりわからないが、間違いなく美味い寿司だった。不思議だよねえ。シンプルな料理に見えるけど、温度や硬さでネタの味が活きるかどうか変わってくる。いつも何も思わずに食べるかっぱ巻きですら海苔の豊かな香りがぶわっと広がって驚き。食材にもこだわっているのだろう。大将と話もしたのだが、三連休最後で…なんかいきなり出かけたくなって…川口から来ました…みたいな完全に意味不明なことしか言わなかったので意味不明な客だと思われてると思う。

帰り道は夜・雨の高難易度ステージ。ゲームの難易度上げるために視界塞ぐのはやめろってあれほど…。前回の水戸はほぼ高速道路だったが、今回は街。狭い道で通行人・自転車・バイクも多く、明らかに難易度が高かった。けれど前回以上に「必要ない情報を切る」ことが上手くできるようになっていて、速く正確な判断ができるようになっていた。

やっぱり車さえ所有していればこのノリで外出できるというのはとても夢がある。車の外出は楽しい。しかし、電車移動に比べて何が優れているのかと聞かれると、これは即答できない。難しい問題だ。まず僕は単純に運転が好きだ。機械の操作が楽しい。しかしそれを差し引くと、電車の方が優れている点は多々ある。電車は購入する必要がない。維持する必要もない。つまり安い。そして自分で運転する必要もない。つまり時間が有効活用できるし安全だ。

所要時間、これはケースバーケースだ。始点と終点が駅に近いかどうかに大きく左右される。電車は渋滞の影響を受けないが混雑は不快ではある。一方で常に車はプライベート空間で快適だ。

整理してみると、過程の快適性に大きな差がある気がする。駅まで歩く、駅で乗り換える、駅で待つ、駅から歩く。このように細かくプロセスを切らねばならない電車は快適性で劣る。車内は公共空間であり、座れる保証もなく、座れても席が狭い。スマホ見てられるというのはそうなのだが、スマホを見るのは精神に悪い。特に「他にできることもないのでとりあえずスマホ見るか」で見るコンテンツは激烈に精神に悪い。

自動車は電車よりは確実にドア・ツー・ドア移動に近い。乗っている間運転の作業は必要だが、シートは快適、空調も快適、ラジオも聞ける。切れ目がない。そして行程を自由に変更して寄り道もできる。

ああ、やはりどう生きたいのか、という魂の疑問になるんですよね。全ては。車好きだなあ。

20250909 高い肉まん


冷凍肉まん、高級なやつが半額になっていた(半額になったあと、いつも食べてるやつの1.5倍くらい)。食べたらめっちゃよかった。大きいしふっくらしてるし、肉がぽってりしている。

昼、松屋。

書くこと、無(な)!

困ったときの時事ネタ。天下一品にゴキブリが混入していたそうだが、あれは天下一品のこってりがちゃんとした不透明なラーメンだから起きたことだ。それがラーメンの精神性だ。スープが透明・麺が平行・チャーシューが赤いなどの非精神家賃ラーメンだったら混入にはすぐに気づいていただろう。

20250908 フラワーシャワー


ゴミ拾い、また雪見だいふくの刺すやつがあった。下を見て歩いていると首に水がかかって、雨!?と思ったら屋上のガーデニングの水やりだった。雅。

自分の体調なのか、季節なのか、やってるタスクなのかわからないが、久々に仕事が進んでいる感覚が得られている。

次のサラダは舞茸+ポン酢とする。

20250907 二度漬け

最近、天竜川ナコンの『現実チャンネル』に救われているっつってんの!。

昼にジムに行って、帰り道に薬局に処方箋だけ提出(受取は後日)、買い物をして帰ってきた。

しかししばらくしてジムに忘れ物をしていたのに気づいてもう一度ジムに行くことになった。それならばと、薬局で薬は受け取ったし、買い物も買い忘れがあったのでもう一度した。

夕方は神の昼寝。

最近はゴーヤがうまい。なんか新しい野菜に挑戦したい(挑戦したいとは、レンチンだけで料理したいという意味)と思ってゴーヤを買ってみた。まず、ゴーヤを切ったのは人生で初かもしれない。最初に輪切りにしちゃって、なんか中央部に変なのがあるな…と思った。そう言えば人生で食べてきたゴーヤは全部周縁部だった。調べてみるとまず縦に一刀両断して綿を除去するらしい。そうした。その後塩もみすると苦味が緩和されるらしい。そうした。レンジで4分、めんつゆと鰹節で食べてみるとかなりいい。かなりいいが、これってもうゴーヤチャンプルじゃね?

人生〜(鳴き声)