飲食店

飲食店にはいろいろな人がいる。食は人類共通の営みだ。

虚空に向かって話しかけている人も、牛丼を初めて食べるという貴婦人も、精神が不安定な大学院生もみんな等しく客だ。

3連休再び

今日は『若おかみは小学生!』を見た。

散髪をしたいんだが、近い未来で最も容姿が要求されるイベントが10月14日なのでその少し前にしたい。

大繁盛

新しい実験参加者の募集ルートを開拓したらすごい量の予約が入って大変なことになっている。ありがてえ…(藤原竜也ボイス)

演説

僕はしばしば脳内で多くの人々に向かって話す架空の状況を設定して、そこでどのような演説をしようかと空想する。そこで上手い言い回しを思いつくと感動でちょっと泣いたりする。

気持ち悪い。自分の中だけで完結した文章の生成で自分を感動させるような新しいアイデアが生まれてくるはずがない。つまり僕は言い回しそれ自体に酔っているのだ。内容のなさを言葉で糊塗するのはよくないことだ。

だが僕が言葉の使い方にこだわっているのは事実だ。少し前に「形容詞を削る」ツイートがバズったが、これはまさに僕が意識していたことだ。また、ちょっと気を抜くとすぐ文頭に「まあ」をつけてしまうのでこれもなるべく使わないようにしている(羽生善治はめっちゃ使う)。

言葉の使い方は上手いに越したことはないが、度が過ぎると「京都人の嫌味」のようになる。意味のある言葉を正確かつ簡潔に使えるようになりたい。

雑にコミュニケーションを摂取したいときにfriends.nicoを使うことにした。自分用インスタンスは勉強用・情報蓄積用として、LTLでワイワイして遊ぶインスタンスは別に必要だと考えたからだ。

i5PW2PWvaszH@friends.nico←ID変えられないんだよね、Mastodonって。

今日のUI心理学

今日は教科書からではないし具体例もどこで見かけたか忘れてしまったんだが、検索結果が2列で表示されるやつって見づらいよねって話。

そんだけ。

3連休

人はなぜ「3連休で時間あるからあれもこれもやりたいな」と思ったことを月曜日の24時から始めるのか(始めてない)(ブログ書いてる)。

「いつかやりたいな」と思ったことも死を意識するまでやらないのかもしれない。

クラシル not for me

クラシルは料理レシピ動画を掲載するwebサイトだ。youtubeでガーリィレコードチャンネルを見ていたら広告でクラシルのキムチチーズチャーハンの動画が出てきた。ちょうどお腹が空いていたタイミングだったので見てしまった。

とても美味しそうだったので作ってみようかと思ったが、レシピのページを見て断念した。調理時間25分で費用600円と書いてあるが、実際にそのコストで作れる条件は限られている。

たとえば豚ひき肉50gとあるが、50gから買えるわけがない。大抵150gとかだろう。多くの食材がそうで、料理に使う量が購入可能な最小量を下回っているので、料理をし続けて買った分を使い切らないとコストが回収できない。しかし一人暮らしの大学院生の身では大抵買った食材は余らせ傷んでしまう。

調理時間25分も嘘だ。ご飯を炊く時点で1時間はかかるだろう。さらに言えばスキレットなる調理器具も所有していない。自炊にはもっとズルが必要だ。

ガーリィレコードは吉本所属のお笑いコンビ(フェニックス・高井)だ。ガーリィレコードチャンネルはガーリィレコードの2人と雨野宮将明、秋山太郎(パンプアップ)の4人がレギュラーメンバーであり、フェニックスと秋山の住むシェアハウスで下らない遊びをしたりショートコントをしたりしている。さすがにプロの芸人だけあって話は面白いし、歌や踊り、格闘技からオタクあるあるまで持ちネタが多彩だ。

ブレイクのきっかけになったのは高井による藤原竜也のモノマネで2018年1月だが、現時点でチャンネル登録者数は16万人であり、既に一流のユーチューバーだ。

知性の境界

科学政策の文脈で研究者がよりよい環境を求めて海外に出ることを「流出」などと表現する。この言葉遣いには違和感があって、科学者の成果というのは論文にして公開されるのだから研究者がどこの国にいようと関係ないと思うのだ。言い換えれば優秀な科学者の成果は世界中どこからでも利用可能なのだから、「自国の」科学研究能力を高く保つ意味はない。むしろ他国の研究者の成果にタダ乗りしてそれを応用して儲けるのが合理的なのではないか。

無論そんなことはない。2つの反論を思いつく

第1に、日本人が日本で研究しないと誰もやらないテーマの研究が廃れる。日本に関する研究は日本で研究するのが便利だろう。

第2に、こちらの方が大事だと思うんだが、研究者によって育てられる裾野の人材が減る。研究者が一人もいない国を考えてみればいい。現在の大卒に相当する人材は留学経験者しかいなくなる。

輪廻

※この記事は『旅する氷結 HAVANA STYLE』を飲んで書かれた。

小学生のころはモノを捨てるのが悲しかった。長く使ったモノには人格を感じて、それを捨てることは身勝手で残酷なことのように感じた。環境問題がクローズアップされていた時代の影響もあっただろう。

今は違う。不要なものは手元からリリースすることが大事だと思う。たとえ捨てられ壊されてモノとしての役割を終えたとしても、それを構成する物質、極端に言えば分子や原子は回り回ってどこかでまた何かの役割につく。意味もなく手元にとどめてはいけない。