ひろゆき唐澤問答に一言申したかった

今は1日の47時だ。

ひろゆき氏と唐澤貴洋氏の論戦?の動画を見たんだけど、全体見直して論点を整理する余裕がないので大雑把な感想だけ。ちなみに僕はひろゆき氏は嫌いだし、アジテーターとテレビ対談して勝ったように見せることができなくてもそれは唐澤氏の弁護士としての能力を疑う理由にはならないと思う。

ひろゆき氏は唐澤氏に対して「ネットを専門とする弁護士は多くいるのになぜあなたがここまで狙われるのかわからない」と述べ、暗に「お前に原因あるだろ」と主張している。

その後ひろゆき氏は「2ch(5ch?)の取締を強化してもみんなツイッターとかフェイスブックで同じことをやるから意味がない」とも述べ、場ではなく人が原因であると主張するとともに、そういう人を訴えて排除するほうが効果があると主張した。

ひろゆき氏は一貫して2chの管理者としての責任に触れなかった。自分の弱点だから触れないのは当然だろうが、私は彼自身の話法を用いてこう問い返したくなった。

「ネットの言論空間は多くあるのになぜ2chで犯罪行為が起きるのかわからない」

ツイッターやフェイスブックが自分のサービスで犯罪行為を行わせないためにしている努力に比べれば2chの努力などないも同然だろう。場ではなく人が悪いといいたいのなら、ツイッターやフェイスブックと同等の努力をしてからにすべきだ。

レスバトルで負けない話法とか学んでも本当に何も生み出さないんでしょうもない。「はい論破」という言葉は大嫌いだ。

kawango2525氏のインターネット観

利他行動は社会心理学の重要なトピックだが(専門ではない)、包括適応度という概念が重要らしい。素朴に自分の遺伝子を残すことだけを考えると利他行動は全く無意味で、利他行動を取るような個体は裏切られ続けて子孫を残さず死ぬので、利他行動は次世代に継承されない。しかし自分自身の遺伝子ではなくても、自分と遺伝子を多く共有するような他個体を援助する行動は、結果的にそのような行動を引き起こす遺伝子が次世代に継承される確率を高める。だから利他行動は存在するのだという。この手の話は『複雑さに挑む社会心理学 改訂版–適応エージェントとしての人間 』に詳しい。

上記のツイートはプラグマティックで科学的な考え方だが、kawango2525氏は以下のように続けている。

こういう思考の飛躍は好きだ。kawango2525氏の政治的なスタンスには賛成できないものもあるが、彼のインターネットの使い方はクールだと思う。科学的でしっかりした話をしたかと思えば、次は哲学的な含みのある話をする。そこには隙がある。後者のツイートには「科学的根拠はあるんですか?」というクソリプがついてもおかしくない。しかし彼は恐れない。

インターネットの発言は文字ベースで曖昧さがなく、しかもログが永久に残る。誰が読むかもわからない。いつ誰からどんな理由で攻撃されるかわからないので、自然とディフェンシブな投稿をしてしまう。あるいは、匿名を選んで攻撃する側にまわる。インターネットってそういう場所でいいんだろうか。

インターネットは人類を試している。