コロナは終わる?/雑感/駒場山手閉店/部屋の掃除をした/仕事がはかどらない/フライパン復活

コロナは終わる?

緊急事態宣言が解除される(もうされた?)。率直に言って僕はもう貧相な自炊生活には飽き飽きしてるので、そろそろ普通に外食に出たい。コロナの脅威は終わってないだろうがどうでもいい。

これからも飲食店はハイリスクだろうし、コロナウィルスは危険なままだろう(まだワクチンないよね?)。ただ単に感染者が減って病床に余裕が生まれつつある状態と認識している。でも感染したところで8割は軽症で終わる。僕は若く持病もないので更に有利だ。

雑感

「ツイッターは書き込みにタイトルが要らないのが画期的」と言ったのはひろゆきだったか(ソースを見つけられないがそうだった気がする)。日記にタイトルをつけるのは面倒だ。思えばその日の出来事を書くのが日記なんだから、文章に意味的なまとまりが生じることは期待できない。あるいは自分で勝手にまとまりを見出すことになるだろう。それは誠実か?

部屋の掃除をした

日曜日に思い立って部屋の掃除をした。カーペットを買ったときに芯として送られてきた竹の棒(2.5mくらい)が捨てられずに残っている。笑い話だ。2.5mの竹の棒を捨てるのがどれだけ大変かわかるか?

僕らが真に自由な暮らしをしていれば、こんなもの山か川に放り投げて終わりだ。しかしそれは不法投棄になる。僕は山も川も所有していない。燃やしてしまおうにも焚き火をする空間すらない。都市住民としての僕の正しい行動は「50cm以下になるように切って燃やすゴミとして回収してもらう」だ。クソッタレが。

ならやってやろうと足で踏みつけて折ろうとしたら、よくしなる竹なので部分的に断裂はしても分割には至らなかった。刃物が必要だ。畜生め。

仕事がはかどらない

最近は仕事の調子が悪い。体調が悪いというわけではない。やっている仕事が不慣れなもので、かつ手間もかかり、これまでしたことのないような判断を求められる。集中力が持続しづらい。すぐ疲れてしまう。

フライパン復活

2週間ぶりくらいに焼きそばを作ったら鉄のフライパンがすっかりダメになっていて麺が張り付いてしまった。仕方がないので調べながら復活させてみた。手順は3つ。表面を削る、加熱、油膜だ。

表面を削る

炭化した食材のカスとかサビとかで表面が凸凹しているとダメなので削る。本当はスクレーパーとかヤスリでやるんだが、持ってなかったしアキバに買いに行くのも時節柄憚られたので金属ヘラで代用した。

加熱

そのまま。加熱して表面を酸化させる。

油膜

油を塗って表面に油膜を作る。

なぜか1回では不十分で2回やることになったが、無事張り付かない鉄フライパンが復活した。そういえばこのフライパンは25歳の誕生日に同僚から贈られたものだった。だいたい1周年で再セットアップ。

駒場山手閉店

驚いた…と言ったら嘘になる。設備が古く、味はともかく商売にあまりやる気が感じられない店だったし、本郷も最近閉まったばかりだからだ。それでも思い出深い店ではある。

田舎から出てきたばかりの娯楽を知らない東大の1年生が駒場キャンパスのすぐ裏にあるらーめん山手に通い詰めるのは、鳥類の刷り込みのようなものだ。成長して上空から見下ろしてみれば大したことのない店だと笑いたくもなるが、そんな店を親だと信じていた過去の自分の未熟さ、ビールかごをひっくり返してクッションを乗せただけの貧相な椅子、愛想の悪い店主、ゴキブリ、賑やかしのラジオ、上手く割れない割り箸、水圧の高い給水器、なんかベトベトしてるテーブル、そして美味いとも不味いとも言えない山手味のラーメン、全部含めて僕の中の「山手」だ。

2/18~2/24 在宅勤務/過剰な健康への不安

在宅勤務

すでに発表されている通り弊社は在宅勤務期間中だ。僕はソフトウェアエンジニアの一般社員なので仕事に占めるコミュニケーションの割合が低く、在宅勤務でもそこまで不便を感じていない。エンジニア職以外の事情はよくわからないし、エンジニアでもリーダー級以上になるとミーティングが多くあるのでなかなか大変なところがあるのではと思う。

あえて不便なところを挙げると、オフィスが使えない分自宅の環境に左右されるところか。自宅のPCデスクはかなりリソースを投じて強化してきたので問題ないどころか会社以上に快適。だがネット回線は時間帯によって不安定でイライラする。自宅の周りに飲食店がないので食事に変化がなくなるし(自炊のレパートリーが少ない)、運動不足にもなる。通勤が不要なぶん1日あたり80分くらい時間が浮いてるので、その時間を使って散歩でもすればいいのか。でも花粉のシーズンだからなあ。

過剰な健康への不安

先週の虫歯の処置以降、なんでもない歯の感覚がどれも虫歯の兆候なのではと思えてしまって不安だ。歯医者では処置した歯以外は問題ないと言われているが、それもあまり信用できない気分。一般論として医者は信用すべきなんだが。

もともと僕は健康を損ないたくない、特に永続的にダメージが残るような病気にはなりたくないという心配が強すぎる。年齢的に考えればこれから健康は失っていく一方だというのに、バカバカしい。

ちゃおネイキッドプロジェクトの進展

自動デプロイ

Spotify機能のためにredisを立ててdocker-composeで連携するようにした。これに伴いデプロイの手順が変わったので.drone.ymlを調整した。docker runに複雑なオプションを載せまくるよりもdocker-compose.ymlに書いてしまう方が楽だし1コンテナでもdocker-composeを使うべきなのかもしれない。

CSSレイアウトのお勉強

Spotifyで聴いている曲を表示できるようになったので、画像・タイトル・アーティストをいい感じにレイアウトしたくてCSSのお勉強をした。MDNのドキュメントが大変参考になった。というかCSS系の情報はググってもノイズが多すぎる。

勉強のためにstyled-componentsでCSSをTSの中で記述してみた。ファイルの中身がカオスになる感覚は否めないが、コンポーネントとスタイルの結びつきが強くなるのは使いどころによっては便利なのだろう。特にwebpackを弄らずとも導入できるのはよい。

bundleサイズ削減

bundle analyzerで見てみるとmomentのタイムゾーンとかlocaleのファイルがすごい容量食っててビビったのでググって削減した。効果が数字で見えるのは楽しいのだが、webpack.config.jsがどんどん複雑になっていくのはつらい。

今後の野望

  • 監視・ロギングの強化
  • 様々な自動投稿機能がついたTwitterタイムラインのようなサービスにしていきたい

唐突な鬱の到来―2019年10月―

10/27(日)

友人が参加している合唱サークルの演奏を聴きに上野公園へ。パワフルで楽しかった。皿を割ってしまったので買って帰ろうと思っていたが忘れていた。しかしちょうど家の近くでいらない皿をTAKE FREEしているのを見つけて回収。謎タイミング。

銭湯の入浴剤はローズヒップ。たけのこの香りだった。

夜、唐突に胸の当たりが苦しくなり気分が落ち込んだ。4月と10月は季節や環境の変化でよくこうなる。直接の原因は日曜日にこなすべきオタク活動がクリアできなかったことだろう。労働時間が伸びつつあるのも原因かもしれない。あとは酒とか耳とか。

近所の同僚を呼び出して夜の散歩へ。アイス食って世間話してブログ書いてる。

最高の一日/差別をした/逆だったかもしれねェ…

今日は最高の日だった。つまり、1年間で最高の気象条件だったという意味だ。自宅を1歩出た瞬間そう思った。涼しいが寒くなく、太陽はよく照っているが暑くもない。すぐさま川辺で昼寝をしたいと思った。明日にはもう地球と太陽の位置関係が変わって、この繊細なバランスは失われてしまうだろう。

残念なことに僕は会社員だ。会社員というのは特段の理由がなければ毎日会社に来ることを期待されており、その継続性に価値が生じている。ともかく、僕は川辺の微風を名残惜しく感じながら電車に乗って会社に行ったのだ。

昼休みに「気持ちのいい天気だから外に出よう」と思って外に食べに行ったのだが、もう遅かった。太陽が高く登り繊細な朝の空気は失われ、既に暑さを感じる状態になっていた。さらに、帰りは肌寒かった。一日のなかでちょうどいい・暑い・寒いの3パターンを感じられる日というのはそれはそれで貴重だろうが、だったらなおのこと、この精妙な天気の変化をオフィスではなく外でボーッとしながら連続的に感じていたかった。

季節の移ろいを肌で感じるとき僕はいつも泣きそうな気持ちになり、そして死にたくなる。今日ほどそれを感じさせる日は少なくともあと1年はやってこないし、1年後に僕が季節の変化を感じ取れる繊細な心を持ち続けている保証はない。

帰り道のコンビニで粗大ごみを捨てるための券を買った。粗大ごみを回収してもらうためにはこの券を貼っておく必要があるのだ。これを買うときに、僕は差別的な行為をした。

コンビニに入るとレジが2つとも空いていた。手前のレジには日本人の女性、奥のレジには中国人らしき女性が立っていた。一瞬の判断だったが、僕は間違いなく意図的に中国人の店員を避けて手前のレジの店員に声をかけた。

なぜそうしたのか。粗大ごみ券を買うためにはレジで「粗大ごみ券をくれ」と言わなければならない。スーパーでバイトをしていた経験を思い出すと、こういう特殊な対応は難しい。大抵は完全に習得する前にレジに立つことになる。そういう対応を求めるとなると、中国人の店員は習熟度や言語に不安があると感じたのだ。だから僕は手前のレジの日本人店員を狙って声をかけた。

2つ空いているレジのどちらを選ぶか、要は50%の話なのだからどちらを選んだところで客観的には大した意味はない。なんなら手前のレジの方が若干近かったので合理的とも言える。それでも、僕の頭の中に一瞬「中国人の店員は習熟度が低そうだし、言語能力も不安だ」という思考が生じたのは事実だ。

少なくとも僕は、自分は差別をしたと思っている。だが、よりよいサービスを受けられる可能性が高い(と自分の中で考えて、自分が思う)合理的な選択をしただけというのもまた事実だと思っている。それでも合理性の名のもとに僕のしたことを正当化出来ないという感覚もある。

この話は難しい。中国人店員が僕の思考に気づいていたら彼女は傷ついただろう。僕が同じことをされたら傷つく。たまたま僕は今自分の生活圏でおおよそマジョリティと言えるグループに属しているが、そうではない状況になるかもしれない。僕は古い人間なので状況に関係なく貫ける正義を探してしまう。

僕と彼女の立場は逆だったかもしれねェ…などと考えながら夕食に鮭の炊き込みご飯を作ったのだが、間違えて茶碗に味噌汁の素を入れてしまった。なのでいつもと逆に茶碗で味噌汁を、汁椀で炊き込みご飯を食べた。味はいつもと同じだった。

肉・酒・人生/BenQ初期不良/勉強メモ

という感じの飲み会があった。仕事もキャリアも難しいが人生が一番難しい。

ディスプレイの初期不良の交換の件だが、いよいよ着払いで製品を送り返すところまできた。ただし物理印刷した初期不良交換依頼書を物理同梱しなければならないらしく、プリンターを所有していない僕にはハードルが高い。USBメモリにデータを入れて通勤時にコンビニにでも寄って印刷するか。

先日からちょくちょく上げている謎のパスワードつき記事は勉強のための読書メモだ。本の内容の要約なので無制限にインターネットに公開するのは権利的な問題がありそうだが、限られた人とは共有したいし検索性の良い方法でまとめておきたいのでこうなった(WordPressの全文検索はかなり性能がいい)。

ちなみにRFCとかはそもそもネットに無料公開されているものなのでパスワードもかけない。

ハンバーグ

9/19(火)

昼食はハンバーグ弁当。弁当のハンバーグは良くない。高級肉を謳っていたがむしろ結合性が悪かった。

夕食は焼きそば。変化なし。記憶なし。変わり映えなし。

最近は日記の遅延が増えている。その日のうちに書かないとただでさえ薄い日々の記憶が風化してさらに薄くなる。

未来の重圧/case classをやめた

未来のある時点に向かって準備しなくてはいけないものが出現したのでなんとなく落ち着かない気分だ。大学にいる頃からこの感覚がひどく苦手で、会社員になるとだいぶ緩和されていたのだが、やはり人生そう甘くはない。毎日死の準備をしながら生きていこうな。

Scalaのクラスはcase classにするとapplyメソッドが自動で生えるのだが、これと合わせてコンパニオンオブジェクトで自前のapplyも実装するとコンパイラがどっちを使うか判断できなくて怒る。

sealed abstract case classという手もあるらしいが、インスタンス化したいクラスなのでこの手は使えない。結局どうにも出来なかったのでcase classにすることをやめた。それほど恩恵を受けていたわけでもないし。

親知らず・ザ・ファイナル

4月からずっと懸案だった親知らずがついに「完全解決」に至った。誰も求めてないだろうが、経緯を説明する。

はじまり

3月末、働き始める前に歯医者でも行っておくか…という思いつきが全ての始まりだ。

右上と左上だけが生えていたので、どちらも噛み合わせる相手がおらず食事に関しては無意味な歯だった。かつ位置が奥まっているのと若干斜めに生えていたせいで歯磨きが困難で、左上はそこそこ、右上はちょっと虫歯になっていた。さらに親知らずの1つ手前の必要な歯の虫歯リスクを高めていた。これらのことから近所の歯科医で抜歯を推奨され、まず緊急度の高い左上から抜くことにした。

左上

近所の歯科医で左上の抜歯をしようとしたが、緊張から麻酔を打った段階で失神した(ここ笑うところ)。このため脈拍等のモニタリングが可能で非常時にも対応がしやすい隣町の総合病院の口腔外科を紹介された。

土曜に総合病院に行き、撮像で状況を確認、そして抜歯前に飲んでおく必要がある化膿止めを処方された。担当医師は総合病院の口腔外科所属だけあって抜歯には相当の経験と自信があるようで、以下のようなことを言われた。

そしてついに抜歯当日。

呼ばれたときはかなり緊張して処置室に入った。医師と看護師が2人で、緊張していると言うと脈拍計をつけてくれた。最初に行った近所の歯医者で一人の医師が忙しそうに複数人の患者を交互に診ていたのに比べると、3人ものスタッフが自分のために付いてくれている安心感は大きかった。

雑談などしつつまず麻酔。歯茎の3箇所くらいに麻酔を打ち、効くまで数分待つ。確実に効かせるためにこれを2回繰り返すといよいよ抜歯だ。どういう道具を使っていたのかよくわからないが(見たくもなかった)、医師が道具をあてがい、頭を動かさないように言われた。麻酔が効いているので歯に感覚はないが、かなり強い力で引っ張られた。数回グリグリという感覚がしたあと、医師に「抜けましたよ」と言われてあまりの早さに驚いた。

僕はそこでホッとしたのだが、医師や看護師にとってはそこからがむしろ大事なようで、となりの歯への影響の確認、抜いた跡が鼻の穴に貫通してないかの確認、そして止血処理を手早く行っていく。それが済むとガーゼを噛むように言われ、血が止まるまでしばらく休憩。その間に抜いた歯を持ち帰るか聞かれたので頷いて返答した(喋れないので)。

その後ガーゼを取り出し、新しいガーゼをさらに20分噛むように言われる。術後の注意事項を説明された。内容は入浴・飲酒の禁止、いじらない、出血が止まらなかったらまた来いというもの。それで終わりなので医師と看護師に丁重にお礼を行って退出。ガーゼを噛んでいたので会計でも喋れなかったが、慣れているのだろう、特に不審がられることもなかった。なお抜歯は安い。自己負担が2000円行かなかったと思う。

麻酔が切れてからも痛みはそれほどなく、会社に戻った。ただ抜歯跡をどれくらい慎重に扱わねばならないかの感覚がわからず、数日間は食事を右だけで噛んでいたのが大変だった。4日後に近所の病院で消毒と経過観察をしてもらって、その段階でもう傷口はデリケートな状態ではないと言われたので、そこからは普通に食事をするようになった。ただし穴はすぐには塞がらないので食べかすは入る。

右上

左上に比べると虫歯は進んでおらず、できることなら抜かずに済ませたいという色気があった。近所の医者には抜けと言われる一方で総合病院では「今じゃなくてもいいんじゃない?」などと微妙なことを言われ、迷いがあった。

だが、虫歯は虫歯だ。戻ることはない。近所の歯医者の説明や家族の「先送りはやめろ」というアドバイスを受け、右上も抜くことを決めた。

そこからの流れは左上と大して変わらない。医師が多忙で決心してから抜くまで3週間くらいあったがそれだけだ。そうして右上を抜いて今に至る。左上の経験があったので食べやすい食品もわかっている。

そしていま

こんなことがあって、現在僕の歯は26本だ。標準が32本、生まれつき生えてこなかった前歯が2本、抜いた親知らずが2本、そして生えてこない下の親知らずが2本だ。なお下の親知らずに関しては他の歯がブロックしているのでたぶん生えてこないと言われている(これ他の歯を押してるってことだし本当に大丈夫か?)。

世には8020という言葉がある。80歳時点で自分の歯が20本残るようにしましょうという標語だ。これは32本持って生まれても、80歳で20本残れば上々という厳しい現実、老いというものの容赦のなさを表している。

縄文時代に抜歯が通過儀礼であったように、歯を抜くというのは取り返しのつかないことだ。自分の体を不可逆的に変化させることには抵抗感や恐怖があった。今もある。それでも僕は医師を、医学を信じて抜歯を選択した。

食事は僕にとって重要な娯楽なので、なるべく長く健康な歯で食事を楽しみたいものだ。でもそう考えている自分は嫌いだ。人が死ななすぎるせいで80歳まで見据えて節制しなければならないというのは嫌な話だ。人間はそもそも80年も生きるようにできていない。死にたくないという欲望からやたらと寿命が伸び、どうせ生きているならいい状態で生きていたいという欲望が我々に歯磨きという自然界にはない習慣を要求する。

右上の抜歯のあと、用事があって郵便局に行ったら雑誌に「年金よりも歯が大事かな」という特集が載っていた。郵便局に来る人間にはこういう特集が刺さるのかと思いつつ、このタイミングで出会うのは何かの因果だろうと思って読んでみると、歴史上の偉人も歯で苦しんだという趣旨のページがあり、苦笑いしてしまった。僕もTJO氏が歯で苦しんでいるツイートを見て、頭脳も金も職も妻もあるTJO氏ですら歯の悩みからは逃れられないのかと勝手ながら安堵した記憶がある。

ルイ14世は侍医の進言により歯を全部抜いてしまったらしい。2019年現在にその逸話を読む我々は大変なことをしたもんだと笑えるが、では数百年後の人類は、ちょっと都合の悪い生え方をしたからといって麻酔をかけてパワーで引き抜く2019年の治療を笑わないだろうか。絶対に笑うと思う。それでいいんだ。

医療は日進月歩だ。今でこそ喫煙は健康に悪いと知れ渡っているが、今の高齢者が育ってきた時代はそうではなかっただろう。科学の進歩に伴って常識は変わっていき、無意味なことを心配していた、大事なことに無頓着だった、両方出てくるだろう。だからそもそも100点の健康生活など望むべくもないのだ。それが人生なのだと思う。

一寸の虫にも五分の魂

出勤して2時間ほど作業をしてから左手に違和感があって見たら尺取り虫が歩いていた。驚いてデコピンで机に飛ばしてしまったのだが、彼もこんなところに来たくて来たわけではなかろうと思い、昼食に出るついでに道端の植え込みに逃してきた。

僕は生き物を殺すのが苦手だ。でも蚊は殺す。自分に対する言い訳としては「蚊は病気を媒介するので自衛のために仕方ない」ということになっているが、これはほぼ嘘だ。実際は蚊は肉の部分が少なく死体を見ても大して罪悪感が湧かないからだ。人間なので殺しても触覚や視覚の刺激が弱ければ罪悪感は湧かない。

この考え方は捕鯨やイルカ漁に反対する勢力と同じだ。少なくとも僕は見た目のかわいさで生き物を殺したり殺さなかったりする。そしてそんな自分の身勝手さを覆い隠すために、あの生き物は殺してよかったんだ、殺す正当な理由があったんだと適当な理屈をこねる。

読書速度

最近は通勤電車で読書をしている。ドライアイのせいで実質的に一日に目を使える時間に制限があるので、スマホ画面ほどは瞬きを減少させないと思われる読書をしている。

ディスプレイを凝視していると瞬きが減るのがドライアイの原因であるとあちこちに書いてあるが、よくわからない。瞬きが減る理由がわからないし、瞬きが減るとドライアイになる(涙の成分バランスが崩れて膜を維持できなくなる)理由もわからない。誰か知ってたら教えてほしい。

自分なりに考えたのは、ディスプレイは視線を移動させなくても表示される情報が次々変化していくという点だ。それゆえに視線を移動する必要がなく、視線の移動中にどうせ見えてない(サッケード抑制でググって)からと瞬きをしていたのがなくなってしまうのではないか。そう考えると本の発する光情報は変化しないので瞬きは減少しないことになる。

最近は健康のことばかり考えていて嫌になってしまうね。早く死んで苦しみから解放されたいにゃん。何か人生に目的があれば違うのかもしれないが、どうせそのうち死ぬしな。

以前読んでいた本は読み終わるのに3週間ほどかかったが、その次に読んだ本はなんと2日で読めてしまった。ページ数や文字サイズの差を勘案してもあまりにも早すぎる。読書の速度というのは何に規定されているんだろう。

明日は静岡に行く。