人間に理解できる複雑さには限界があるので複雑にならないように設計したいんだけど、どうにも難しい(簡単だったらみんなやってる)。IOが多いゲームだとどうしてもね…
睡眠時間が足りてないけど足りなすぎるといろいろ通り越して感じなくなりますね。長持ちしないけど。
睡眠時間足りてないっていうか生活が不規則なだけです。
教えちゃお
人間に理解できる複雑さには限界があるので複雑にならないように設計したいんだけど、どうにも難しい(簡単だったらみんなやってる)。IOが多いゲームだとどうしてもね…
睡眠時間が足りてないけど足りなすぎるといろいろ通り越して感じなくなりますね。長持ちしないけど。
睡眠時間足りてないっていうか生活が不規則なだけです。
今は1日の47時だ。
ひろゆき氏と唐澤貴洋氏の論戦?の動画を見たんだけど、全体見直して論点を整理する余裕がないので大雑把な感想だけ。ちなみに僕はひろゆき氏は嫌いだし、アジテーターとテレビ対談して勝ったように見せることができなくてもそれは唐澤氏の弁護士としての能力を疑う理由にはならないと思う。
ひろゆき氏は唐澤氏に対して「ネットを専門とする弁護士は多くいるのになぜあなたがここまで狙われるのかわからない」と述べ、暗に「お前に原因あるだろ」と主張している。
その後ひろゆき氏は「2ch(5ch?)の取締を強化してもみんなツイッターとかフェイスブックで同じことをやるから意味がない」とも述べ、場ではなく人が原因であると主張するとともに、そういう人を訴えて排除するほうが効果があると主張した。
ひろゆき氏は一貫して2chの管理者としての責任に触れなかった。自分の弱点だから触れないのは当然だろうが、私は彼自身の話法を用いてこう問い返したくなった。
「ネットの言論空間は多くあるのになぜ2chで犯罪行為が起きるのかわからない」
ツイッターやフェイスブックが自分のサービスで犯罪行為を行わせないためにしている努力に比べれば2chの努力などないも同然だろう。場ではなく人が悪いといいたいのなら、ツイッターやフェイスブックと同等の努力をしてからにすべきだ。
レスバトルで負けない話法とか学んでも本当に何も生み出さないんでしょうもない。「はい論破」という言葉は大嫌いだ。
無理
※この記事はいつもより多いアルコールを飲んで書かれた。
今はメインマシンがLinuxなのでiTunesが使えない。よってPCではAppleMusicを聴けない。SpotifyはブラウザプレーヤーがあるしLinux版のアプリもあるらしい。
移ろうかと考えているのだがSpotifyの学生登録が上手くいかない。
先日言ったようにブログは夜に書くので朝に考えたこと、たとえば夢については書きにくいんだが、今日はさっき少し寝て起きて嫌な夢を見た。子猫を虐待する夢だった。確かに僕はそれを楽しんでいて、起きた後も思考の感触が残っていた。気持ちが悪い。
明日は平日で、修論提出までは1ヶ月しかない。実験はまだやらなきゃいけないし、その準備はまだできていない。さすがに焦りが募る。
※この記事は『チューハイ気分 ウメ』を飲んで書かれた。
って聞くのは失礼だからダメらしいですね。
このブログを読んでいるあなたは誰なのだろう。僕はツイッターで繋がっている人が多いと思って書いているが、もしかしたらそれ以外の人もいるのかもしれない。
率直に言えばそれは誰の悪口は言っても大丈夫なのかということだ。僕は他人の心情なんてどうでもいいと思っているクソ野郎だが、他人の悪口を言うと殴られることは知っているので、本人に聞かれないところで言う。
世には陰口という概念があり非難の対象になるが、陰口がなぜ非難されるのか僕には理解できない。「あなた○○って陰口言われてるよ」と本人に伝える人間は非難に値するが、本人の耳に入らないところで何を言おうと関係ないだろう。
このブログを読んでいる人の中で、「ちゃおは自分が読んでないと思って書いているな」と思っている人がいたら、その人にとってほしい行動は一つ。僕にブログを読んでいると明かさないことだ。読んでいないという「設定」が守られている限り僕は書くし、あなたは読んでよい。
一人称としての「ちゃお」、はじめて使った気がする。
ダメです。ダメなことのせいでダメな気持ちになるし、ダメな気持ちのせいでダメなことをしてしまう。そしてそういう自分が嫌でダメな気持ちになりますね。
※この記事は『クリアアサヒ』を飲みながら書かれた。
僕がブログを書くのは決まって夜だ。つまりブログには書かれるのは夜に考えたことが多い。朝や昼にも色々と面白いことを考えてはいるのだが、夜になると忘れているのでブログに書けないのだ。この偏りは心理学専攻としては看過し難い。しかし1日のランダムな時間に書くというわけにもいかないので仕方ない。
というわけで夜の出来事を書くが、今日の帰り道もスリリングだった。23:30ごろに大学を出たらものすごい勢いでタブレットの画面を連打している人がいた。動かないソフトウェアを前にして連打を試みてしまうのは人間の性なのだろうか。怖くて近づけなかったので何をしていたのかはわからない。自宅近くでも酔っ払ったおっちゃんが車道をフラフラ歩いていた。
自宅近くの大きな道路は中央分離帯も立派だ。5mくらいの幅が有り、植え込みの高さも3mくらいはあるだろう。僕はいつか中央分離帯で一晩過ごしてみたいと思っている。毎日目にする場所でありながら、中央分離帯は上り車線でも下り車線でもなければ歩道でもない、いわば行動体としての人間にとっては空白地帯になっているのだ。目には見えるけれども足を踏み入れたことはない、そんな不思議な場所に惹かれる。