チャイムの故障/風呂掃除で腰痛

※この記事は『ほろよい ゆずみつサワー』を飲んで書かれた。

↑美味い。

昨夜から大規模な掃除をした。1年以上まともに掃除をしておらず、1年前にこぼした米がまた床に散らばっていた。

ゴミ袋を買ってきて大胆に放り込んでいった結果、45リットルの袋が満杯になった。特に意識しなくともモノがどんどん増えていってしまうのは消費社会の病だと思う。モノを増やすことはコストであり避けるべきことだという意識を持ちたい。

17時過ぎに引越し用の梱包資材が届く予定だったのだが、チャイムが鳴らないまま不在票が入れられていた。一瞬腹が立ったが、思い直してチャイムを確認したところ、なんと故障していた。電池を替えてもダメだった(電池のサイズを間違えて1000円無駄にした)。よりにもよって引越しを控えたこの時期に人が訪ねてきてもそれに気づくことができないとは。僕の手には負えないので明日大家に修理の相談をする。大家は工作スキルがあるのでその場で直すかもしれない。ダメならチャイムに「故障中 叫んで」とでも書いておこう。

掃除の勢いに乗って本格的な風呂掃除もした。風呂という狭い空間で身をかがめて、窮屈な姿勢を取りながら壁面を磨くのは想像以上の負担でいまでも腰が痛い。激落ちくんが非常に強力なのだがあれは要は研磨であって、賃貸の浴槽で使ってよいか疑問がある。僕は重曹とクエン酸でやった。重曹は万能で、油汚れも重曹に吸わせたあと擦ると落ちる。

修論とその発表が終わり、いよいよ引越しに向けて動き出している。見ないふりをしてきた生活することの難しさを痛感している。

サークルの合宿

最近は日記がいつも遅れている。よくないことですね。夜に書くというリズムに戻したい。

この土日でサークルの合宿が行われているので行ってきた。と言ってもなにか生産的な活動をするわけでもなく、キャンパス内の合宿所でアニメ・スマブラ・麻雀をしながらダラダラ過ごすだけだ。麻雀は圧勝した。

僕の大学は1・2年生とそれ以上でキャンパスが変わるので、サークルの世代間の関係が弱くなりやすい。だから場所と時間を決めてサークルのイベントをやるというだけで意味がある。OBも来るし、らーめん山手も食べられる。

生命の環境構築

新居での生活のために電気・ガス・水道・ネットを環境構築している。aptで一発というわけにはいかないのでなかなか面倒だ。社会生活を送るのは難しい。

詐欺師の才覚に目覚めた修論発表

今日は修論発表だった。順番が遅かったので16時過ぎまで異常な気持ちの乱高下を体感しながら助教と雑談などして過ごした。自分の番が来た瞬間は胸が苦しくて最悪の気分だったが、教授らが待つ部屋に入ってPCを接続し、大きく深呼吸をして発表のタイトルを読み上げ始めた瞬間に緊張はすぐに吹き飛んだ。まさに「覚醒」したという感覚だった。

通常時よりはやや高い覚醒状態を保ちながら、大きな声ではきはきと。スライドの画面を見るだけで話すべき内容がスラスラと整った文章で浮かんできた。身振り手振りは大きく、レーザーポインターも使って、聞き手の一人ひとりの目を見ながら20分間の発表をこなした。

続いて質疑。考察よりも方法と分析に多くの質問が来た。ときに沈思黙考を強いられる場面もあったが、焦りはなかった。30秒ほど考えて真正面から回答することができそうもなければ、切り口を変えて回答した。調べていない・覚えていないから答えられないこともあり、その場合ははっきりとそう答えた。落ち着いていた。100%の回答でなくても厳しい追及はなかった。就職する学生に厳しいことを言っても意味がないと思っているのか、はたまた単に疲れていたのか。というのも今年は例年になく修士修了者が多かったのだ。

15分ほどで質問が出尽くし、退室を命じられた。聞いていた話だと質疑のあとに進路に関する世間話が行われるとのことだったが、なかった。

退室してから改めて自分の異常なトーク力の覚醒に驚いた。これは詐欺師の才能だと思った。研究の内容も発表の準備も大したことない、なのに僕は自分でも驚くほど自信たっぷりに堂々と話していた。トーク力だけで世を渡っていく口から生まれた文系太郎だ。

もちろんそうであってはならないと思っている。話すに足る内実を兼ね備えた人間でありたい。

感情の麻酔としての酒

※この記事は『キリン 一番搾り』『ほろよい』のなんかゆずのやつを飲んで書かれた。

僕は不安がりだ。あらゆる締め切りにひどく不安になる。そんなときに効くのが酒だ。酒は感情を鈍らせ、不安が緩和される。能力を低下させる酒を飲むという行為自体が、不安の原因を恐れていないと自分に言い聞かせることにもなる。単純に自分を傷めつけるのが楽しいというのもある。

良くない習慣だ。なんでもかんでも不安になる脳の方が良くない。カス。人生終了。もしメンタルが強靭だったら研究でこんなに苦しんでないよ。最初の興味のあったテーマで貫徹していたはずだ。多分。Dの先輩のやってることを聞くと面白そうだし俺がM1の頃に検討していたテーマに近くて「どうしてそれをやっているのが俺じゃないんだ」という気になる。気合が足りなかった。

8時間後に修論発表だ。研究無理無理って思って諦めようとしたのに周囲の人に止められて続けて今に至るので、今更修論不合格になろうとなんとも思わない。僕に言わせれば順当な結果だ。あんな研究。アルコールを切らすな(カメラを止めるなではない)。

麻雀チョットデキル

※この記事は『麦とホップ』とあとなんか名前を知らない強い酒を飲んで書かれた。

人数合わせで参加するくらいはできる。役は全ては把握していないし点数計算はできない。臨時で代役が必要なときくらいは呼んでくれてもいい。

見えている情報から点数期待値を最大化する行動を選択することはおそらく可能なのだろうが、そのための計算量が膨大で初心者には難しいゲームだと思う。運要素があるゲームなので正しい行動をしても勝てるとは限らないし、そのせいで正しい行動の習得も遅れる。

一方で4人で長時間卓を囲む知的ゲームという点ではコミュニケーションツールとして優れている。ゲームを通して普段は知らないその人の一面を知るのは楽しい。ただし途中で抜けられないのは辛い。

「夜型人間」は実在する?

※この記事は『クリアアサヒ』を飲みながら書かれた。

生活時間の制約が少ないと僕は夜型になる。今も6時就寝12時起床のリズムだ。なにか不都合が出るなら困るが、今は特に困っていないので積極的に直す気はない。金曜日が修論の発表で、それに向けて細かく質問されそうな辺りの論文を読むために大学に泊まり込んでいる。なにかを集中的にやりたい時には夕方に大学に来て夜通し研究室で作業するのが習慣になってしまった。

よく「夜型人間」という言葉が出る。いわく、人類の何割かは生まれつき「夜型人間」である、それは夜中に見張りを立てた名残である、彼らに朝の出勤を強いるのは非生産的である、などなど。僕はあまりこれを信用していない。軽く調べても信頼できる専門家がこういうことを言っているのは見たことがないし、なによりこれはいかにもネットで流行りそうな構造の言説だからだ。「あなたの社会不適合は生まれつきだ。進化論的なお墨付きもある。あなたに合わせない社会は実は損をしているんだ。バカだねえ」と。

無論これが事実である場合もあるだろうが、多様性を認める風潮(それ自体は歓迎すべきことだ)に乗じて科学的根拠のない情報が広がるのは望ましくない。「夜型人間」が事実かどうか知っている人がいたら教えてください。

そもそも4月からは会社員(予定)なので、自由の効きやすい会社ではあるが、それでも夜型とか言ってる場合ではない。一人自宅にこもって他人の3倍の効率を出せる天才ならいざ知らず、僕のような普通の人間は社会性の動物としてチームと緊密に情報交換をしながら作業をするべきで、そうなるとやはり時空間を共有しながら作業するのが効率的だ。人間はそういうふうにできている。

モノを減らす2

今日は書類を整理した。改めて見てみると前の家の契約書が残っていたりする。当然不要なので捨てる。捨てるべきか迷ったら捨てる。

ボトル類も捨てた。使いかけのまま古くなり異常な匂いがする醤油が2本。油、酒なども。調味料は作りたい料理のために買って使い切らないまま古くなるパターンが多い。とかく一人暮らしは無駄が多い。

ちょこまかやっていてもきりがないのでどこかでまとまった時間を作ってやりたい。やらない。

家は買うべきか

ルーチン通りに洗濯に行こうと思ったが、前回の洗濯が遅れたために洗濯物の量が少ない。そこで布団のカバーを洗うことにした。かさばるが適当に放り込めば洗える。

洗濯の間に食事をしようと思って歩いていたら、道端で家を売る人たちが今日もいた。道端で家を売るというのはどういうことかというと、道端に立って近所のマンションに興味はないか声を掛けて回るのだ。そんなマッチみたいなノリで道端で家買う人間いるわけねえだろと思って毎日眺めていた。そんな彼らが今日もいたので思わず笑ってしまったのだが、それが悪かったようで歩いてきて声を掛けられた。特に急ぐ用事もなかったので興味本位で話を聞いた。

オープンハウスという不動産会社の若手社員だった。彼の言うところでは、若い会社員でもマンションを買うべきだというのだ。他人の持ち物に家賃を払うくらいなら毎月ローンを払う方がいい、のちのち貸せるという主張らしい。もちろんそれは道理なのだが、人に貸せるように家をメンテナンスし家賃を徴収するのも楽ではない。

「だから家を買う気はない」と書こうと思ったのだが、調べてみると老後は賃貸が借りにくくなるというリスクがあるらしい。率直に言って老後のことなどほとんど考えていなかった。どうしたものか…

もうちょっといろいろ書くことがあったのだが、自分はどうやって死ぬのか考え始めたらド鬱になってきて無理だ…