今は19日の34時だ。
夜なので寝る。
教えちゃお
※この記事は『Asahi クリアセブン』を飲みながら書かれた。
↑まずい。
今日はクソ酷いミスをして人に迷惑をかけてしまったのだが、さらりと許してもらえた。僕もそういう人間でありたいと思う。食堂の給茶機の順番待ちに割り込まれても笑顔でいられるようになりたい。
これまでaptで入れていたChromeを公式debから入れ直したことでバージョンが70になった。タブのデザインが変わり当たり判定が増えたのもそうだが、何より素晴らしいのは拡張機能のSpeedDialが正常に機能するようになったことだ。これまでは4列に設定するとなぜか右にスペースができてしまってとても気持ち悪かったのだが、それがなくなりきちんと中央に配置されるようになった。
Hyperappのプログラムをいじっていたのだが、actionは引数を1つしかとれないということを学んだ。そういうプログラムになっているのはそうとして、そうしている理由はなんなのだろう。
Actions
The only way to change the state is via actions. An action is a unary function (accepts a single argument) expecting a payload. The payload can be anything you want to pass into the action.
今日はゼミの発表の番が来る可能性があったので徹夜で準備したが、来なかった。それも人生。
最近はMastodon関連記事へのアクセスが多い。誰かの参考にはなっているのかもしれない。既に古くなっている部分もあるのでもう一度まとめ直したいなあ。
久々だ。たぶん前回は8月中旬?
人生には徹夜が必要になることもある。
今日は顔合わせの飲み会があったが、僕がそこで求められている役割を果たせたかはよくわからない。人間関係は「とても」難しい。僕が珍しく強調の形容詞を使っているということの意味を汲んで欲しい。
一人暮らしの学生としての自分と両親の息子としての自分の距離は6年間かけてどんどん広がり、今ではその間を行き来するのが負担、もっと言えば苦痛だ。どちらの自分も正しくないような気持ちになってひどい不安に襲われる。どうしてこうなってしまったのだろう。
身体の疲労と精神の苦痛を合わせて数年に一度と言っても過言ではない辛さを感じている。今の自分の正しさに自信がなくなったので研究をやり遂げる自信も失われてしまった。
世間一般で共同体であると信じられているものを僕は信じられない。個人主義に基づいて行動する各個人が共同体を形成できるとは思わないからだ。基本は孤独であってその中にいくつかのつながりが見つかれば御の字だと思う。孤独の到来を予見した夏目漱石の卓見ぶりを思い知る。
思いがあふれるのに思考はめちゃくちゃで全然文章にできない。誰か助けてくれ。誰が?何から?
※この記事はInternet Explorer10で書かれた。
明日の用事に備えて、今日は現場の近くの宿にいる。
思えば6月に書き始めてから自宅以外の場所で日記を書くのは初めてだ。
なぜか大学は6年目なので、学生一人暮らしの自堕落な生活も6年目ということになる。当初は寂しさを感じたこともあったが、今では誰かと一緒にいるときの方が気を遣わねばならないと感じる。
孤独は危険(辛いとか苦しいではなく)だが、誰かと生活の基盤を共にすることもまた楽ではない。同じ感覚の人間とシェアハウスをして良いとこ取りしたいというのは虫のいい発想だろうか。
人とどのような距離で生きるかという問題、言い換えれば自由と安心をどの割合で維持するかというのは一生を大きく左右するだろうが、僕は環境を変えることが苦手で現状に固執してしまうのでよろしくない。
μではない。無だ。
授業とミーティングを終えてコーヒーを飲んだら、飲んでいる最中は何もなかったのに立ち上がってから酷いめまいに襲われた。低血圧なので立ちくらみはよくあるが、立ちくらみのときは視界が白くなる。今回は純粋に平衡感覚だけが狂うというはじめての経験だった。友人に肩を借りてなんとか研究室まで戻り、やらなきゃならない仕事を片付けてからすぐに帰宅した。おそらく季節による体調変動とカフェインの刺激が重なったのだろう。
カフェインと言えば、緑茶にも多く含まれる。私の出身地は茶の産地であり、小学校の総合学習では茶について学ぶ。学んだことを発表するまで含めて総合学習なのだが、茶の効能を歌にするグループがあったような気がする。「カッテキン\カフェイン/カッテキン\カフェイン/」というリズムを今でも覚えている。
僕は24歳だ。(なぜか)まだ学生だし世間的には若者だろうが、一方で身体機能は既にピークを超えたものもある。たとえば大食いは20歳ごろがピークだった。という話は以前もしたような気がする。
自分の変更点を残しつつ最新版に追従しようとしたらgitの闇に飲まれてわけがわからなくなったのでリセットボタンポチーした。何回ぶっ壊してもいいVPSとかいうおもちゃ最高。そうまでしてv2.5.1にバージョンアップした理由はリレー機能だ。
Activity Pubを受け取って登録済みのインスタンスにそのまま流すリレーサーバーが開発されており、Mastodon側からも対応したとのことだ。管理画面でリレーのURLを入力するだけで接続できる。これを使うと何もしなくても連合TLに同じリレーに属するインスタンスの投稿が流れてきて、賑やかになる。
自分のインスタンスを立てて痛感したのは初速の重要さだ。小規模インスタンスの場合登録しても結局他のインスタンスの知り合いや有名人をフォローしに行くことになり、Mastodonの特徴であるごった煮高速TLを楽しむことができない。リレー機能はここに一石を投じるものだと思う。
5.6は視覚探索の話。視野のたくさんの図形から1つの目標図形を探すとする。このとき目標図形をターゲット、それ以外をディストラクタと呼ぶ。素朴に考えれば私達は図形を一つ一つ見て確認していくはずだ。ターゲットを何番目に見るかの期待値はディストラクタの数の半分なので、見つけるまでにかかる時間はディストラクタ数が増えるに従って線形に増加するはずだ。以下のような画像から「右上を向いた赤」を探すときは実際にそうなり、右のほうが長くかかる。
しかしこれには例外がある。以下の画像から「右上を向いたもの」を探すときや
以下の画像から「緑」を探すとき。
このようなときはディストラクタの数に関係なく一瞬で見つかる。この現象を「ポップアウト」と呼ぶ。脳内の情報処理で「色」や「方位」それぞれのマップを作って探すときは全体を一瞬で処理できるが、複数種類の特徴を統合して判断する処理は一箇所ずつしかできないと考えられている。詳しく知りたい人は「特徴統合理論」でググって。
参考文献:『視覚科学』横澤一彦