遭遇

『ペンギン・ハイウェイ』を友人と見に行ったら、他の友人と偶然出くわした。東京は狭い。

明日は学会。と言っても初日は出番はない。昼に行ってお話を聞いて、領収書をもらって写真に写って帰ってくる。

Mastodon立ったり立たなかったり

nginx_proxy + letsencrypt-nginx-proxy-companion + dockerの構成。

どこの情報を見てもそのまま動くものはなかったので苦労している。かき集めてきた情報でとりあえず動くところまで言ったので備忘録を兼ねて設定を晒す。

全体的に情報が古い。検索に引っかかる情報は2017年前半のMastodon黎明期のものが多いが、OSSであるMastodonの進化のスピードは非常に速く数カ月前の情報でも役に立たないことがある。

比較的新しくて参考になった記事:Ubuntu16.04にDockerでMastodonインスタンスを立てる


残る問題点

Mastodonは立たない

徹夜で作業して今から寝るぞ!寝るぞ!という状況。

どちらか選べるなら僕も昼作業して夜寝たいんだが、選べる立場ではないので。

ほな。

Mastodonを立てるぞ1

ツイッターもUserStreamの廃止でとうとう終わりだろうと思ったので。

まずサーバー上でこのホームページ(wordpress)が稼働しているのでどうしたものかと調べ、nginx_proxyを採用することにした。こいつはアクセスされたサブドメインに応じて違うコンテナにリクエストを振り分けてくれる。なかなか難航したが導入した。ついでにSSL証明書の取得まで自動化された。

次はMastodonのデプロイだ。docker-compose.ymlを編集してサーバーまで同時に起動するようにし、さらにそれがnginx_proxyの管理下になるようにnetworksの設定をイジイジする。絶対うまくいってない気がするが現在アセットのコンパイル中なので結果はまだわからない。

俺を起こさないでくれ。死ぬほど疲れてる。

大分無理

おおいたではない。僕は特に大分県に関わりはない。正直に言えば場所も正確には覚えていない。小学生の頃には都道府県の場所は覚えていたし、県庁所在地も主要な山河も覚えていたが、もう忘れた。

今日は大分辛かった。長く研究室にいても進捗は微々たるもの。特に進められない理由があるわけではないが、集中できない。食堂で食うものは選べないし、階段は登れないし、いつもはなんとも思わない暗い廊下が怖いし、なんでもないことでものを放り投げて暴れたくなるし、帰り道は自転車で小さい子供を轢いてしまえば救われる(何から?)のではないかと考えていた。

自分が病気なのかどうかはどうでもいい。真っ当なことを考えて真っ当に作業を進められるようになりたい。昔のことが思い出せない。僕は普通に生きていた気がするんだが。

今日のUI心理学

1.3は目標によって知覚が変わるという話。元気がないので有名なアレを貼って終わりにする。白のチームが何回パスするか数える。

人間、見ようと思ってないものはマジで全然見えてない。注意の「目標の情報処理を加速する」という機能はそれ以外の情報処理を切り捨てることと表裏一体だからだ。「change blindness」「choice blindness」でも面白い現象が見つかるのでググッて。

カメラを止めるなを見られなかった

ふと思いついて見に行こうかと思ったが、大人気らしく当日いきなり行っても無理そうだった。

最近気づいたのだが、Netflixは他のユーザーの存在がほとんど見えない。作品のユーザーレビューはかなり深い場所に隠されており、積極的に読みたがる人しか読まない。SNSシェアボタンもない。多くのwebサービスが「コメント欄」を実装しているなかでちょっと異色に思える。と思ったけどdアニメストアもなかった。

連続再生を意識したOP・ED自動スキップもそうだが、Netflixはユーザーをコンテンツに没頭させ、まとまった時間を使わせることを目指しているようだ。SNSによる口コミ拡散を狙わないのはオリジナル作品に注力していることとも結びつく。

Netflixのビジネスモデルは加入させることと退会させないことが両輪になっていると思う。次はそういう視点からも考えてみたい。

https復活

証明書の期限が切れたのでhttps接続ができなくなっていた。このブログはdockerでwordpressを動かしている。コンテナに入ってcertbot renewをタイプすれば済んでいたはずなんだが、コンテナを一時停止したあと間違ったdocker-compose.ymlからコンテナを作りなおしてしまっていてえらい遠回りをしてしまった。データは永続化してあったが、間違って上書きしてしまわなかったのは運が良かった。それにしても証明書関連の手続きはよくわからない。そもそも仕組みを理解していない。

特に理由のない技術的挑戦としてHTTP/2にも対応させてみようかと思ったが、かなり大変そうだったのでやめた。

今日は洗濯からの帰り道、近所の駐車場で猫と遭遇したのでしばらく見つめ合っていた。いきなり近づくと警戒されて逃げられるが、姿勢を低くしよそ見をして敵意がないことをアピールすると相手も警戒を解いてよそ見したり目を閉じたりする。残念ながら触ることはできなかった。

適度に予測可能な振る舞いをすることが動物っぽさを感じさせるのかな、などと思った。

※この記事は『STRONG9 パイン』を飲んで書かれた。

世間的には盆休みというやつらしい。僕は全くそれどころではないので意に介していなかったが、周囲の人が割とみんな休むらしいので困っている。

盆に困っているというか、盆に準備せざるを得ない時期に学会があることに困っている。

困った…

図書館

※この記事は『氷結 Mango』を飲みながら書かれた。

今日も大学に行きたくなかったので道中図書館に寄った。

地域の図書館で心理学コーナーを見に行くと、真っ当な心理学に関する本が数冊、そして残りは全部うさんくさい詐欺まがいの本だった。辛い。

雑誌の新刊が一通り置いてあるのは良い。アニメージュを読んだ。

この歳になって、児童文学を読み返したくなることがよくある。稚拙に感じてしまうこともあれば、新しい発見もある。森絵都の『カラフル』を読んだ。キャラクターの心情をダイレクトに書けるのは小説ならではの魅力だと思う。

今日のUI心理学

1.2 コンテクスト・錯視・視聴覚統合

結構いろんなネタが同時に語られてて難しい。コンテクストの効果と言いつつコンテクストに関係ないミューラーリヤー錯視や連合学習によって語られるべき犬の行動の習慣の話が挙げられていて、正直言ってこの章はかなりとっちらかっている。

ミューラーリヤー錯視は非常に有名だ。図形がシンプルで、効果が大きく頑健だからだ。

「長く見える左の図形は遠くに出現する状況が多いが、遠くにあるものは小さく目に映るのでそれを補償するように過大に知覚する」というのが有力な説明だが、それを否定するような実験結果もあり、よくわからない。

物理的な量と知覚する量がずれているというのはよくある話で、その関係を記述しようとする心理学の分野は心理物理学と呼ばれる。

多感覚統合も心理学ではよく研究されている。視聴覚統合の話が多い。視覚と聴覚にはそれぞれ得意分野があり、状況に応じてどちらかの情報が優先される。

腹話術効果は聴覚によってキャッチするはずの音源の位置情報が視覚によってずらされる現象だ。実際の声は腹話術師の口から出ているのに、人形の口が動くせいでそちらから声が出ているように感じてしまう。物体の位置を知る情報源としては聴覚より視覚のほうが優れているからだ。

ダブルフラッシュ錯覚は1度の視覚刺激に2度の音声刺激を合わせると、視覚刺激まで2度呈示されたように感じてしまう現象だ(NTT コミュニケーション科学基礎研究所によるデモンストレーション)。時間解像度では聴覚が視覚を上回っているので、聴覚の情報を信用してしまう。

最近ホットな話で言えば、バーチャルなアバターによって身体感覚と視覚が整合しなくなるのも多感覚統合の一種と言えるだろうか。

ストロング破滅

※この記事は『STRONG9 グレープ』を飲んで書かれた。

何をどうするべきか、どうやってやるべきかわからず、わかっても不安で手がつかなかった。

昔はこんなではなかったはずだ。ときおり不安が押し寄せるようになったのは大学3年生の頃で、学期のはじめが多かった。学内の精神科はいつも満員御礼で、医者にかかれたころにはすでに時間経過で治まっていることが多かった。原因は環境の変化によるストレスだろうと言われた。

大学院に入ってからは悪化した。数週間の間大学に行けない時期もあった。2年計画の修論のプレッシャーを受けつつ、それに寄与しない目先のタスクをこなさねばならない状況が辛かった。壊れたり治ったりを繰り返しつつ今年度は大学にずっと来ているが、それは修論を書かねばならないからだ。不安は収まらない。むしろ常に不安とともにある。

僕の不安は環境によるものであってほしいが、ストレスは脳を永続的に変化させることもあるので「大学院にメンタルを破壊された男」として一生生きていくのかもしれない(言ってみたかっただけ)。

こういう記事は「なんだかんだ言って修論提出できました!」という状況で書きたいものだが、残念ながら修論はまだ書けてないしなんならデータもこれから取る。先行きは不透明だ。研究は結果が保証されていないからこそ研究であるにもかかわらず、なぜか修士は2年が標準修業年限となっている。不思議なことだ。

アカデミックの世界に生きている人間は尋常ではない。専門知のみならず自己管理能力や事務処理能力だって格段に優れているにもかかわらず、この世界に残るためにそれに見合わない待遇で働いている。理不尽にもじっと耐え、金になるわけでもない「業績」のために血道をあげる。

僕はそうは生きられない。僕に彼らの気持ちはわからないし、たぶん彼らにも僕の気持ちは分からないと思う。

猛烈にしんどかったのでいつもどおり破滅願望を充足するために強い酒を買ってきた。心のどこかでは急性アルコール中毒でうっかり死んでしまわないかという期待もあったが、どうにも上手く行かなかった。

帰ってくるともう夜で、明日起きたら大学に行かなければならない。やるべきことは無限にあるが、途方もない無限の壁に立ち向かう力がないので壁に手をかけることすらできない。僕はその程度の人物だ。一生こんな調子で生きていくのだろう。もとより自分が特別な天才でないことはとっくに知っている。大学入試は得意だったが、多くのことを記憶する能力や制限時間内で所定の回答に接近する能力は研究や仕事の能力に関係がない。

今日のUI心理学

1.1.4 注意の瞬き(attentional blink)

何かに注意が向いた直後に500ms程度の情報処理ができない時間が生じる。たくさんの画像を連続的に表示するRSVP課題(Rapid Serial Visual Presentation)を用いて研究されている。

この動画のタスクは簡略化してある。もとのタスク(Raymond, Shapiro & Arnell, 1992)は

  1. ひとつだけ表示される白い文字はなんだったか(他は全て黒)
  2. Xは表示されたか(Xは白い文字の後に表示される)

を同時に課すと、白い文字のあと180ms~450msのあいだXの見落としが多いというものだった。270msが最も見落としが多く、半分ほど見落とす。

複数の情報処理が並行するとパフォーマンスが低下するという現象を説明するために認知資源という言葉が使われる。有限の情報処理のリソースを配分しているという意味だ。もちろん脳にはCPU時間のような明確な情報処理リソースの指標があるわけではなく、これはアナロジーにすぎない。

参考文献