お茶の本質は色か?

※この記事は『ほろよい はちみつレモン』を飲んで書かれた。

↑うまい。

食堂の給茶機はたまに透明な湯を出す。今日もそうで腹立たしく思いながら食事をした。食後のルーティンとしてお茶を飲みながらツイッターを見ていたが、気づくと茶が透明であることを忘れていた。透明でもそれなりに味はついていて、わざわざカップを覗き込まない限りは気づかない。

味覚・嗅覚の研究は難しいので少ないが、ジュースの味は実は味よりも色で区別しているという研究がある。日本人ならかき氷のシロップの例でおなじみだろう。

うーん、今日もやはり筆(キーボード)が進まない。文章がまとまらない。

あるようなないような/モニターアームは野蛮だ

※この記事は『極搾り りんご』を飲んで書かれた。

やることがあるようなないような中途半端なときは苦手だ。やることがあるようなないような中途半端なときというのは、期限はまだ先だが自分で「早めに終わらせよう」と決めたタスクが存在する状況を言う。

タスク管理に限らず、僕は人生が苦手だ。お布団だけが僕の味方だ。

液タブの出し入れが面倒なのでモニターアームを使うことを検討しているが、液タブに求められる安定性をモニターアームで実現できるのか未知数だ。先例も少ない。そもそもモニターアームという道具が好きではない。机の端に力任せに噛ませたアームで重いモニターを保持しようという発想はあまりに野蛮だ。どうせアームが必要だとわかっているのならアームと一体化したデスクというのはないものだろうか。

酒の頻度を落としたら酔いが楽しすぎる

※この記事は『麦とホップ』を飲みながら書かれた。

友人に「毎日少しずつ飲むのもアル中になる」と言われてから飲酒の頻度を落としているのだが、そうするとたまに飲んだ日の酔いが強烈に感じる。

全然関係ないけどタイトル長いとまとめサイトみたいで嫌だな。いや問題は「〜すぎる」という言葉の使い方か?

まとめサイトを検索結果から除外するために僕が使っているのはμBlacklistだ。類似の拡張は色々あってどれも十分効果的なんだが、μBlacklistは何件ブロックされているか表示される。

妄想をデカい声で語る連中

※この記事は『のどごし生』を飲んで書かれた。

社会学とか現代思想、評論家みたいな肩書の人間は警戒している。自分が見聞きした現象はものすごい大きな現象の表層であるというような妄想を逞しくしている、単なるフィクション作家だ。風車と相撲でもしてろ。

物事はそう簡単には明らかにならないにもかかわらず「わかりやすく」「おもしろい」ストーリーをでっち上げることであたかも自分が最もよく世界を理解しているかのように吹聴している人間を許すな。それこそが知への冒涜にほかならない。

人間は特に自分の心のことは自分でよくわかると錯覚しがちだが、心理学は実証的な研究を100年間積み重ねてそう単純ではないと主張してきた。きちんと調べてみないとわからない物事を感覚であっさりと言い切る人間を僕は信用しない。

卒六の会

※この記事は『木枯の森』を飲んで書かれた。

↑香りが強く、口に含んでもなお強く鋭い香りが押し寄せる。

卒六の会

僕の出身高校には卒六の会という文化がある。「卒業六年目の同窓会」だ。浪人生も修士もだいたい社会に出るタイミングということで6年目になっているらしい。特に注意書きがなかったので普段着で行ったら周囲は全員スーツ着用で面食らった。だが僕は来年以降もこの格好で働くので、そういうアピールとしては有効だったかもしれない。就職先の社名の認知度は9割ほどだったが、そのうち半数程度は現在の苦境についても知っていた。

いろいろな人と近況を話し合った。皆驚くほどいい就職をしているという印象だが、そもそも5000円の会費をPONと支払って同窓会に現れるのはそういう人に偏っているのかもしれない。出席率は目算で6割程度だった。

自分の高校の友人が意外に多かったことを認識するとともに、大学に入って以降それらの友人と疎遠になっていたことを後悔した。研究が忙しかったという言い訳はあるのだが…

高校の友人は趣味や専攻の偏りが少なく、幅広い分野の話が聞けたのも興味深かった。メーカーや銀行の友人は「AIで事務職が不要になっている」と言い、医学部の友人が「AIに診断ができるようになる」と言う一方で広告代理店からAIベンチャーに移った友人が「AIに病気の診断させてる」と話しており、ひとりひとりの声から社会の変化の大きなうねりを感じ取ることができた。

平成ネット史(仮)

帰宅してNHKの『平成ネット史(仮)』を見た。宇野常寛がちょくちょくやたらとデカイことを言い出すのには閉口したが(露骨に態度に出るホリエモンに笑った)、全体としてよく整理されていて面白かった。宇野氏の分析でも「とにかく目立っている人を叩く文化と二次創作文化はパラレルである」という話は興味深かった(内容のない感想)。落合陽一が自分の経験を語る役割に徹していたのもいい。一方で池田美優に典型的な無知な聞き手役を求めていたのは嫌だった。

ダーツの旅

※この記事は『金麦』を飲んで書かれた。

暇な日や何かから逃避したい日はダーツの旅をする。比喩ではない。

東京23区 ダーツの旅

今日は友人と新宿区左門町に行った。自らに課すルールとして「wikipediaに載っている施設をコンプリートする」というものがある。左門町は以下の4つだ。

  • 於岩稲荷田宮神社(お岩稲荷)
  • 陽運寺
  • 四谷警察署
  • 創価学会戸田記念国際会館

見てわかるように宗教施設が多い。よくあるトラップは実際にはそのエリアにない施設が載っていることだ。たとえば四谷警察署は左門町にはない。他にもそのエリアを学区としている学校がそのエリアにないのに載っていたりもする。

この遊びは普段通り過ぎるだけの街を見て回るところに楽しさがある。店が多いのか住宅が多いのか。新しいか古いか。電信柱はあるか。子供は多いか。街には様々な表情がある。

どれだけ技術が発達しても人間はどこかに住まねばならないし、Amazonで配達できない有形無形のサービスが存在する限りそこに街は発生する。

Ingressフィーバー

※この記事は『クリアアサヒ』を飲んで書かれた。

夜中にIngressをしに出かけたくなることがある。今日もそれで、90分くらい近所を歩き回ってきた。構築は楽しい。

Ingressはポータルを結んで(リンクして)三角形を作るゲームだ。このとき、包含関係にある複数の三角形を同時に作ることができる。どういうことか。

以下のような4つのポータルを考える。

最大の三角形はこうだが…

小さい三角形は複数作れる。

このとき、正しい手順で作れば大きい三角形1つと小さい三角形3つは全てカウントされる。その場合2つの三角形が重なっている状態となり、これを多重化と呼ぶ。これは2重だ。

いい位置にポータルがあれば多重化はどんどん続けることができる。これは3重。

これを始めるとやめられなくなる。実際にはリンクを貼るためのアイテム(キー)の枯渇、都合のいいポータルがない、既存リンクとぶつかるなどの事情で限界はある。そして何より足が疲れる。リンクを貼るためにはリンク先のキーを持っている状態でリンク元のポータルに行かねばならない。相当な計画性を持って作り始めないと多重化が進むごとに移動距離が伸びる。

レベルの差によってできることに大きな格差が生じるゲームもあるが、Ingressはレベル8を超えれば差はなく、むしろ体力・気力・経済力の勝負になる。いや、正確に言えば勝負ですらない。ある人は賽の河原に石を積み続けるゲームと評した。どんなに美しい多重を作ってもいつかは必ず壊される。それでも翌日笑顔で新しい多重構築に励める人間こそがこのゲームを一番楽しんでいる。

美味いビールは美味い

※この記事は『エチゴビール ホワイトエール ヴァイツェン』を飲んで書かれた。

最初にわずかに甘い香りがあり、その後ぐっと刺激が訪れ、最後に酸味を伴った苦味が広がる。美味い。

酒は好きだが肝臓は弱い。こんな僕にちょうどいいのがビールだ。ビールはアルコール度数がそれほど高くない。甘みと刺激があるのは炭酸飲料に似ていて好きだ。安いビールで酔いを楽しむのも良いし、クラフトビールの味を楽しむのも良い。

明日は友人とランチの約束だ。今の中央食堂にはクリスマス企画でのメニューがいくつかあるが、どれも大したことはない。チキンチーズカツの天下は揺るがない。しかし毎日通っても飽きないように定期的に新メニューを入れる食堂の方針はありがたい。

※この記事はいろんなビールを飲んで書かれた。

今日は友人宅で鍋をした。鍋は優れた料理だ。既製品のスープさえ買ってくればあとは任意の食材を切って放り込むだけで美味しく食べることができる。これは男の料理ポイントが高い。

が、今日ははしゃいで酒を飲みすぎた。絶対量としては大した量ではないが僕は許容量が少ないので辛い。

ダラダラ風邪

※この記事は『麦とホップ』を飲みながら書かれた。

東京に戻った頃からずっと朝に喉が痛み、鼻水が出る。ここ数日急に寒くなっているので風邪だろう。サクッと治したいのだがそう簡単にもいかない。

今日はボスの研究仲間が来日して大学院生向けにトークしてくれた。学習の話だ。我々は一度何かを学習すると、しばらくそれを使わなくても学習の結果は保持されており、再び使うときに素早く適応できる。このように「使わない学習結果をとっておく」機能はどのように実現されているかというのがテーマだった。この問題への回答となるモデルを提案したうえで実験参加者に3種類の学習を行わせ、モデルが正しければ生じるであろう結果のパターンを提示し、実験結果もそうなったという論法だった。

トークは英語だったが、心得がある領域の話ならそれなりにわかるし質問もできる。これは大事なことで「この領域の話ならそれなりにわかるし真偽の判断ができる」というものを持つことは大事なことなのだと思う。高須克也だって医療の話は間違えない。