『バーチャルさんはみている』に関する所感

バーチャルユーチューバーのブームには乗れずにいる。ねこますは好きだったが、彼の制作体制ではフェードアウトしていくのは必然だっただろう。どんな皮を被っても人間は人間だし、ほとんどの人間は面白くはない。面白くない人間が無理して面白いことをしているのを見る辛さはユーチューバーでもバーチャルユーチューバーでも同じだ。

だからドワンゴの新作アニメがバーチャルユーチューバーのアニメだと聞いたときは、「やはりか」という思いと同時に落胆した。新たに設立した制作会社の1作目でスケジュールが悪いという情報もかなり心配だ。エヴァコラボについても23年前のアニメを引っ張り出してきてそれを知っている世代に訴求する戦術は未来につながるのだろうかという疑問がある。

一方で中田ヤスタカの起用には驚いた。彼は現代の天才音楽家だ。僕の観測範囲の最近の作品では『透明人間』のサウンドトラックが良かった。すでに公開されているPVで彼の作曲と思われる音楽が聞ける。このためだけに視聴する価値があるほどの人選だ。

いろいろな思いはあるが、何はともあれアニメは見なければわからない。情報公開から2週間後には放送開始という凄まじいスピード感に驚いているが、1話が楽しみだ。

グリーグ:組曲「ホルベアの時代より」/モーツァルト:アイネ・クライネ・ナハトムジーク/チャイコフスキー:弦楽セレナード(モスクワ・ソロイスツ/バシュメット)

Spotifyで聞いたアルバムのレビューをしようと思ったんだが、いざタイトルを決めようというときにググラビリティを考えるとこうせざるを得なかった。
弦楽合奏のための曲が3曲収録されている。僕は3曲とも高校時代に演奏した。

グリーグ『ホルベアの時代より』

好きな演奏ではなかった。まず出だしの印象が悪い。第一楽章ははつらつとした曲なのに生き急いでいるような、それでいて陰のある表現になっていてなるほど新鮮ではあるのだが、この曲の魅力を引き出していない。ド→ソ→ド→ソと上昇してパートごとにスケールで急降下し、ヴァイオリンがユニゾンでメロディを演奏する最大の盛り上がりも奇妙に神経質な表現になっており爽快感がない。期待を外す面白みというのも確かに存在するが、ここではハマらなかった。

全曲を通して言えることだが、複雑なリズムパターンが正確に組み合わせることによって音楽が完成する仕組みになっているのにもかかわらず、速い演奏に固執して弾きとばしている箇所が多いのがよくない。

チャイコフスキー『弦楽セレナード』

細部への過剰なこだわりが鼻につく。だが第二楽章はそのこだわりがいい方向に作用している。パート内で統制が取れているがゆえにパート間の細かな掛け合いが高いレベルで完成している。低弦にメロディーが移ったときもスピード感があってよい。音楽の流れを重視するスタイルがロシアワルツに合っている。第三楽章も響きの美しさがプラスに作用していた。第四楽章はパワー不足だった。

モーツァルト『アイネ・クライネ・ナハトムジーク』

ここまでの評を見れば予想できるかもしれないが、この楽団のスタイルはモーツァルトに合う。おそらく各パートの人数が少ないのだろうが、透明感のある音色や正確な音程が流麗な音楽をよく具現化している。特に第四楽章はすべての刻みが明瞭に聞こえてきて気持ちが良い。

この部分の2ndの合いの手を弦を擦るゴリゴリとした音まで聞こえてくるほど強調していて驚いた。モーツァルトの技巧が隅々まで感じ取れるいい演奏だ。

Spotifyとクラシック

Spotifyはいい。曲数はApple Musicにやや劣るが、WebプレイヤーやLinux用のデスクトップアプリケーションが提供されている。「アニメ」ジャンルが存在しないのが不便だが、ユーザー間でプレイリストを共有する仕組みが発達しており、それで補っている。デスクトップアプリケーションで日本語入力ができないのは腹立つので早く直してほしい。

クラシック音楽はやたらと配信サービスに積極的だ。日本のポピュラー音楽だと2曲に1曲くらいは未収録だったり独自の配信サービスで独占していたりするが、クラシック音楽は95%くらいは探せば見つかる。調べたわけではないが、2つの要因が思い当たる。

第一の要因は物理CDが売れないことだ。クラシック音楽のファンはポピュラー音楽に比べれば少ない。一方で言語に依存しないので同じ演奏が世界中で売れる。となると流通のコストが抑えられる配信サービスのメリットが大きい。

第二の要因は過去の演奏の価値が減らないことだ。クラシック音楽はそもそも時代の流れに耐えた曲だけが残っているので、古い曲の価値が減るということはない。熱心なオタクはいろいろな演奏を渉猟して比較検討するのでどの演奏も細々とした需要が長く存在する。となると昔のCDを少しずつ生産し続けるよりは配信にしてしまったほうがやはりコストが抑えられる。過去の演奏の音質が悪いことは既に受け入れられているので配信音質でも問題がない。

LMMSでLinuxDTM

好きな曲を耳コピして遊ぶことがある。Windowsを使っていた頃はDominoを使っていたが、Linuxでどのソフトが適任かわかりかねていた。現状の結論としてはLMMSが良い。

LMMSはaptで入る。

sudo apt install lmms

特別最新版にこだわる理由がなければこれでよい。

LMMS初心者がつまづくのは音源だ。LMMSのデフォルト音源はよくない。なぜか入力と音高がズレているし、単純に音が悪い。プラグインのsf2 Playerを使ってフリー音源を読み込む。僕はFluidSynthとSGM-V2.01を入れた。

ググればそれぞれの.sf2ファイルが見つかるので、ダウンロードして~/lmms/samples/soundfontsに置いておく。

左端のバーからInstrumental pluginsを開き、sf2 Playerをソングエディタにドラッグする。するとトラックが追加されるのでクリックしてプロパティを開く。

FILEの右にあるフォルダマークをクリックし、先ほどダウンロードした.sf2ファイルをインポートする。その後PATCHの右のスパナのマークをクリックして音色を選択する。ソングエディタの黒い四角が並んでいるエリアをダブルクリックするとピアノロールが開き、後はDominoと同じ感覚で入力する。弱点はピアノロールに複数のトラックを表示できないことだ。

WindowsでできていたことのほとんどはLinuxでもできるが、DTMだけはできていなかった。しかしLMMSはきちんと使いこなせばDominoと同等のことはできそうだ。

なんでもかんでもLinuxでやるおじさんの次の目標はSteamゲーム『Hand Simulator』をやることだ。脳による身体のコントロールはそれなりに学んできたので、その過程を全部バラして自分の体を動かすことがどれだけ難しいかを再体験するゲームとして興味を持っている。

Steam Playを有効化すれば起動は可能なのだが、おそらくフォントの問題で文字が全く表示されず、ゲームを開始できない。

あと一歩のところまで来ている感じはする。以前は起動前のオプション画面ですら文字がなかったが、今は表示されるようになっているので改善も進んでいるようだ。

Linuxの未来は明るい。

 

第85回NHK全国学校音楽コンクールを見た

毎年10月第1週の3連休はNHK全国学校音楽コンクール(Nコン)を見る。

Nコンとは何かと言うと、合唱コンクールである。小学校・中学校・高校の3部門があり、課題曲と自由曲を歌う。県大会と地方大会を突破した11校が全国大会に出場する。全国大会はテレビで生中継され、金賞、銀賞、銅賞(2校)、それ以外には優良賞が与えられる。コンクールなので課題曲を比較すればそれぞれの学校の良さと甘さがはっきり見えてきて面白い。なお、過去3年分の演奏は公式サイトですべて公開されている。

小学校の部では日野市立七生緑小学校が6連覇を成し遂げた。小学生は体ができていないので大人と同じ発声はできないのだが、その中でも大人に近い正統派の発声を目指す学校と、子供らしい喉声で歌わせる学校がある。七生緑は後者のスタイルを取りつつ徹底した練習で音程や発声を完璧に揃え、圧倒的な完成度で優勝した。Nコンの審査員には文部省の教科調査官が含まれ、音楽教育の観点からも評価される。つまり子供の発達過程を無視して無理な発声をさせるよりは、その年齢にあった自然な発声をすることが好まれるのだろう。

中学校の部はNコンの目玉であり、J-POPのアーティストが課題曲を作曲する(賛否ある)。今年は豊島岡女子学園中学校が優勝した。中学校では他に鶴川第二、郡山五中が強豪として知られる。中学生だとそれなりに本格的な発声ができるようになるが、男声は声変わり直後でやはり不安定だ。合唱人口の男女比もおそらく女子が多いだろう。その結果全国大会では女声合唱が多い。豊島岡は自由曲に比較的簡単な曲を選び、ソフトな発声と丁寧な発音で完成度を高めることが多い。先述の教育的観点から評価が得やすい戦略だろう。鶴川第二は自由曲での大胆なパフォーマンスが、郡山五中はクラシックの伝統を踏まえた正確かつ流れを重視した演奏がそれぞれ特徴だ。

高校の部はあまり詳しくない。課題曲がいつも衒学的というイメージ。

学生の部活は社会人の趣味よりも練習時間が取りやすく、アマチュアとしては非常に高いレベルに達することが多い。学生第一で進められることが前提だが、良いことだと思う。僕も吹奏楽や弦楽合奏、オーケストラなどをやっていたが、住環境の問題で練習ができなくなりフェードアウトしてしまった。都内暮らしが続く限りは再開は難しいだろう。音楽系の趣味は練習環境が大きなコストとなる。書きながら関係あるようなないようなtogetterを思い出したので貼っておく

そう言えばツイッターのロックは解除できそうにない。自分の電話番号を登録してあるアカウントを見つけて登録を解除しないと今のアカウントを復活できないのだが、bot制作などで大量のアカウントを作っていてそのアカウントを見つけられない。

そもそもこのようなザルルールでユーザーをロックしてしまうのは、ユーザーが多すぎて正確なスパム判定をすることができないからだ。ツイッターの一極集中構造上これは仕方ない。フォロワーに強制的に文章を送りつけることができるというツイッターの利点は認めるが、ツイッター以外でも意見の発信は可能だ。ツイッターと離れるときが来たのだと思ってしばらくは放っておこうと思う。ブログ更新はFacebookで発信する。と言っても毎日更新しているが。

白浜坂高校合唱同好会演奏会「歌おう!いつの日も。」に行った

白浜坂高校合唱同好会

素晴らしかった。めっちゃ泣いてた。

歌が上手い

アマチュア合唱団とは思えないレベルだった。音程も音量も不安がない。音量があると音に強弱をつけやすくなる。そして適切に強弱をつけることでフレーズは聞きやすくなるし、楽曲全体の構成も把握しやすくなる。アニメソングはワンコーラスで完結するように、そしてサビだけでもアピールできるように全力and全力で歌われるが、合唱版では構成を意識して丁寧に盛り上げていてよかった。

音程や音量を自在に操るフィジカルを作ることも、その表現を団全体で統一することも一朝一夕にできることではない。取り上げる曲がアニメ曲だろうが何だろうが関係なくて、アマチュア音楽家としてまずそこに敬意を表する。

編曲がいい

いいんだよなあ。印象に残っているのは『光るなら』と『P.A.WORKSメドレー』。

『光るなら』の編曲は田中達也さん。原曲のサビは強拍の先取りを連打する勢いの良い音型になっているが、合唱版ではピアノがリズムよりも横の流れを重視した裏メロディを演奏していて原曲とはかなり違う趣になっている。このように曲の魅力を新たに開拓するような編曲は良い。コードも原曲とは違うシャレオツコードが仕込まれていて、原曲の同じ音型を繰り返す元気の良さとは違う、音楽が展開していく面白さが生まれている。

『P.A.WORKSメドレー』の編曲は名田綾子さん。

伴奏が連弾になっているのがとてもいい工夫だった。合唱の伴奏となるとリズムやベースなどどうしても必要となる音があって、手が2本しかなければ原曲の音を減らさざるを得ない。しかし伴奏を連弾にすることによって手が4本になり、原曲を徹底再現したりアレンジしたりと自由度の高い充実した伴奏になっていた。メドレー形式なので曲と曲の間をピアノがつなぐのだが、その部分がどれも聴かせる演奏で良かった。

構成もいい。『アンデスチャッキー』で緩めたあと『Bravely You』で緊張して、『虹を編めたら』で若さやそれゆえの苦しさを思い出して『Morning Glory』で自由なビートを感じて、最後に『ウィアートル』でそれも全部人生だねってまとめるのが良かったし、マキアという一人の人間に寄り添った『さよならの朝に約束の花をかざろう』の主題歌がソロではなく合唱という形式で歌われた瞬間、『さよ朝』という作品が全く違う姿に見えた気がした。

演出がいい

ちょっとテンション高すぎて不安になるくらいのMCだったり、TARI TARIの世界観を踏襲した演出だったり、どれも凝っていた。開演のチャイムが『心の旋律』だったのもニクい。演奏中も演奏の間も、まず演奏者が第一に楽しんでいることが伝わってきてこちらも楽しくなった。

よかった

よかった。とてもよかった。生で聴けてよかった。所沢は遠かった。

ドビュッシー

※この記事は『極搾り ピーチ』を飲みながら書かれた。

今日は友人がドビュッシーのフルート・ヴィオラ・ピアノのためのソナタを演奏するというのでそれを聞きに行ったあと、大学に行って作業をした。防音室は暑いし酸素が薄い。危険。

参考になるろくな論文が見つからなくてキレそうだが適当にセッティング変えたらそれっぽいような、でもやっぱりおかしいデータが出てきて首をひねっている。

モーツァルト『ピアノ協奏曲第20番』

※この日記は『アサヒ スーパードライ』を飲みながら書かれた。

モーツァルトは天才作曲家である。彼は貴族の家のBGMを作曲するのが主な仕事だったので、楽しく華やかな曲が多い。そんな中にあって、短調の暗い曲の中にも『交響曲第25番』『交響曲第40番』など優れた作品がある。僕が一番好きなのは『ピアノ協奏曲第20番』だ。

第1楽章は伝統的な協奏曲の形式に則り、まずオーケストラのみで第1主題・第2主題を提示する。その後おもむろにピアノソロが入り、再び第1主題・第2主題を提示する。僕はピアノソロが入ったあとの第1主題の提示部分が大好きだ。4小節遅れて入ってくるピアノの16分音符の緊張感といったらない。

以下の演奏はモーツァルトの大家である内田光子のものだ。入りの部分で非常に気をつけて小さい音でオーケストラにそっと寄り添いつつ、シンコペーションで拍感が弱いオーケストラに対して16分音符という最も細かい音符を一つ一つ明確に鳴らすことで音楽の流れを支配している。僕はこの部分を聞くと、疾走する夜行列車(オーケストラ)の後ろを異形の怪物(内田光子ピアノ)がたくさんの足を蠢かせながら音もなく追ってくる情景を思い浮かべる。

内田光子の演奏ではピアノが入ってから4小節間の起承転結が綿密に計算されている。弱く入って少しずつ存在感を増すが、3小節目の最後でわずかに力を抜いてスピードも落とすことで4小節目の主和音への解決を促す。ただし4小節目でも音量を落とし過ぎないことで次の4小節間に自然に繋がるようになっている。

第3楽章の話もしたかったが、分量が多いのでそのうちする。それにしても内田光子の演奏中の顔は迫力がある。人間はいろんな機能が雑にくっついちゃってるので、指先で複雑な表現をしようと思ったら顔まで動いてしまうのだろう。

散漫

今日は妙に集中を欠いた一日だった。つまり散漫だった。

研究発表を聞いても全然理解できなかったし、自分の発表準備も進まなかった。残念だがそういう日もある。研究は頭を使う作業であり、その効率を無理やり上げようとするのは難しい。集中力を用いずとも何かしら手を動かせば研究が進むというのならそれをしてお茶を濁すが、現段階ではそういうタスクはない。

その原因は昼のミーティングが英語だったからかもしれない。僕は日本語に比べて英語が苦手だ。英語を理解するためには集中を必要とするし、英語を話すためには準備時間を必要とする。母語が英語でないというのは不便なことだ。

昨日大きなことを言ったばかりだが、ブログに何を書くべきかわからなくなってきた。6月から書き始めてそろそろ3週間になる。目新しい話題もない。かと言ってこのままブログをフェードアウトしてしまうのは惜しい。というわけで音楽の話をしようと思う。僕という人間が出涸らしになるまではすこしずつ新しいネタを出していく。その先に何かが見つかるかもしれないので。

最近よく聴いているのはラフマニノフのピアノ協奏曲第3番だ。

この曲で最も有名なのは第3楽章のラスト、ピアノがA→Dの和音を連打する感動的なフィナーレの部分だ。最後の盛り上がりの部分なのでピアニストは最大限の情感を込めてテンポを揺らすが、楽譜を確認してみると面白いことがわかった。

この部分は6/4拍子、つまり2拍子と3拍子の複合なのだ。貼ったブロンフマンの演奏はこの3拍子の感覚をあまり捉えてはいない。A→Dが遅すぎるし、D→Aは速すぎる。ここで作曲者であるラフマニノフ自身の演奏を聴いてみる。

テンポを揺らさずに正確なリズムで和音を打っており、それによって4回のA→Dがひとつの連続体として聴き取れる。

もちろんブロンフマンが巨体を浮かせながら鳴らす爆音はそれ自体がエモーショナルで、一つ一つの和音の充実した響きを存分に聞かせる彼の演奏にも魅力はある。しかし僕は繰り返し打ち鳴らされる和音の間にしっかりと時間の流れ、3拍子ならではの前に進んでいくエネルギーを感じさせるタイプの演奏のほうが好きだ。