Kyashを止められて復活した/cilliaとしらスタ

Kyashを止められて復活した

昨夜Kyashで映画のチケットを取ろうとしたら僕のKyashが凍結されていた。調べてみるとよくあることらしい。違反行為に心当たりなどない旨を届け出たところ、今日には凍結が解除された。あっさり止めて、チェックしたらすぐ戻すというのはいかにも今風のスタンスだと思った。

Kyashはスマホアプリであり、支払いサービスだ。クレジットカードやコンビニ支払いなどでKyashにお金をチャージする。各ユーザーにはVISAの番号が付与されていて、チャージした範囲内でデビットカードのように支払いを行える。クレジットカードによる自動チャージを登録しておけばチャージを気にする必要はない。現金じゃないのに「キャッシュ」なのでとても迷惑なネーミングだ。

そんなことをして何のメリットがあるのかと思うだろうが、2%という無視できない量のポイントがつく。どこでどういう仕組みで価値が発生しているのかイマイチわからないが、とにかくKyashの運営者はがっぽり儲けていて、2%ものキャッシュバックを行うことができる。

実はわからなくもない。店から手数料を取っているのだ。店はKyash支払い対応というメリットを買い、それによって集客力を高めている。

cilliaとしらスタ

cilliaというボカロ調教師がいる。ボーカロイドを人間らしく発声させるためには繊細な調整が必要であり、cilliaはそれが超うまい人だ。彼女が米津玄師の『海の幽霊』をカバーした動画がこれだ。

さらに、しらいしりょう(しらスタ)というYouTuberも紹介したい。彼はボーカルトレーナーであり、いろいろなヒット曲の歌い方を分析してわかりやすく説明する動画で支持を伸ばしている。

ボカロに歌わせるのも人に歌を教えるのも、人間が陥りがちなミスを防いで意識的に表現を組み立てていかねばならないという点では同じだ。全然違う方向から知った2人が同じようなことをしているのがなんとなく面白くて紹介した。

既存の作品をコピー・カバーするだけのものでもそこには必ず自分の色が加わるので世界の人々にはどんどんそういう遊びをやってもらってニコニコ動画に投稿してほしい。

 

久々のクソヨッパ/『喜びの島』

※今は18日の47時だ。

会社の古株の人たちと食事をする機会があり、昔の話や今がどう見えているかなどを聞いた。僕の長所も視野の狭いところも指摘してもらって勉強になった。

12時過ぎに帰宅した。帰り道を歩くのはそれほど苦ではなかったが、それでアルコールが回ったのだろうか、帰宅してからかなり酷いことになってしまった。まず1時間床で寝て、その後猛烈な悪寒と乾き、吐き気に襲われた。真面目に救急車を呼ぼうかと考えたが、そんな大事ではないだろうと迷いつつひたすら水を飲み続けたら1時間くらいで落ち着いてきて、朝には軽い頭痛が残るだけだった。

ここまで酷い酔い方をしたのはM1の秋に助教と限界紹興酒バトルをしたとき以来だ。ちなみにそのときは同期にタクシーで家まで送ってもらった。しばらく酒をやめようとも思うが、毎日平和な量を飲むことを避ける必要はなく、むしろ3ヶ月に1度であっても健康を害するレベルで飲むことがよくないのだ。これは習慣ではなく確率の問題であり、回避するのは難しい。

25歳になって酒の飲み方もわからないのが僕だし、命の危険を感じても救急車を呼ぶという行動すら起こせないのが僕だ。極限の体験はその人間の限界を浮かび上がらせる。

「浮かび上がらせる」で思い出したことがある。中学生の頃、吹奏楽部でドビュッシーの『喜びの島』という曲を演奏した。ドビュッシーはフランス人なので楽譜の指示にもフランス語が使われていて、そこに「dehors」という言葉があった。馬鹿正直に調べると「外側で」という意味だが、演奏の指示で「外側で」では意味が通らない。

翌日先輩の楽譜を見ると「浮き立たせて」とメモしてあった。なるほど、わからなくもない。翻訳というのは面白いものだと思った。

『喜びの島』は本来はピアノの曲だ。吹奏楽は比較的新しいジャンルなので吹奏楽のために書かれた曲というのは少なく、それゆえクラシックの名曲を吹奏楽に編曲して演奏することがよくある。編曲は悪いこととは思わないが、しばしばコンクールの時間制限のために原曲の意図を無視したカットが行われる。これは良くない。良くも悪くも吹奏楽というのは学校の部活が中心であり、学校の部活というのはコンクールが中心になる。その弊害だ。

この曲の特徴は全音音階だ。普通音階というのは1オクターブを12音に区切って7音を取り出して使うのだが、全音音階では1音飛ばしで6音を取り出して使う。すると全ての音と音の間隔が同じになり、独特な雰囲気が生じる。

ニコ動で適当に探していたら素晴らしい演奏を見つけたので貼っておく。フランスの曲というのは本気にならず気まぐれな態度で演奏するのが良いんだ。

自己管理とサーバ管理

昨日急に健康意識が高まったのでスマホにGoogle Fitを入れた。万歩計のすごいやつで、歩行以外の運動も記録できる。僕は歩くのが早いので通常歩行が強めの運動に分類され、10ポイントが目標のところ43ポイントだった。歩数は6369歩で消費カロリーは1454kcalだった。

早歩きでポイントが貯まると聞くと無意味に早歩きして帰ったし、普段帰りはエレベーターで4階まで上がるが今日は階段で上がった。数値化して可視化することには強い力がある。

気に入らないのはGoogleのアプリだということだ。Googleに情報が集中する現状は気に入らないが、彼らが最も優れたIT企業であることは間違いない。最低限の機能の万歩計くらいなら自分でも作れるだろう。でも運動の激しさを判定したり位置情報と連携したりといった高度な機能を高精度で作れる気はしない。

ブログを書こうと思って管理ページにアクセスしたら異様に重くなっていた。サーバにssh接続してvmstatを実行するとディスクアクセスが多い。さらにtop -b -d 1 -n 1を実行するとCPUを占拠しているのはjavaだった。理由のアタリはついていて、昨日playのアプリケーションをDockerでデプロイするときに起動コマンドをsbt ~runにしてしまっていた。~をつけるとファイルが変更されるたびに自動で再コンパイルを行う。外すと負荷は収まった。

のんびりと地域を味わう休日

※この記事は『麦とホップ』を飲みながら書かれた。

↑炭酸の刺激が弱くて香りが強い。食べられない草を食べているような味がする。

今日はのんびりしていた。ゆっくり起きて(それでも学生時代よりは遥かに早いが)Dota2を何ゲームかして、洗濯をした。花粉のシーズンが終わったので洗濯物を外に干した。ベランダがあると便利だ。この過程でベランダ用スリッパと洗剤の補充が必要だと思ったのでランチがてら買いに行くことにした。

と言っても15時ごろで既に大抵の店はランチ営業を終えてしまっていたので蕎麦チェーンの『文殊』に行った。安いし早いしそれなりに美味かったので良かった。

その後近くの休憩スペースにぼーっと座っていた。そこにいるハトがどいつも毛がボサボサで汚くて不思議だった。喫煙所が近くにあったことと関係があるのだろうか。

スリッパは買えたが安物だったので履いたらきつかったし脱げやすかった。100円はさすがに安すぎた。洗剤はいつも使っている銘柄が売ってなかったので他の店を探す。

帰宅してサザエを見て夕食を食べて銭湯に行った。行きつけの銭湯は行くたびに入浴剤が変わっていて面白い。前回はマンゴーで今回はビールだった。

いかにも日記らしい日記だがまとまりがない。必要ないか。

『アイ・アム・マザー』を見た

※この記事は『Asahi DRY ZERO』を飲んで書かれた(!)。

ブラウザをVivaldiに切り替えることにした。Chromeの独自機能は使えなくなるのでパスワード管理をBitwardenに移行し、いろいろなサービスのパスワードを登録していった。その作業中にNetflixを開いたら面白そうな映画がサジェストされ、そのまま一気に見てしまった。

アイ・アム・マザー』はつい最近Netflixで公開された映画だ。

人類滅亡後に始まったヒト再生作業。そのすべては、1人の少女から始まった。そして、彼女はアンドロイドを母と呼ぶ。

冒頭、保存されていた胚が育成機に入れられ、女の子が誕生する。その子が機械で完全に制御されたシェルターの中でアンドロイドの「母」に育てられるシークエンスが素晴らしかった[note]冒頭8分くらいまでなので見てから読んでもらったほうがいいかも知れない[/note]。なおキャラクターに名前はないので「母」「娘」と表記する。

「娘」が泣き止まないときは「母」の腕に埋め込まれた音楽プレイヤーで子守唄を流す。どの曲が気に入るかわからないので少し聞かせては別の曲に切り替えていく。一緒に折り紙をすると「母」は素早く複雑な動物を折るが、「娘」は下手だ。しかしこの巧緻も人間とロボットという対比にならない。なぜならシェルターには「娘」と「母」しかいないからだ。一個体ずつしかいないのだから「娘」と「母」の違いにしかならない。

泣き止まない「娘」に人形を与えるときに、「母」が人形を飾り気のないビニールの包装から取り出すシーンも印象的だ。布で作られた人形は「母」やシェルターの内装とは全く違う質感を持っている[note]直後に「娘」が機械の体の「母」に抱かれているカットにつながる落差がすごい[/note]。そんな柔らかで情緒的なイメージを持つ人形というアイテムすらここでは消費される道具であり、機械によって必要となることを見越して備蓄されていたのだ。

僕は普段から人間の価値を疑っている。人間は自然の法則に従ってタンパク質やら何やらが組み合わさっただけの存在であって、その行動も全て自然の法則から演繹的に理解可能だ。ただそれが複雑すぎて「まだ」解明できていないにすぎない。つまり科学のレベルを上限値まで引き上げていいSF作品ならば人間を完全に理解し管理することは可能だ。[note]ちなみに大学院の指導教員に「いずれ人間は完全に理解されるのではないか」と質問したら「そんな世界で人間は生きられるのだろうか」と答えられたことは強く印象に残っている。[/note]

アンドロイドが子育てをするシーンは、そしてもっと広く言えば機械化されたシェルターで人間が生きるという描写はまさにそれだ。機械化とは合理化であってそこでは必要なものと不要なものが峻別されるのだが、その過程で「必要とは何のための『必要』なのか」という疑問に巻き戻される。その疑問に無理やり答えを出そうとすると、人間存在に目的を設定し、手段として扱うことになるだろう。(たとえば家畜には肉や卵を生産するという目的がある。それができなければ殺しちゃうよね)。誰かがこんな話をしていたと思って軽くググったらカントだった。

本作で言えば優しい子守唄も楽しい折り紙遊びも健全な成長という目的に回収される。「娘」の育成にはさらに隠された「目的」があるだがそれは自分の目で確かめてほしい。

僕は職業柄技術ファーストでものを考えがちだが、倫理的な視点も兼ね備えていないと人間にできることの幅を広げても人間を幸せにはできないのかもしれない。

目的のない行動をとれる不合理性こそが人間らしさである、そう結論づけるのは簡単だ。しかしNetflixのAIにレコメンドされるままに映画を見て感想を書いている(書かされている?)僕にそれを言う資格があるのだろうか。

15%

※今は14日の36時だ。

6%の酒を飲んだあとに9%の酒を飲んでひっくり返っていた。

部の新人自己紹介で日記を毎日書いていると言ったその日に遅延してしまうのは悲しい。しかしトータルで年365記事出ていれば多少の遅れはオッケーとしている。

初めての人と会うとよく「落ち着いている」と言われる。僕は落ち着いているらしい。

そんな書くことない。

ラーメンを食べられなかった

※この記事は『金麦』を飲んで書かれた。

今日は仕事がしんどかったので帰りに不健康なラーメン(僕の中ではこの言葉は家系ラーメンを指す。なぜなら二郎系は野菜たっぷりで健康的だから)を食べて帰ろうと思った。同僚が「この辺にぃに美味いラーメン屋、あるらしいっすよ」と言っていたのでそこに行った。しかし残念なことに夜はライスが有料だった。

僕は家系ラーメンではライスは2杯〜3杯食べる。にんにく系の味と豆板醤系の味をそれぞれ楽しみたいからだ。

結局ラーメンは食べずに帰宅して焼きそばを食べた。最近は粉ソースではなくさらなる高級感を求めて液体ソースを使っているが、これも特段美味いということはない。そもそも相当な量を入れないと味がしない。そしてコストパフォーマンスが低い。

温度記録サーバはとりあえず公開できた。僕の自宅の気温・湿度・気圧を記録し続けるだけのサービスだ。

https://gyokuro.chao.tokyo/temperature

ちなみに過去ログには以下のような形式でアクセスできる

https://gyokuro.chao.tokyo/temperature/1994/05/17

サーバはScala + Play FrameworkをDockerでデプロイ、センサはRaspberry Pi + BME280でPythonのRequestsライブラリを使ってサーバにログを送信している。計測環境は鉄筋コンクリートでエアコンや換気扇で温度管理していて、Homo sapiensが1匹住んでブログを書いたりしている。

会社員化

1日8時間会社で働いてると書きたい話も自然と会社絡みの話になってくるんだけど、社内情報はどこまで喋っていいのか不安なんだよな。一応就業規則に書いてあるけどどの情報が該当するか定かではないし判例(?)とかも知らない。とりあえず新機能出たのでよろしくお願いします。

今日は会社が契約しているカウンセラーとの面談があった。カウンセラーは社員ではないがずっと弊社と契約していて事情も文化もよく知っているらしい。最近の僕は大学時代に比べると驚くほど精神的に安定しているので特に問題なく進み、睡眠・有酸素運動・太陽・入浴を勧められて終わった。入浴は頭の痛い問題だ。一人暮らしで入浴となると水もガスも大量に消費する。財布にも環境にも悪い行為だ。

退勤後急いで上野TOHOに行って『海獣の子供』2回目を見てきた。今度は鑑賞前にパンフレットと画集を買った。パンフレットはインタビューが充実していて当たりだったが画集は本当に背景画がひたすら載せてあるだけだった。時系列なので映画の流れを思い出す助けにはなるが情報量としてはイマイチだ。映画は2回見てもわからないものはわからなかった。

任天堂の音楽

※この記事は『金麦』を飲んで書かれた。

なにやら任天堂の発表会があるらしく、プログラムを書きながら聞いていた。任天堂が世界に冠たる企業であることは知っているし、その作品が高く評価されていることも知っているが、僕は任天堂のゲームをあまりやったことがない。というかゲームをあまりやったことがなかった。強いて言えばポケモン赤とポケモンホワイトはどちらも発売からかなり経ってからやったが、ネタバレを知った状態だったしそれほど熱心ではなかった。

その程度の任天堂認識の僕だったが、Nintendo Directはどのゲームも音楽が素晴らしく聞いているだけで楽しかった。大してゲームをやっていない僕でもどこかで聞いて覚えている音楽がたくさんあったのはすごいことだ。

なにか任天堂のゲームをやってみようか。と思っても任天堂のキャラクターをあまり知らないので何をやれば楽しめるのかよくわからない。もう出来上がっている世界観に参入するのはハードルが高く感じる。年をとってしまった。遊ぶ時間もそんなにないし。

仕事が始まり始めた

※この記事は『金麦』を飲んで書かれた。

配属されたのでぼちぼち仕事っぽい仕事をしている。ただしまだ軽い仕事を回してもらって手順を覚えている段階なので「仕事を始めた」と言えるほどのことでもない。一日中パソコンを触ってお給料を発生させる気分は最高だ。

帰宅してScalaで書いている温度管理サーバの作業を進めた。ScalaはJavaの上に作ることで構造が汚くなっている部分もあるが、Javaの財産を活用できる恩恵は大きい。

本格稼働ではないがサーバに載せた。載せたはいいがディレクトリトラバーサル(←このまえ習った)食らいそうなAPI設計なので安全が確認できるまでURLは秘密です。ひさびさにnginx_proxyの設定を思い出す必要があった。地味にdocker-composeは使ったことがあってもただのdocker runは全然したことがなかった。とは言っても記法が違うだけでやれることは似たようなものだ。環境変数を指定したり、ポートを開けたり、ボリュームをマウントしたり。

こんなコマンドを書いたわけだが-eを連打するくらいなら当然.envファイルを使うべきだ。というか自分でDockerfileを書いてイメージを作るべきかもしれない。

梅雨だ。通勤ルートに徒歩の部分が多いので憂鬱だ。傘を差していても靴は濡れるのでいっそのこと長靴で通勤して会社で履き替えようか。なんて考えているうちに梅雨が明けてしまいそうだ。水筒だって買ったはいいが配属されたら近くに給茶機があるので必要なくなってしまった。トイレに行って帰りにお茶を汲んでくると、自分が単なる濾紙になったような気分になる。人間は情報を取り入れて適切に運動するだけの機械なので似たようなものだが。ステートフルかどうかは議論の余地がある。