ドビュッシー

※この記事は『極搾り ピーチ』を飲みながら書かれた。

今日は友人がドビュッシーのフルート・ヴィオラ・ピアノのためのソナタを演奏するというのでそれを聞きに行ったあと、大学に行って作業をした。防音室は暑いし酸素が薄い。危険。

参考になるろくな論文が見つからなくてキレそうだが適当にセッティング変えたらそれっぽいような、でもやっぱりおかしいデータが出てきて首をひねっている。

未来のミライ

面白かったよ。これまでの細田作品から継承する部分もあれば、そうでない部分もある。

明日・明後日も大学に行って実験の調整をする必要がありそうだ。

自傷

※この記事は『STRONG9 グレープ』9%350mlを飲み干した直後に書かれた。

人生無理。人類は今すぐ社会を捨てて狩猟採集時代に戻れ。吐きそう。

スパゲッティ回帰

※今日はほんのちょっとイタリアの果実酒を飲んだが、量が少ないのでノーカン

スパゲッティが送りつけられてきたので、最近はスパゲッティを食べている。考えてみればスパゲッティは乾麺なので、人に送りつけるには適している。

実は、昔はスパゲッティをよく食べていた。安いし楽だったからだ。しかし焼きそばは調理時間・コスト・栄養の全てでスパゲッティを上回っていたのでやがて焼きそばに移行した。しかし焼きそばの習熟度が上がるにつれて自分への要求が高まり、調理工程が複雑化した。現在では初期に比べて調理時間は3倍程度になっている。

なので現時点ではスパゲッティは調理時間の面でアドバンテージがある。茹でている間は放っといていいというのも大きい。また、コストはかかるもののいろいろな味のソースを買ってくることで変化をつけられるのも利点だ。

研究はヤバい。学会に出ることになったが、要旨の提出期限が近い。しかし本番までは時間がまだ残っている。何かしら喋るネタは生まれるだろう。ここを耐えれば、夏明けの進捗発表で話す練習にもなるんだから。

次回、「ちゃお死す」。デュエルスタンバイ!

イタい中学生ではないが、僕はよく死について考える。自分の死だ。

今日僕が自殺したら、知人はどんな反応をするだろうかと考えるのは楽しい。多くの人が僕の死因を推測しようとするだろう。その思考をトレースするのだ。ある人は研究が辛かったのだと考えるかもしれないし、またある人はもともと僕にはそういう傾向があったと考えるかもしれない。そんなことを推測するのは意味がないと気づく人もいるかもしれない。死ぬことによって自分が主役の葬式というパーティが開かれることに幼稚な興奮を覚える。

死んだ理由を考えるのは無益だ。なぜなら人は必ず死ぬからだ。76年後に来るはずの死が(僕は100歳まで生きる)今日来たという事実にどれほどの意味があるだろう?僕が世界(世界とは?)を変えるような天才だったら意味があるかもしれないが、僕は違う。これは言い換えると今日から76年間生きることに意味などないということだ。

僕はなんで生きているのか。「なんで」という言葉にはいろいろな含みがあるが、理由を問われれば「まだ死んでないから」ということになるし、原因を問われれば両親が産みたかったからだ。死ぬまでにやってみたいこととか、特にない。既に経験していることならそれを思い出せばいいし、まだ経験していないものの魅力は知らないからだ。しかし「だったら今死んでみせろ」と言われるとそれは結構困る話で、死ぬこと自体はよくわからないが死ぬ直前はたぶん痛いし怖い。誰だって痛くて怖いのは嫌だ。逆に全く予期しないうちに認識も感覚もないまま死ぬならそれはそれでいいかなと思う。

そんなわけで熱中症になったり飢えたりしないためだけに今日も生きてます。

バカと煙

冷たい空気は体積が減少し、密度が増加し、その結果温かい空気の下に潜り込む。つまり高い場所は暑い。どういうことかというと、自室で冷房を使っていてもロフトベッドの上はあまり冷えないのだ。そして睡眠の質が低下する。

例年布団を床に降ろして寝ているが、今年は床が汚すぎて無理だ。掃除をする能力を失った。たぶん引っ越すまでちゃんと掃除しないと思う。今の部屋は15㎡だがロフトベッドと収納スペースがあるので実質はもう少し広い。しかしこの広さの部屋すら持て余している。どうせ自宅では寝てるかデスクに座っている。

『ビッグバン・セオリー』のようなシェアハウスに興味がある。共用のリビング・バスルームに寝室が2つ。しかし東京だと2人で家賃を出し合っても大した物件には住めないだろう。東京の過密は許しがたいが、過密であることに価値が発生してまた人が流入するのでどうしようもない。そもそも集まって暮らすのは合理的だ。

住居という概念は今後アップデートされることはあるんだろうか。自分が自由にできる安全な空間が必要なのは本能的な欲求だろうが、その手の身体・空間的な感覚はVR技術でハックできそうだ。VR出社なんてその萌芽ではないだろうか。

スポーツ

※この記事は酒を飲み尽くして買ってきた『伊右衛門』を飲みながら書かれた。静岡県出身の私に言わせれば「お茶」を名乗るペットボトル飲料はお茶(一般名詞)ではなくちょっと渋いアミノ酸飲料でしかない。

スポーツは特にやりこんだ経験はない。しかし見るのは好きだ。上手い解説があれば選手がどのような意図でどのような選択をしたかわかり、それが成功したりしなかったりするのはドラマがある。

僕がスポーツをそのような目で見られるようになったのはゲームの影響だ。スマブラDXのガチ対戦に興味を持っていた時期があり、そこで格闘ゲームにおけるリスクとリターンの考え方を知った。ゲームは現実の単純化であり、行動の選択や反応速度などの要素は残っているが、たとえばキャラクターの耐久力や一つ一つの技のスピードは絶対に変えられない。そのような単純化されたモデルを通じて人間対人間のおもしろみを知った。

ワールドカップの決勝戦が今終わった。サッカーの目的はボールを相手のゴールに入れること。そのためにいろいろな方法で相手の守備を剥がして枚数有利を作るか、あるいは速くて正確なシュートを打つ。チームが整然と機能するのは美しいが、それをエムバペのようなスーパースターが個人の力で打ち破っていくのも爽快感がある。

さきほども少し触れたが、素人がプロの勝負を楽しむためにはうまい解説が必要不可欠だ。どんな分野でも、達人の勝負をエンターテイメントに転化する解説者の存在は重要だと思う

ポケモン

※この記事は『アサヒ スーパードライ』を飲みながら書かれた。

今日は友人とポケモンの映画を見てきた。映画の感想は取り立てて語るほどのものではなく、夏のキッズ映画でポケモンブランドならこんな感じだろうという出来だった。

気心のしれた友人と映画を見るのは楽しい。鑑賞前に世間話をしながら作品への期待を語るのも楽しいし、鑑賞後に飲食店に長居してパンフレットを読みながらああでもないこうでもないと語るのも楽しい。

そういう友達を、僕はいつまで失わずにいられるだろうか。数日前に国家公務員志望の友人も就職を決め、同学年の友人の進路はほぼ決まった。就職して東京を離れる人もいるし、多忙で会えなくなる人もいるだろう。10年もすれば半分くらいは結婚して家族が第一になっているだろうし、残りの半分もいつまで大学時代の友人と関わってくれるかはわからない。

職場で趣味の友人を見つける…?あまりイメージできない。人生で激しく環境が変化する時期は終わりつつあって、目の前には76年間(僕は100歳まで生きる)の平坦な道のりが見えている。

もしかして人生が退屈になるからみんな結婚して子供産むの?

トンネルを抜けると完成であった

※この記事は『アサヒ スーパードライ』を飲んで腹痛に耐えながら書かれた。

ずっと小さい不具合に悩まされ続けてきた実験プログラムだが、今日唐突に完成した。シリアル通信に関する小さい問題を一つ修正した後、次は何をすべきだろうと考えたのだが、何も見つからなかった。なにか見落としがある気もするが、まあこんなもんだろう。

と言ってもプログラムが書けたら終わりではない。自分や身内で何度か実験を行ってパラメータを調整、実験参加者への説明方法などを確定させたうえで、先行研究から予想される効果の大きさを確実にキャッチするために必要な参加者数を計算、リクルート、謝金支払い。そして実験が終わったら分析してまとめてさらなる実験が必要かどうか判断する。

気が遠くなるほど遠い道のりだ。ガチで気が遠くなるというか率直に言って不安になる。研究は怖い。早く大学院を脱出したい。

迷宮入り

※この日記は『プレミアムエビス』を飲みながら書かれた。

実験用プログラムの制作が難航している。仕様をそれほどかっちり決めずに作り始め、途中で増改築を繰り返しているので僕の記憶能力に頼った開発になっていて良くない。

僕は人間の能力というものを信用していない。僕の集中しているときの感覚はメモリに多くの情報が展開され、それらを自在に出し入れしているような感じだ。しかしその脳内メモリは脆弱でいつ消えるかわからない。そういうあやふやなものに頼って作業をするのは不安なので人はメモを取る。計画を立て、記録を残す。そうすれば他人と工程を共有することもできる。個人の思考力に頼ってよい、頼らざるを得ない場面は非常に限られている。

なんで世にプログラミングが必要とされているかというと、書かないと決められないことがあるからだと思うんだよね。完全に100点の仕様書が人間に書けるのであればプログラミングという仕事は必要なくなると思うが、その仕様書はもはやプログラムと同等の難解さになっているはずだ。つまりどこかの段階でめちゃくちゃ細かく仕様を決めなくてはいけなくて、現状それはプログラムを書くという段階に委ねられている。知らんけど。

酒が足りねえ。