大分無理

おおいたではない。僕は特に大分県に関わりはない。正直に言えば場所も正確には覚えていない。小学生の頃には都道府県の場所は覚えていたし、県庁所在地も主要な山河も覚えていたが、もう忘れた。

今日は大分辛かった。長く研究室にいても進捗は微々たるもの。特に進められない理由があるわけではないが、集中できない。食堂で食うものは選べないし、階段は登れないし、いつもはなんとも思わない暗い廊下が怖いし、なんでもないことでものを放り投げて暴れたくなるし、帰り道は自転車で小さい子供を轢いてしまえば救われる(何から?)のではないかと考えていた。

自分が病気なのかどうかはどうでもいい。真っ当なことを考えて真っ当に作業を進められるようになりたい。昔のことが思い出せない。僕は普通に生きていた気がするんだが。

今日のUI心理学

1.3は目標によって知覚が変わるという話。元気がないので有名なアレを貼って終わりにする。白のチームが何回パスするか数える。

人間、見ようと思ってないものはマジで全然見えてない。注意の「目標の情報処理を加速する」という機能はそれ以外の情報処理を切り捨てることと表裏一体だからだ。「change blindness」「choice blindness」でも面白い現象が見つかるのでググッて。

カメラを止めるなを見られなかった

ふと思いついて見に行こうかと思ったが、大人気らしく当日いきなり行っても無理そうだった。

最近気づいたのだが、Netflixは他のユーザーの存在がほとんど見えない。作品のユーザーレビューはかなり深い場所に隠されており、積極的に読みたがる人しか読まない。SNSシェアボタンもない。多くのwebサービスが「コメント欄」を実装しているなかでちょっと異色に思える。と思ったけどdアニメストアもなかった。

連続再生を意識したOP・ED自動スキップもそうだが、Netflixはユーザーをコンテンツに没頭させ、まとまった時間を使わせることを目指しているようだ。SNSによる口コミ拡散を狙わないのはオリジナル作品に注力していることとも結びつく。

Netflixのビジネスモデルは加入させることと退会させないことが両輪になっていると思う。次はそういう視点からも考えてみたい。

https復活

証明書の期限が切れたのでhttps接続ができなくなっていた。このブログはdockerでwordpressを動かしている。コンテナに入ってcertbot renewをタイプすれば済んでいたはずなんだが、コンテナを一時停止したあと間違ったdocker-compose.ymlからコンテナを作りなおしてしまっていてえらい遠回りをしてしまった。データは永続化してあったが、間違って上書きしてしまわなかったのは運が良かった。それにしても証明書関連の手続きはよくわからない。そもそも仕組みを理解していない。

特に理由のない技術的挑戦としてHTTP/2にも対応させてみようかと思ったが、かなり大変そうだったのでやめた。

今日は洗濯からの帰り道、近所の駐車場で猫と遭遇したのでしばらく見つめ合っていた。いきなり近づくと警戒されて逃げられるが、姿勢を低くしよそ見をして敵意がないことをアピールすると相手も警戒を解いてよそ見したり目を閉じたりする。残念ながら触ることはできなかった。

適度に予測可能な振る舞いをすることが動物っぽさを感じさせるのかな、などと思った。

※この記事は『STRONG9 パイン』を飲んで書かれた。

世間的には盆休みというやつらしい。僕は全くそれどころではないので意に介していなかったが、周囲の人が割とみんな休むらしいので困っている。

盆に困っているというか、盆に準備せざるを得ない時期に学会があることに困っている。

困った…

図書館

※この記事は『氷結 Mango』を飲みながら書かれた。

今日も大学に行きたくなかったので道中図書館に寄った。

地域の図書館で心理学コーナーを見に行くと、真っ当な心理学に関する本が数冊、そして残りは全部うさんくさい詐欺まがいの本だった。辛い。

雑誌の新刊が一通り置いてあるのは良い。アニメージュを読んだ。

この歳になって、児童文学を読み返したくなることがよくある。稚拙に感じてしまうこともあれば、新しい発見もある。森絵都の『カラフル』を読んだ。キャラクターの心情をダイレクトに書けるのは小説ならではの魅力だと思う。

今日のUI心理学

1.2 コンテクスト・錯視・視聴覚統合

結構いろんなネタが同時に語られてて難しい。コンテクストの効果と言いつつコンテクストに関係ないミューラーリヤー錯視や連合学習によって語られるべき犬の行動の習慣の話が挙げられていて、正直言ってこの章はかなりとっちらかっている。

ミューラーリヤー錯視は非常に有名だ。図形がシンプルで、効果が大きく頑健だからだ。

「長く見える左の図形は遠くに出現する状況が多いが、遠くにあるものは小さく目に映るのでそれを補償するように過大に知覚する」というのが有力な説明だが、それを否定するような実験結果もあり、よくわからない。

物理的な量と知覚する量がずれているというのはよくある話で、その関係を記述しようとする心理学の分野は心理物理学と呼ばれる。

多感覚統合も心理学ではよく研究されている。視聴覚統合の話が多い。視覚と聴覚にはそれぞれ得意分野があり、状況に応じてどちらかの情報が優先される。

腹話術効果は聴覚によってキャッチするはずの音源の位置情報が視覚によってずらされる現象だ。実際の声は腹話術師の口から出ているのに、人形の口が動くせいでそちらから声が出ているように感じてしまう。物体の位置を知る情報源としては聴覚より視覚のほうが優れているからだ。

ダブルフラッシュ錯覚は1度の視覚刺激に2度の音声刺激を合わせると、視覚刺激まで2度呈示されたように感じてしまう現象だ(NTT コミュニケーション科学基礎研究所によるデモンストレーション)。時間解像度では聴覚が視覚を上回っているので、聴覚の情報を信用してしまう。

最近ホットな話で言えば、バーチャルなアバターによって身体感覚と視覚が整合しなくなるのも多感覚統合の一種と言えるだろうか。

ストロング破滅

※この記事は『STRONG9 グレープ』を飲んで書かれた。

何をどうするべきか、どうやってやるべきかわからず、わかっても不安で手がつかなかった。

昔はこんなではなかったはずだ。ときおり不安が押し寄せるようになったのは大学3年生の頃で、学期のはじめが多かった。学内の精神科はいつも満員御礼で、医者にかかれたころにはすでに時間経過で治まっていることが多かった。原因は環境の変化によるストレスだろうと言われた。

大学院に入ってからは悪化した。数週間の間大学に行けない時期もあった。2年計画の修論のプレッシャーを受けつつ、それに寄与しない目先のタスクをこなさねばならない状況が辛かった。壊れたり治ったりを繰り返しつつ今年度は大学にずっと来ているが、それは修論を書かねばならないからだ。不安は収まらない。むしろ常に不安とともにある。

僕の不安は環境によるものであってほしいが、ストレスは脳を永続的に変化させることもあるので「大学院にメンタルを破壊された男」として一生生きていくのかもしれない(言ってみたかっただけ)。

こういう記事は「なんだかんだ言って修論提出できました!」という状況で書きたいものだが、残念ながら修論はまだ書けてないしなんならデータもこれから取る。先行きは不透明だ。研究は結果が保証されていないからこそ研究であるにもかかわらず、なぜか修士は2年が標準修業年限となっている。不思議なことだ。

アカデミックの世界に生きている人間は尋常ではない。専門知のみならず自己管理能力や事務処理能力だって格段に優れているにもかかわらず、この世界に残るためにそれに見合わない待遇で働いている。理不尽にもじっと耐え、金になるわけでもない「業績」のために血道をあげる。

僕はそうは生きられない。僕に彼らの気持ちはわからないし、たぶん彼らにも僕の気持ちは分からないと思う。

猛烈にしんどかったのでいつもどおり破滅願望を充足するために強い酒を買ってきた。心のどこかでは急性アルコール中毒でうっかり死んでしまわないかという期待もあったが、どうにも上手く行かなかった。

帰ってくるともう夜で、明日起きたら大学に行かなければならない。やるべきことは無限にあるが、途方もない無限の壁に立ち向かう力がないので壁に手をかけることすらできない。僕はその程度の人物だ。一生こんな調子で生きていくのだろう。もとより自分が特別な天才でないことはとっくに知っている。大学入試は得意だったが、多くのことを記憶する能力や制限時間内で所定の回答に接近する能力は研究や仕事の能力に関係がない。

今日のUI心理学

1.1.4 注意の瞬き(attentional blink)

何かに注意が向いた直後に500ms程度の情報処理ができない時間が生じる。たくさんの画像を連続的に表示するRSVP課題(Rapid Serial Visual Presentation)を用いて研究されている。

この動画のタスクは簡略化してある。もとのタスク(Raymond, Shapiro & Arnell, 1992)は

  1. ひとつだけ表示される白い文字はなんだったか(他は全て黒)
  2. Xは表示されたか(Xは白い文字の後に表示される)

を同時に課すと、白い文字のあと180ms~450msのあいだXの見落としが多いというものだった。270msが最も見落としが多く、半分ほど見落とす。

複数の情報処理が並行するとパフォーマンスが低下するという現象を説明するために認知資源という言葉が使われる。有限の情報処理のリソースを配分しているという意味だ。もちろん脳にはCPU時間のような明確な情報処理リソースの指標があるわけではなく、これはアナロジーにすぎない。

参考文献

肌感覚

※この記事は『極搾り パイナップルチューハイ』を飲んで書かれた。

今日はいきなり秋が来たかのような天気だった。天気の話は最強。普段は文学部の建物の中に入ると外より気温が下がるのだが、今日は外のほうが涼しかった。気温は下がっても湿度は高く、過ごしやすくはない日だった。これほど急に気温が下がると自分が今生きている世界が全く別物になったかのように感じられる。時間が急に流れたか、あるいは戻ったかのような。そして世界が急に静かになったかのような(これは事実かもしれない)。

松屋の新作メニュー『ごろごろチキンのトマトカレー』が発表されたので近いうちに食べに行きたい。松屋は定期的にメニューを変えるが、なるべく同じ原材料で作れるように計算されている。ケイジャンチキンからトマトソースの香りがするのも何かの流用なのだろう。おそらくこのトマトカレーも。

最近は作業中のBGMとしてNetflixで孤独のグルメを流している。うるさくもなければ気が散るほど興味深い内容でもなく、ちょうどいい。しかし今日重大な問題を発見した。

お分かりいただけただろうか。屈指の名セリフである「うおォン」が平凡な「ウオォーン!」に変えられているのだ。当然許しがたく、報告フォームから修正を依頼した。いつ修正されるのか楽しみなので毎日チェックしようと思う。

今日のUI心理学

1.1.2は知覚パターンと題されているが、ここで述べられているのは記憶の話が多い。

「進む」「次へ」が右に、「戻る」が左に配置されるのはどんなアプリでも同じだ。それはすでに利用者がそういうものとして学習しているから、それに逆らう意味がないからだ。そしてこの「右へ向かって進むルール」は誰かが明示的に定めたわけでもなければ、意識的に学習したわけでもない。しかしそういうものとして無意識的に学習され、これに反する状況に直面したときにはエラーを起こしやすくなる。

1.1.3は習慣化と題されている。

警告ダイアログが表示されると最初のうちは警告を読むが、繰り返されるうちに読まなくなる。これは馴化と呼ばれるシンプルな学習にカテゴライズされる。馴化は無害な刺激が繰り返し提示されると反応が鈍ることである。逆に有害な刺激に対しては反応が増強される鋭敏化が起きる。確かアメフラシをひたすら突っついて実験するんだったと思う。

単に何かを反復するだけで、それに関係するニューロンの情報伝達効率が変化する。これを長期増強(LTP; long-term potentiation)と呼ぶ。仕組みは難しいので自分で調べて。僕もよくわからない。

参考文献: 村上郁也編 イラストレクチャー認知神経科学

名前の意味

※この記事は『クリアアサヒ』を飲みながら書かれた。

帰り道、「佐藤」という苗字の意味について中国人に説明するのを脳内でシミュレーションしていた。藤原氏を助けた人々という意味なので全国にメッチャいるという話だと思っていたのだが、帰宅して確認したらそう単純でもなかった。

『詩季織々』の登場人物にシャオユ(小雨)という女性がいる。雨は冷たいし外出できないし、一般に憂鬱なイメージがある言葉なので日本人の名前に使われることは少ない。「晴」が含まれる名前が多いのと対照的だ。

ふと、名前の意味というものを考えたくなった。僕の名前には物事をよく理解するという意味がある。本当は同じ読みの別の字を当てるつもりだったらしいが、姓名判断師に総理大臣になる名前だと言われて今の字にしたらしい。ちなみに妹は季節にちなんだ名前だ。

姓名判断は眉唾だと思うが、名前の語感が印象に影響し、長い目で見て人生を変えていくというのは事実だと思う。ブーバ・キキ効果というものがある。言語や文化にかかわらず、丸っこいものにブーバ、トゲトゲのものにキキと名付けたがるという傾向だ。形態と音の関係に何かしらユニバーサルなものがあるということだろう。

日記に書くネタがないのと自分の研究ではない勉強が全く進んでいないのが辛いので、今日から教科書を少しずつ読み進めることにする。教科書はこれだ。

UIデザインの心理学

1.1.1では知覚のトップダウン処理の話をしている。トップダウンとボトムアップというのは心理学でよく使う言葉だ。ボトムアップは知覚情報が徐々に統合され高次の意味が付与されるという情報処理の流れをいう。トップダウンは逆に、高次の意味の知識・経験・文脈・期待などが低次の知覚処理に影響するという話だ。トップダウンとボトムアップの相互作用によって知覚が形成されることを示す研究例は枚挙に暇がない。

たとえばある視覚刺激に注意を向けるときにも、突然出現した刺激に自動的(意図とは関係なく)に注意が向くボトムアップの注意制御もあれば、矢印によって指示された場所に注意を向けるという、それなりの意味処理を要するトップダウンの注意制御もある。これらは効果の注意の持続時間が異なるし、同時に別の課題を行ったときのパフォーマンスの悪化度合いも違う。

もっとわかりやすい例で言えば、真・三國無双で甘寧を持ちキャラにしている人間は「甘露煮」とか「丁寧」という単語が目につきやすいし、場合によってはそれらを「甘寧」と空目する。

率直に言えばトップダウンはマジカルワードというか、要は計算していない効果が発生したときに「それはその人が○○と考えていてその効果がトップダウン的に作用したのだ」というエクスキューズ的な使われ方をすることが多いように思う。だからこそ、逆にトップダウン処理がほとんど介在しないような現象が見つかると面白い。トップダウン処理が介在しない現象とは自分の意志で制御できない現象、つまり反射である。

参考文献

村上郁也編 イラストレクチャー認知神経科学

Netflixの話数選択

今日はNetflixで『ビッグバン・セオリー』と『3月のライオン』を見ていた。

NetflixのUIはスタイリッシュだが、不便な点もある。どの作品のどのシーズンのどの話数を見たいのかすでに決まっているとき、導線が長い(そういえば手元のツールだとNetflixのトップページはReact使ってるって表示されるんだけど、ググるとReactやめたって記事がヒットするんだよね。どうなってるんだ)。

  1. 作品サムネイルをクリック
  2. エピソードをクリック
  3. シーズンを選択
  4. エピソードを選択

また、サムネイルが横方向に並ぶので画面上に同時に表示できる話数が少ない。

逆に視聴済み話数の続きから見たい場合、導線は非常に短い。トップページの作品にマウスオーバーすると最新話数のサムネイル動画の再生が開始されるので、そこから見たければ再生ボタンを押すだけ。

なおサムネイル動画再生時の音声は主題歌のこともあるが、大抵はNetflix側が用意したと思われる謎BGM。ちょっと面白い。

このような設計から考えると、どうやら1話から順番に見ていくという使い方を想定しているらしい。逆にテレビ放送を1度見たあと、気になるシーンを見直すために特定の話数だけ見に来るという使い方は想定外のようだ。Netflixはオリジナル作品を推しているので、それにあった設計をしているとも言える。

OP・ED自動カットもアニメオタクには評判が悪いが、これもジャパニメーションを基準にサービスを設計していないのだろう。アニメのOPがストーリーの進行に合わせて意味がわかるようになったり差し替えられたりと重要なものであるのに対して、ドラマは出演者の顔見せくらいの意味しかないし尺も短い。EDもアニメのそれはスタッフクレジットの表示や余韻を感じさせるなどの意味があるが、ドラマは表示が短くてクレジットはとても読めない。

休日とか結構な時間PCの前に座ってるのに何食ったとか洗濯したとかそういう話題しか書かないからネタが見つからないってことになる。素直に自分が時間を投じているものを書くのが楽しいし内容も充実するので、こういう記事は増えていくと思う。

酒盛り

※この記事はなんかよく知らんビールを飲んで書かれた。

今日は新宿まで行って『詩季織々』を見た。良かった。2週間後のペンギン・ハイウェイも楽しみだが、学会のタイミング的に公開直後に見るのは難しいかもしれない。

その後近所に住んでいる友人の家で酒盛りが開かれていたので、参加した。最近は平日の発声量がかなり減っているので酒盛りで少し叫ぶだけですぐに喉が枯れる。

酒盛り自体も減ってしまった。3年生の頃は自宅を会場にして頻繁に酒盛りを開いていたが、最近では呼ぶ人間が就職や研究で忙しく、僕も忙しいし部屋も汚いのでそうそう開けない。時代が終わったのだなと思う。

就職したら気軽に酒盛りが開けるような家に住みたい。猫も飼いたい。