人はなぜ「3連休で時間あるからあれもこれもやりたいな」と思ったことを月曜日の24時から始めるのか(始めてない)(ブログ書いてる)。
「いつかやりたいな」と思ったことも死を意識するまでやらないのかもしれない。
教えちゃお
人はなぜ「3連休で時間あるからあれもこれもやりたいな」と思ったことを月曜日の24時から始めるのか(始めてない)(ブログ書いてる)。
「いつかやりたいな」と思ったことも死を意識するまでやらないのかもしれない。
クラシルは料理レシピ動画を掲載するwebサイトだ。youtubeでガーリィレコードチャンネルを見ていたら広告でクラシルのキムチチーズチャーハンの動画が出てきた。ちょうどお腹が空いていたタイミングだったので見てしまった。
とても美味しそうだったので作ってみようかと思ったが、レシピのページを見て断念した。調理時間25分で費用600円と書いてあるが、実際にそのコストで作れる条件は限られている。
たとえば豚ひき肉50gとあるが、50gから買えるわけがない。大抵150gとかだろう。多くの食材がそうで、料理に使う量が購入可能な最小量を下回っているので、料理をし続けて買った分を使い切らないとコストが回収できない。しかし一人暮らしの大学院生の身では大抵買った食材は余らせ傷んでしまう。
調理時間25分も嘘だ。ご飯を炊く時点で1時間はかかるだろう。さらに言えばスキレットなる調理器具も所有していない。自炊にはもっとズルが必要だ。
ガーリィレコードは吉本所属のお笑いコンビ(フェニックス・高井)だ。ガーリィレコードチャンネルはガーリィレコードの2人と雨野宮将明、秋山太郎(パンプアップ)の4人がレギュラーメンバーであり、フェニックスと秋山の住むシェアハウスで下らない遊びをしたりショートコントをしたりしている。さすがにプロの芸人だけあって話は面白いし、歌や踊り、格闘技からオタクあるあるまで持ちネタが多彩だ。
ブレイクのきっかけになったのは高井による藤原竜也のモノマネで2018年1月だが、現時点でチャンネル登録者数は16万人であり、既に一流のユーチューバーだ。
科学政策の文脈で研究者がよりよい環境を求めて海外に出ることを「流出」などと表現する。この言葉遣いには違和感があって、科学者の成果というのは論文にして公開されるのだから研究者がどこの国にいようと関係ないと思うのだ。言い換えれば優秀な科学者の成果は世界中どこからでも利用可能なのだから、「自国の」科学研究能力を高く保つ意味はない。むしろ他国の研究者の成果にタダ乗りしてそれを応用して儲けるのが合理的なのではないか。
無論そんなことはない。2つの反論を思いつく
第1に、日本人が日本で研究しないと誰もやらないテーマの研究が廃れる。日本に関する研究は日本で研究するのが便利だろう。
第2に、こちらの方が大事だと思うんだが、研究者によって育てられる裾野の人材が減る。研究者が一人もいない国を考えてみればいい。現在の大卒に相当する人材は留学経験者しかいなくなる。
※この記事は『旅する氷結 HAVANA STYLE』を飲んで書かれた。
小学生のころはモノを捨てるのが悲しかった。長く使ったモノには人格を感じて、それを捨てることは身勝手で残酷なことのように感じた。環境問題がクローズアップされていた時代の影響もあっただろう。
今は違う。不要なものは手元からリリースすることが大事だと思う。たとえ捨てられ壊されてモノとしての役割を終えたとしても、それを構成する物質、極端に言えば分子や原子は回り回ってどこかでまた何かの役割につく。意味もなく手元にとどめてはいけない。
※この記事は『金麦 RICH MALT』を飲みながら書かれた。
hyperappのviewはh関数で作る。これは公式サイトのサンプルだ。
const view = (state, actions) =>
h("div", {}, [
h("h1", {}, state.count),
h("button", { onclick: () => actions.down(1) }, "-"),
h("button", { onclick: () => actions.up(1) }, "+")
])
h関数は3つの引数をとる。1つ目はタグ名、2つ目は属性を列挙したハッシュ、3つ目は子要素だ。ここで属性はハッシュなので、キーとバリューのペアが必要だ。しかし全ての属性がキーとバリューのセットで用いられるわけではない。たとえばreadonlyは値をセットする必要がなく、存在することによって機能する。
ここでHTML5の真偽属性の仕様を確認する。
checkedおよびdisabledとなるチェックボックスの例を示す。
checked
およびdisabled
属性は真偽属性である。<label><input type=checkbox checked name=cheese disabled> Cheese</label>これは次に書かれるものと等価であるべきである:
<label><input type=checkbox checked=checked name=cheese disabled=disabled> Cheese</label>スタイルを混在させることもできる。以下は依然として等価である:
<label><input type='checkbox' checked name=cheese disabled=""> Cheese</label>
どういうことかというと、以下の3つはどれでもいい(参考)。
つまり真偽属性を変化させたいときは以下のように書きわけることができる。
h("input", {readonly=""}, "")
h("input", {not-readonly=""}, "")
これをhyperappの枠組みで考えるとこうなる。
const state = {
readonly: "readonly"
}
const actions = {
writable: () => state => ({ readonly: "not-readonly" })
}
const view = state => h("input", { [state.readonly]: "" }, "")
viewのh関数の第2引数のハッシュで、ブラケット記法を用いてキーの方を変更する。バリューはなんでもいい。
※この記事は『極搾り 柑橘ミックス』を飲んで書かれた。
自転車に乗っているときは風景がかなりのスピードで流れていくが、一瞬目に映っただけでも何かわかるものがある。今日はそんな体験が2度続いた。
1度目はネズミの死体だ。自転車を止めてゆっくり眺め回したりはしなかったが、25cmくらいはあっただろうか。道路に無造作に転がるそれなりの大きさの袋状のもので、手足がピンク色に目立っていた。
動物の死体は病原体の巣窟であり、危険だ。危険な情報に素早く反応するのは進化的に古い脳の役割である。視覚であれば後頭葉から嫌悪を司る扁桃体を経由して交感神経が活動する。これによって心拍数の増加、呼吸の増加、発汗などが起こり、体が逃走の準備を整える。
2度目は友人だ。自転車で鼻歌を歌いながら帰宅していたら気がついた。昔はよく会っていたが今はそうでもなく(働いている)、この辺りにはたまにしかこない人なので確率の低い偶然だった。
ヒトの顔についてはFFA(Fusiform face area)という顔認識に特化した領域があることが知られている。ヒトの顔を上下逆にすると認識が難しくなることは倒立効果と呼ばれ、顔は特殊な処理が行われていることを示唆している。サッチャー錯視はその顕著な例だ。
人間の視覚は必ずしも汎用的ではない。危険回避や同種他個体の弁別などの具体的な目的を持って作られた機能も含まれている。ヒトの顔に異常に敏感だからこそ、何でもないところに顔を見たような気になってしまい、心霊現象だと思いこんでしまう。
全然関係ないけど食堂のとろとろ丼定食(ひきわり納豆とオクラのどんぶり)、美味くない。前回は味がなかったので今回は醤油をかけたがただ醤油の味がするだけだった。
※この記事は上野『かっちゃん』で飲んできたあとに書かれた。
今日は研究室のミーティングだった。ろくでもない結果しか出ていないので壮絶な覚悟で望んだが、困っていることを説明したらたくさんのアイデアをもらったディスカッションが弾んだのでよかった。
晴れやかな気分でミーティングを終えられたので友人の招集に応じて上野の立ち飲み屋に行った。『せんべろ』なるジャンルを初めて聞いたのだが、「1000円でべろべろに酔える」ような価格帯の酒場の俗称らしい(wikipedia先生)。そもそも僕は1000円分も飲まずともべろべろに酔えるのでそれほどありがたみは感じないが、今日行った店は1000円ポッキリで生・ウーロン茶・天ぷらセットでとても良かった。昼間は天ぷら定食を売ってる店で本格的な天ぷらだった。
そういえば学科の内定者歓迎会のメールが来ていた。僕の大学は2年生の半ばで3年生以降の学科が決定するので、この時期に学科の内定者の歓迎会が企画される。この会には以前アルコールバトルで敗北して大変なことになった苦い思い出がある。
僕はアルコールが好きだ。強くもなければ詳しくもないが、よく飲む。アルコールを飲むと脳が縮むと言う。気にならないわけではないが、将来の健康を見越して常に最善の行動しかとらないとするとかなり生活が制限されるのであまり考えないようにしている。そもそも人体の耐用年数は30年くらいだろう。その先は高望みしないことだ。
4.3 色の識別能力
目立たせたい色は彩度を上げる。色を比較させたいとき(グラフの凡例など)は眼球運動なしに両方の色が目に入るように近づける。
「立命館大学人間科学研究所 人間科学のフロント 色覚障害について考える」より引用
人間の網膜で色を認識できる錐体細胞は視野中心部から両側に10度程度の範囲に密集している。つまりグラフを注視しながら凡例を視野に含めるためには、それらを視角10度以内に配置する必要がある。
視角10度は視距離57cmのときに10cmだ。意外と近い。視角とディスプレイ上の距離(ピクセル)の対応を知るためのツールは以前作った。
(アイコニックメモリーって色はどのくらい正確に保持できるんだろう。教えてエロい人)
ここ数日ツイッターを騒がす『青識・小宮論争』なるものがある。そのきっかけはこれらしい。
「日本女性は海外に行くといろんな男とセックスしていてふしだらだ」という言葉に対する反論は「そんなの嘘だ」じゃなくて「セックスして何が悪いんだ」です。別に全然セックスしない日本女性もたくさんいると思いますが、女性が自分の判断でセックスするのを人にとやかく言われる筋合いはありません。
— saebou (@Cristoforou) 2018年8月30日
この人どうせ海外行ってなくて開き直りで反論してるだけでしょうが、日本男児として外国人の友人から「日本女はなぜに簡単にやらしてくれるのか?」と真顔で聞かれると答えに困るので、海外には貞操観念をしっかり持っていきましょう。
ラッキープッシーとかチープガールとか言われてまっせ。 https://t.co/dKosWTBrHA
— 瀬戸内快男児 (@teamtanotomu) 2018年8月31日
それってあなた自身が馬鹿にされてるんだよ。 https://t.co/gvXMrp3EgB
— jiji (@traductricemtl) 2018年8月31日
「あなたの国の女性はなぜ簡単にやらしてくれるの」なんて聞くのは喧嘩売ってるのと同義なのに、そこで「貞操観念をしっかり持ちましょう~」とか自国の女性に言うこのピントのずれ方やばい。
— jiji (@traductricemtl) 2018年8月31日
このあとに長大な論争が続くのだが、僕もこの元ツイートについて何か物申して論客ぶってみようと思う。青識・小宮両氏のツイートには一切言及しない。読んでないし。togetter10ページ分とか読めないでしょ。
2番目のツイートには共感できないポイントが2点ある。
まず1について。たまたま近い血統に生まれただけ(日本は血統主義なので)の他の日本人がどこでなにをしていようと僕には何の責任もないし、恥も感じない。1のような状況では「それを僕に聞いてどうするんだ?」という意味で困ることはあるだろうが「本当にそうなんですか」「本当だとしてその理由は知らない」と答えるだろう。
2について、上記の理由からそもそも他人にこの内容を呼びかける動機が理解できないのだが、人が誰かとセックスすることは自由だと思う。だから「貞操観念」という言葉で他人のセックスを制限するべきではない。
ここまでで一応僕の立場は表現し終えたのだが、3・4番目のツイートもなかなか悩ましい。僕は「他の日本人のことなんか知らんがな」と言えるが、そうではない人間がいることも知っている。「あなたの国の女性はなぜ簡単にやらしてくれるの」は上記2つの理由から論理的には罵倒になっていないが、歴史的文脈を踏まえると話は複雑になる。発言者が「女性の貞操は共同体の規範によって管理されるべきだ」という信念を持っていればこの質問は共同体への攻撃という意図を持って発せられたことなる。そしてこのような信念は歴史上には実在している(この信念の逆は自由恋愛なので)。
ではこれを言われたときの反応はいくつか考えられる。たとえば
これを踏まえて4番目のツイートを読むと
「あなたの国の女性はなぜ簡単にやらしてくれるの」なんて聞くのは喧嘩売ってるのと同義
は2であり
そこで「貞操観念をしっかり持ちましょう~」とか自国の女性に言うこのピントのずれ方やばい
は3をするべきではないという意味だ。3or4という対立軸に乗るべきではないという意味で「ピントのずれ方」という言葉が使われていると考える。
このツイートが難しいのはラディカルな選択肢である1がないことだ。純粋フェミニズム(今作った言葉)の立場なら「女性の貞操は共同体の規範によって管理されるべきだ」という信念をまったく想定すらしないはずだから1のような反応しかありえないが、現実問題として2のような反応が起きることはもちろんあるだろう。
「『あなたの国の女性はなぜ簡単にやらしてくれるの』を喧嘩売ってると解釈するなら、それはもうフェミニズムではない」と純粋フェミニズムは主張するかもしれないが、現実には「フェミニズムはこのツイートを批判せねばならない」とまでは言えないと思う。
今日も洗濯に出かけたが、いい天気だった。日が照っていて肌が焼ける感覚もあるが、まったく不快ではない。空気がかわいていて、一歩間違うとすぐに寒さを感じる天気に変わってしまうような不安定さ、ギリギリのバランスを感じた。
いよいよ夏が終わろうとしている。このような季節の境界にいると、夏と冬というまったく違う世界を半年ごとに行き来しながら生きていることが信じられなくなる。
それにしても、この土日も結局何もしなかったなあ。月曜はいろいろ取り返さねば。なんだかんだ言って休息が必要だったということだろう。今朝は何やら異様な夢を見て目覚めてもこれが現実かなかなか判別できなかった。これもまた中途半端な季節の仕業かも知れない。
私が生きるこの世界、現実というのはそれほど安定しているものではない。ふと昔読んだ本を思い出した。『クレヨン王国 水色の魔界』だ。『クレヨン王国』シリーズは児童文学の傑作だが、これはその中でも異常な作品だ。はっきり異常と言っていい。人間に捕らえられ食われる魚達の「針が痛い」みたいな生々しい苦しみが表現されている。
昔好きだったコンテンツを振り返るのは基本的にはろくでもないことだが、それを掘り返すことで過去と現在の自分の差分が明らかになったり、自分が今の状態になった源流がわかったりするので面白みもある。久しぶりに読んでみようかしら。かつては母が月に2回図書館に通って大量の本を借りてきてくれたものだが、今はワンクリックでkindle版が買える。いい時代だ。
素晴らしかった。めっちゃ泣いてた。
アマチュア合唱団とは思えないレベルだった。音程も音量も不安がない。音量があると音に強弱をつけやすくなる。そして適切に強弱をつけることでフレーズは聞きやすくなるし、楽曲全体の構成も把握しやすくなる。アニメソングはワンコーラスで完結するように、そしてサビだけでもアピールできるように全力and全力で歌われるが、合唱版では構成を意識して丁寧に盛り上げていてよかった。
音程や音量を自在に操るフィジカルを作ることも、その表現を団全体で統一することも一朝一夕にできることではない。取り上げる曲がアニメ曲だろうが何だろうが関係なくて、アマチュア音楽家としてまずそこに敬意を表する。
いいんだよなあ。印象に残っているのは『光るなら』と『P.A.WORKSメドレー』。
『光るなら』の編曲は田中達也さん。原曲のサビは強拍の先取りを連打する勢いの良い音型になっているが、合唱版ではピアノがリズムよりも横の流れを重視した裏メロディを演奏していて原曲とはかなり違う趣になっている。このように曲の魅力を新たに開拓するような編曲は良い。コードも原曲とは違うシャレオツコードが仕込まれていて、原曲の同じ音型を繰り返す元気の良さとは違う、音楽が展開していく面白さが生まれている。
『P.A.WORKSメドレー』の編曲は名田綾子さん。
明日は白浜坂高校合唱同好会の演奏会、私はhttps://t.co/qgGHkwpWYdメドレーの編曲とピアノ、合唱曲ステージのピアノで参加します。
メドレーは、混声+連弾/16曲/17分/440小節にわたる、超大作になっております!この演奏会でしか聴けないそうですよっ!!小見山純一さんとの熱い連弾でお届けします。— 名田綾子 (@ayakomeida) 2018年9月7日
伴奏が連弾になっているのがとてもいい工夫だった。合唱の伴奏となるとリズムやベースなどどうしても必要となる音があって、手が2本しかなければ原曲の音を減らさざるを得ない。しかし伴奏を連弾にすることによって手が4本になり、原曲を徹底再現したりアレンジしたりと自由度の高い充実した伴奏になっていた。メドレー形式なので曲と曲の間をピアノがつなぐのだが、その部分がどれも聴かせる演奏で良かった。
構成もいい。『アンデスチャッキー』で緩めたあと『Bravely You』で緊張して、『虹を編めたら』で若さやそれゆえの苦しさを思い出して『Morning Glory』で自由なビートを感じて、最後に『ウィアートル』でそれも全部人生だねってまとめるのが良かったし、マキアという一人の人間に寄り添った『さよならの朝に約束の花をかざろう』の主題歌がソロではなく合唱という形式で歌われた瞬間、『さよ朝』という作品が全く違う姿に見えた気がした。
ちょっとテンション高すぎて不安になるくらいのMCだったり、TARI TARIの世界観を踏襲した演出だったり、どれも凝っていた。開演のチャイムが『心の旋律』だったのもニクい。演奏中も演奏の間も、まず演奏者が第一に楽しんでいることが伝わってきてこちらも楽しくなった。
よかった。とてもよかった。生で聴けてよかった。所沢は遠かった。