散歩記

コロナ紀2年、私は運動不足をもっぱら歩行で解消している。つまりウォーキングである。散歩とも言う。

散歩は楽だ。金も装備も必要ない。上半身は自由なのでヘッドホンでNHKニュースを聞ける。そしてAndroidのGoogle Fitアプリで何もしなくても運動量が算出されるので測定・記録も容易だ。

さて、今週は1週間休暇を取得している。3日目辺りから生活リズムが破綻し始め、3月16日は14時頃に起床してしまった。3月17日の4時頃になっても眠気が来ないのでもう睡眠を諦めて、散歩のために外に出た。余談だが労働がなくなると生活が破綻するというのは興味深い。制約がなくなることで「自然」なリズムに戻ると思いきや昼夜逆転に向かっていくのだから僕はヨルガタニンゲンというやつなのかもしれない。

4時台はまだ暗いが、調べると日の出は5時50分頃とのことだった。どうせなら近くの河原まで歩けば、日の出は遠いにしても空が白くなってくるのは見られるかと思って歩き出した。が、駅前に差し掛かったときにふと「もうすぐ始発じゃないか?」と思い至り、衝動的に「北に行こう」と思って券売機に1000円を突っ込んできっぷを買ってしまった。

なぜ北か。僕は埼玉の某所に住んでいる。埼玉にとって南は東京だ。東京というのは日本の首都であり、つまりすべて(だいたい)がある場所だ。そして北はその逆だ。北にあるのは土地・安いアパート・駐車場・未管理の林だ。なんとなくそういうものに惹かれる気持ちがあって、北に行ってみたいと思っていた。

始発の北行の電車には普通の人は乗らない。疲れ切った様子で車内で寝ている人が多かった。途中貨物列車を2回見た。コロナが流行っていても、いや、むしろそういう状況だからこそ物流の重要性は高い。ものを遠く離れた場所に移動させるというのは物理の法則から考えても難しいことで、それを実現するためにたくさんの人が努力しているのだろう。

電車に揺られながら路線の平均家賃を検索し、買ったきっぷの範囲で一番安い駅で降りて歩くことにした。時間的にはここが一番長かったのだが、一番書くべきことがない。土地・安いアパート・駐車場・未管理の林・民家の屋根の上の猫・一般通過猫・堀で囲まれた用途不明の三角形の草原などがあった。風が強くて寒かった。マフラーをしてこなかったことを後悔した。新しい靴にはまだ慣れきってなくて途中で痛くなった。

一駅分歩いて電車で最寄り駅に帰還。行きと違って帰りは7時頃で南行なので人が多い。早朝の満員電車に乗るのは久しぶりだった。高齢者・女子高生・ギタリスト・若い会社員…いろいろな人間がいた。最寄り駅についてから蕎麦を食べた。朝食セットで異様に安いのに店員は愛想が良くて客の面倒な注文(蕎麦湯は熱いのにしてくれ等々)に笑顔で応えていた。やさしい。

自宅への帰途、僕は人間を忘れていたのかもなと思った。もっと正確に言うと「たくさんの、そしてバラバラの人間が集まっている『社会』というものの実感」を失っていた。人が人と会うこと、同じものを食べて笑い合うこと、それは人間の「社会性」の原点だ(だからこそ社会性のプロである政治家はこれをやめられない)。だからこそそれが「危険な行為」になってしまった今の状況は悲しいし辛い。今は3月だ。友人の慶事は祝いたいし、去る人間はきちんと送り出したい。自分はインドア派だからwwと強がる人間もネットで見た。それはそれでいいが、僕は自粛を厭う人間を笑う気になれない。

自宅のマンションにつくと清掃作業員が掃除をしていた。僕は珍しく大きな声で「おはようございます」と声をかけた。

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