左手の重さ

歴史書に載っていないひとりの男の話をする。

男は1925年に4人きょうだいの次男として生まれ、満州国で育った。ちょうど戦争に行く必要がない年齢だった男は船乗りになり、船乗りを育てる教師となった。結婚して息子と娘が生まれ、やがて5人の孫を得た。書に堪能、持ち物や衣類に隙のないセンスがあり、中国語の教育にも携わった。妻が死んでからは息子の家族とともに暮らしていたが、4番目の孫が18歳のときに肺炎で死んだ。

男の葬式には多くの人が来た。本当に多かった。それは教師という職業によるものもあるだろうし、またそれだけでは説明のつかない部分もあった。肉体から解き放たれ、知り合いの僧侶に海にちなんだ新しい名前を授かり、男は妻と同じ世界へ旅立った。

 

今日、食堂に入る階段を降りながらふと入り口のガラス戸を見ると、僕の動きが奇妙に左右非対称で笑ってしまった。だが人体は左右非対称だ。臓器もそうだし、脳もそう。ヴァイオリンを本格的に練習していた頃は左手の指先だけ硬かった。身体だけではなく、身に付けるものもだ。左のポケットには財布、右のポケットにはスマホ。そして何より、僕はいつも左手に腕時計をしている。

その安くも高くもない、しかし止まったこともない腕時計を見るたびに、僕はある男の声を思い出す。歴史書に載っていない男の声を。

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