ニコニコするためにニコニコしてるのでニコニコできないアレはアレしようというアレを作った

niconico-nonpolitical

正味30分くらいで作った。目的と機能は日記タイトルの通り。インターネットにおいて見たくないものを見ないことは重要だ。これが上手くできないと人類は絶滅する。HTMLCollectionを配列に変換して使う(ES2015+)これやろうと思ったんだけどunexpected tokenとか言われてできなかった。なんでだろう。代わりに集合を配列に変換する方法をやった。jQuery使わなかったのはなんとなく、意地で。

今日は3人分実験をした。データは必ずしも予想通りではないが、概ね意図した通りの実験操作は行えているようだ。アドバイスをもらって改善点もはっきりした。調子は悪くない。

未来のミライをもう一度見に行きたい。あと野菜を摂取したい。

be caught in the rain

毎週土曜はコインランドリー、そして日記もいつもコインランドリーのことを書いていてマンネリを感じないでもない。

今日はコインランドリーから帰るときに雨に降られた。といってもコインランドリーは自宅から290m徒歩3分なのでどうということはない。洗濯物も軽く乾燥して自宅で干すので多少濡れても問題ない。

雨に降られて道を走っていると、自分がその場所にいるということを強く感じる。考え事をしながらだとかツイッターを見ながら道を歩いていてもそういうことは感じないのだが、雨に降られていると早く家に帰りたいとか木の下を走ろうとか考えるので、場所や空間のことを強く意識するのだと思う。

僕はときおり、道に寝転がりたいと思う。夏の夜にコンクリートはひんやりして気持ちよさそうだと思ったり、コンクリートはどういう触感なのか気になったり、はたまた単に疲れていたり、いろいろな理由がある。しかし実際にやったことはない。小学生のころは平気で道に座って寝転がったりしただろうが、大学生になってからはない。なんどか本気で試みたのだが、ついにできなかった。誰かが見ているかもしれないとか、道は公共の場所なのでそんなことをすべきでないとか、いろいろと理由をつけてはいるが、事実として僕は道に寝転がることができない。

子供の頃は自分はなんでもわかっているつもりだったし、自分を子供扱いする大人に苛立ったりもした。そして大人になればもっと自由になれると思っていた。しかし法律的・身体的には間違いなく大人になった今、僕は「子供はものをわかっていない」と思っているし、道に寝転がる自由を失った。

ところでHyperappで2つのactionを連鎖的に呼び出したいとき、具体的にはinputへの入力をstate.onePropertyに反映しつつ、さらにその新しいstate.onePropertyに基づいてstate.anotherPropertyを再計算したいとき、どういう風に書くのが美しいのだろうか。

現状こんな風に書いているが、ひとつの関数で2つの作業をしており、美しくない。2つめ(4行目)の操作を他の場所でも使いたいときに、2つの作業を別々の関数にしておいたほうが便利だ。そう素朴に考えたのだが、

これは上手くいかない。値を入力しても即座に元の値に戻ってしまう。多分Hyperappから呼ばれるupdateにはstateが渡されるが、updateから呼ばれるupdateInputやreCalculateにはstateが渡されていない。

こうすると望み通りの動作をするが、actionsの中に形式の違う関数が混ざっていていいのかどうか疑問がある。別の場所にhelperみたいなオブジェクトを作ってそこにしまっておきたい気がする。

Hyperappは書きやすい。楽だ。しかし「どう書くべきか」というノウハウが見つからない。自由は苦痛だ。自由を捨てよ。

二日酔い回避

昨夜は相当飲んで帰宅したのだが、大量に水を飲んで寝たら二日酔いにならずに済んだ。化学には詳しくないが肝臓でアルコールを分解する化学反応のために水が必要らしい。「うおォン 俺はまるで人間火力発電所だ」ではないが、人間の体はまさに化学プラントである。

午後からゆっくり活動開始して、洗濯→松屋の回鍋肉定食→乾燥→サザエ視聴。行きつけのコインランドリーにはジャンプが置いてあったりなかったりするのだが、今日は偶然新しいジャンプが置いてあって運が良かった。ソーマがそろそろ終わりそうで驚いた。

以前からすこしずつ作っていた視覚実験用のツールがとりあえず完成した。視覚実験では呈示する刺激図形の大きさは現実空間におけるサイズではなく網膜に占めるサイズ(視角)で決める。つまりディスプレイが遠ければ刺激図形は大きくしなければならないし、逆もしかり。このツールではディスプレイサイズ、解像度、そして刺激図形の視角を入力することで、実験プログラムを組むときに刺激のサイズを何ピクセルで指定すればいいか計算してくれる。ロジックは単純で割合とtanの計算をしているだけである。

Hyperappはとても便利だった。ユーザーが入力するフォームと、その計算結果が表示されるフォームの色分けをどうしようか考えている。パッと見ただけでわかるようなデザインにしたい。

ダメな日

今日はダメな日でした。なので大学に行かずに自宅でJavaScriptをしてました。JavaScriptは全然わかんないんだけど、たぶん1年後から死ぬほど使うのでちょくちょく触るようにしている。hyperapp以外何もインポートしていないので、いろいろ作りつつそのうちhyperappの中身さえ読めば完全に理解したことになる(?)。

ここ数日あまり人生をしていない。世界から疎外されている気がする。

人生というのは今日と明日と明後日と…からなる。すなわち人生は無数の今日によって構成されているので、今日を生きることは人生そのものである。にもかかわらず人は今日と人生を別のもののように考えてしまう。

書くことない。

0.75春+0.25夏

※この記事はチューハイ気分(レモン)を飲みながら書かれた

僕の住居は家賃が(場所に比して)安い代わりに人権が少し減っている。隣人の炊飯器のアラームが聞こえるし、地震でもないのに揺れる。そして洗濯機置き場がない。だから僕は洗濯物をバッグに詰めて近所のコインランドリーに通う。コインランドリーに洗濯物を放り込み、近所の飲食店で適当に食事をして、コインランドリーに戻って8分間乾燥、自宅に戻って干すというのが土曜か日曜のルーチンとなっている。飲食店はこれまでは家系ラーメンが多かったが、豆板醤じゃなくて辛醤が置いてあることやラー油が置いてないことが気に入らないので最近は足が遠のきつつある。

飲食店に行って戻る間僕は近所を散歩することになるのだが、週に一度という頻度は絶妙で、季節が少しずつ変化していくのが認識できる。今日の季節はタイトルの通り0.75春+0.25夏だ。基本的には爽やかな風が半袖に気持ちいいのだが少し日差しを長く浴びていると暑いという感覚も生まれてくる。

次の休日にはおそらく暑いと感じる頻度がもっと増えているだろう。「夏だなあ」なんてことを考えているうちに夏も終わり、秋も冬も終わり、僕の人生も終わるだろう。

JavaScriptに慣れるため、Hyperappでちょっとしたカスタム検索を手作りしている。なんにしても自分の手でゼロから作ってみるというのが大事だ。Reactもいいのだろうがちょっと環境が複雑過ぎる。Hyperappも完全に理解しているわけではないが、ブラックボックスがまだ小さくて済む感覚だ。

Reactではテキストボックスへの入力はいちいちonchangeで拾ってstateに反映してやらねばならないと聞くが、これは原理主義的ではあっても効率は劣るのではないだろうか。僕のアプリに必要なのは検索ボタンが押されたときに入力されている内容であって、1文字入力されるごとに何かしたいというわけではない。Hyperappではその辺適当にやれる余地があるようだが、どのように実装するのが美しいのかよくわからない。ブラックボックスを小さめにしたいという学習上の理由からjQueryは使いたくないのだが、すくなくともgetElementById("input1").valueではないと思う。誰か教えて。

wikipediaの検索のためにMediaWiki APIを使いたいんだが、Access-Control-Allow-Originの制約によってAPIを呼び出せない。遊びで書いたPythonからは呼び出せたのに、ブラウザから呼び出すとなると禁止とは、なんともケチな話だ。

じゃあウマ娘見るね。