親知らず・ザ・ファイナル

4月からずっと懸案だった親知らずがついに「完全解決」に至った。誰も求めてないだろうが、経緯を説明する。

はじまり

3月末、働き始める前に歯医者でも行っておくか…という思いつきが全ての始まりだ。

右上と左上だけが生えていたので、どちらも噛み合わせる相手がおらず食事に関しては無意味な歯だった。かつ位置が奥まっているのと若干斜めに生えていたせいで歯磨きが困難で、左上はそこそこ、右上はちょっと虫歯になっていた。さらに親知らずの1つ手前の必要な歯の虫歯リスクを高めていた。これらのことから近所の歯科医で抜歯を推奨され、まず緊急度の高い左上から抜くことにした。

左上

近所の歯科医で左上の抜歯をしようとしたが、緊張から麻酔を打った段階で失神した(ここ笑うところ)。このため脈拍等のモニタリングが可能で非常時にも対応がしやすい隣町の総合病院の口腔外科を紹介された。

土曜に総合病院に行き、撮像で状況を確認、そして抜歯前に飲んでおく必要がある化膿止めを処方された。担当医師は総合病院の口腔外科所属だけあって抜歯には相当の経験と自信があるようで、以下のようなことを言われた。

そしてついに抜歯当日。

呼ばれたときはかなり緊張して処置室に入った。医師と看護師が2人で、緊張していると言うと脈拍計をつけてくれた。最初に行った近所の歯医者で一人の医師が忙しそうに複数人の患者を交互に診ていたのに比べると、3人ものスタッフが自分のために付いてくれている安心感は大きかった。

雑談などしつつまず麻酔。歯茎の3箇所くらいに麻酔を打ち、効くまで数分待つ。確実に効かせるためにこれを2回繰り返すといよいよ抜歯だ。どういう道具を使っていたのかよくわからないが(見たくもなかった)、医師が道具をあてがい、頭を動かさないように言われた。麻酔が効いているので歯に感覚はないが、かなり強い力で引っ張られた。数回グリグリという感覚がしたあと、医師に「抜けましたよ」と言われてあまりの早さに驚いた。

僕はそこでホッとしたのだが、医師や看護師にとってはそこからがむしろ大事なようで、となりの歯への影響の確認、抜いた跡が鼻の穴に貫通してないかの確認、そして止血処理を手早く行っていく。それが済むとガーゼを噛むように言われ、血が止まるまでしばらく休憩。その間に抜いた歯を持ち帰るか聞かれたので頷いて返答した(喋れないので)。

その後ガーゼを取り出し、新しいガーゼをさらに20分噛むように言われる。術後の注意事項を説明された。内容は入浴・飲酒の禁止、いじらない、出血が止まらなかったらまた来いというもの。それで終わりなので医師と看護師に丁重にお礼を行って退出。ガーゼを噛んでいたので会計でも喋れなかったが、慣れているのだろう、特に不審がられることもなかった。なお抜歯は安い。自己負担が2000円行かなかったと思う。

麻酔が切れてからも痛みはそれほどなく、会社に戻った。ただ抜歯跡をどれくらい慎重に扱わねばならないかの感覚がわからず、数日間は食事を右だけで噛んでいたのが大変だった。4日後に近所の病院で消毒と経過観察をしてもらって、その段階でもう傷口はデリケートな状態ではないと言われたので、そこからは普通に食事をするようになった。ただし穴はすぐには塞がらないので食べかすは入る。

右上

左上に比べると虫歯は進んでおらず、できることなら抜かずに済ませたいという色気があった。近所の医者には抜けと言われる一方で総合病院では「今じゃなくてもいいんじゃない?」などと微妙なことを言われ、迷いがあった。

だが、虫歯は虫歯だ。戻ることはない。近所の歯医者の説明や家族の「先送りはやめろ」というアドバイスを受け、右上も抜くことを決めた。

そこからの流れは左上と大して変わらない。医師が多忙で決心してから抜くまで3週間くらいあったがそれだけだ。そうして右上を抜いて今に至る。左上の経験があったので食べやすい食品もわかっている。

そしていま

こんなことがあって、現在僕の歯は26本だ。標準が32本、生まれつき生えてこなかった前歯が2本、抜いた親知らずが2本、そして生えてこない下の親知らずが2本だ。なお下の親知らずに関しては他の歯がブロックしているのでたぶん生えてこないと言われている(これ他の歯を押してるってことだし本当に大丈夫か?)。

世には8020という言葉がある。80歳時点で自分の歯が20本残るようにしましょうという標語だ。これは32本持って生まれても、80歳で20本残れば上々という厳しい現実、老いというものの容赦のなさを表している。

縄文時代に抜歯が通過儀礼であったように、歯を抜くというのは取り返しのつかないことだ。自分の体を不可逆的に変化させることには抵抗感や恐怖があった。今もある。それでも僕は医師を、医学を信じて抜歯を選択した。

食事は僕にとって重要な娯楽なので、なるべく長く健康な歯で食事を楽しみたいものだ。でもそう考えている自分は嫌いだ。人が死ななすぎるせいで80歳まで見据えて節制しなければならないというのは嫌な話だ。人間はそもそも80年も生きるようにできていない。死にたくないという欲望からやたらと寿命が伸び、どうせ生きているならいい状態で生きていたいという欲望が我々に歯磨きという自然界にはない習慣を要求する。

右上の抜歯のあと、用事があって郵便局に行ったら雑誌に「年金よりも歯が大事かな」という特集が載っていた。郵便局に来る人間にはこういう特集が刺さるのかと思いつつ、このタイミングで出会うのは何かの因果だろうと思って読んでみると、歴史上の偉人も歯で苦しんだという趣旨のページがあり、苦笑いしてしまった。僕もTJO氏が歯で苦しんでいるツイートを見て、頭脳も金も職も妻もあるTJO氏ですら歯の悩みからは逃れられないのかと勝手ながら安堵した記憶がある。

ルイ14世は侍医の進言により歯を全部抜いてしまったらしい。2019年現在にその逸話を読む我々は大変なことをしたもんだと笑えるが、では数百年後の人類は、ちょっと都合の悪い生え方をしたからといって麻酔をかけてパワーで引き抜く2019年の治療を笑わないだろうか。絶対に笑うと思う。それでいいんだ。

医療は日進月歩だ。今でこそ喫煙は健康に悪いと知れ渡っているが、今の高齢者が育ってきた時代はそうではなかっただろう。科学の進歩に伴って常識は変わっていき、無意味なことを心配していた、大事なことに無頓着だった、両方出てくるだろう。だからそもそも100点の健康生活など望むべくもないのだ。それが人生なのだと思う。

一昨日の食事

最近日記モチベーションが低下していて、これは2日前の日記だ。

もう何も覚えてないが。昼食は麻婆豆腐、夕食は富士そばだったような気がする。

TI9観戦/ナウいScala開発環境/口内炎の予感

日曜なので意識的に在宅していた。

TI9観戦

Dota2のTI9がアツい。FnaticがVPに勝つ番狂わせが起きるかと思いきや起きなかった。Dota2の試合時間はだいたい30分から40分くらいだ。ヒーローは大まかにスキルで戦うヒーローと通常攻撃で戦うヒーローに分類される。前者の方が早熟だが、金を稼いでアイテムが揃うにつれて後者の方が強くなる(基本的に時間が経てば金は貯まる)。金を横軸・強さを縦軸に取ると当然右上がりのグラフになるが、グラフの形はヒーローごとに様々だ。たとえば特定のアイテムを持つことで格段に強くなるということがある。プロレベルの試合では味方のヒーローに重要アイテムが入り、かつ敵のヒーローがまだ重要アイテムを手に入れていない絶妙なタイミングで戦いを仕掛けに行くということもある。そこで勝てば金が手に入り、また有利になる。

しかしこうして有利を拡大していっても決めきれなければ大器晩成型のヒーローによって逆転されることもある。たとえばMedusaは通常攻撃が4体攻撃になるスキルを持つ。単純に考えて通常攻撃を強化するアイテムのもたらす恩恵は4倍だ。だから強力なアイテムを揃える前に勝ちきらなければならない。

ナウいScala開発環境

以前vscodeでScala開発を試みたときはまともに使える拡張機能がなく補完が効かなかったのだが、今はMetalsを入れるだけでいい。補完があるとプログラミングは楽だ。ミスに気づくのは早ければ早いほどいい。

今はActivityPubの実装に挑戦している。仕様が固まっているものなのでTDDしている。ActivityPubではObjectはTypeという属性を持つことを定めているが、これは予約語なので`type`と表現する必要がありややこしい。ScalaTestの機能と思っていたmatcherが実はPlayの機能だったりして難しい。フレームワーク周りの知識がない。

素人丸出しのアレだが、package hogeはそのファイルの内容をhogeに所属させるために使うことを知った。つまり他のファイルからhoge.fugaという呼び出しができるようになる。ファイルでもオブジェクトでもクラスでもなく「パッケージに所属させる」という操作の感覚が新しかった。

今日はもうひとつ、droneのデプロイもした。droneはCIの一種でgitリポジトリにpushしたときに.drone.ymlを読んで自動でテストやビルドを行う。1回毎にdockerコンテナを作って捨てることでクリーンな環境でテストできるのがdroneの特徴だが、1回毎にsbtの初期化を行うせいで(貧弱なサーバーでは)1時間以上かかってしまい、タイムアウトしてしまった。

口内炎の予感

口内の傷が嫌な感じに痛み出していて口内炎になりそうで嫌だ。口内炎は食事が楽しめないのが辛い。ただ、火曜に右上の親知らずを抜くのでどうせ1週間くらいはろくな食事ができない。

四国の男

土曜なので以前から行きたかった展示に行き、その後サークルの合宿に行って四国から来た同期に会った。彼が来たのが夜遅かったので帰宅は終電ギリギリだった。

卒業して

大学時代のサークルが合宿をしていたので顔を出してきた。合宿と言っても親睦を目的にキャンパス内でやるちょっとしたやつだ。今年の新入生は僕の6つ下で、逆に僕が入学したとき6つ上の人はどのように見えていただろうかなどと考えていた。

趣味のサークルで、入った当初は知っている作品数が違いすぎて話についていけなかった。でもそういう人たちのなかで揉まれながら過ごしているうちにだんだんとわかるようになり、今では一生の趣味にできる気がしている。僕は学業は大したことはなかったが、それでも大学生活で今後の人生に資するような「学び」はあったということだろう。

そんなことを思いながらかつて通ったラーメン屋に行き、昔はなかったメニューを見つけて注文した。

Dota2 The International 2019開幕

Dota2の最大の大会であるThe International 2019が開幕した。今年の賞金総額は35億円で去年より10億円も増えている。何があったんだ。優勝すれば16億円が手に入る。原資は主催者が出した金とプレイヤーがゲーム内アイテムを買うための金で、つまりこの賞金のうち1000円分くらいは僕の金だ。

1年間の中規模大会の成績上位12チームと、各地区の予選を突破した6チームの計18チームが参加している。まずこれを9チームごとの2グループに分けて総当りを行い、各チームの最下位は脱落。その後残ったチームでダブルエリミネーショントーナメントで優勝チームを決める。

去年は大会直前にメンバーを入れ替えた予選組のOGが優勝するという大波乱があったが、今年はどうなるだろう。1日目終了時点ですでに強豪のLiquidとEGが負け越すという予想外の展開が起きている。一方で年間成績1位のSecretは貫禄の3連勝。

紙の本と電子書籍

向き不向きがある。

紙の本のいいところ

  • ページ送りが長距離も短距離もとても速い
  • どこに何が書かれているか空間的に記憶できる
  • 書き込みが自由自在
  • 所有できる

電子書籍(with iPad)のいいところ

  • 保管場所が不要
  • 光るので夜道でも読める
  • 検索できる

情報処理のしやすさで言えば圧倒的に紙の本だ。紙をたくさん重ねて情報を立体的に集約するという発想は人間の空間認知能力と相性がいい。ページ送りの物理的利便性も高く、たとえば100ページ前の内容と見比べながら読み進めたいというときに紙の本ならば100ページ前に指を挟んでおけばすぐに行き来できる。逆に電子書籍のページ送りの遅さは腹立たしい(これはデバイスのせいかもしれない)。

以上を踏まえて、サッと読みたい軽い本だけ電子書籍を買うのが良さそうだ。

 

一寸の虫にも五分の魂

出勤して2時間ほど作業をしてから左手に違和感があって見たら尺取り虫が歩いていた。驚いてデコピンで机に飛ばしてしまったのだが、彼もこんなところに来たくて来たわけではなかろうと思い、昼食に出るついでに道端の植え込みに逃してきた。

僕は生き物を殺すのが苦手だ。でも蚊は殺す。自分に対する言い訳としては「蚊は病気を媒介するので自衛のために仕方ない」ということになっているが、これはほぼ嘘だ。実際は蚊は肉の部分が少なく死体を見ても大して罪悪感が湧かないからだ。人間なので殺しても触覚や視覚の刺激が弱ければ罪悪感は湧かない。

この考え方は捕鯨やイルカ漁に反対する勢力と同じだ。少なくとも僕は見た目のかわいさで生き物を殺したり殺さなかったりする。そしてそんな自分の身勝手さを覆い隠すために、あの生き物は殺してよかったんだ、殺す正当な理由があったんだと適当な理屈をこねる。

盆三部作Part.3『法事』

3日目は法事だった。と言っても自宅に和尚が来て10分程度読経してもらうだけだ。例年朝一番なのだが、今年は順番を逆順にしたとのことで午後3時だった。

法事が終わったらすぐ鈍行に乗って東京に出発した。あまり座れなくてしんどかったし、DDD本を読んでも何もわからなくて辛かった。概念も具体例も全部難しい。開発の経験が先にあって初めてわかる本なのかもしれない。今は「こういう概念が存在する」ということだけを覚えておいて、また必要になったときに読むことにしよう(撤退)。

明日仕事マジ?

盆三部作Part.2『文化生活』

帰省2日目は特にすることがなかったので県立美術館と市立美術館に行ってきた。

県立美術館は熊谷守一展だった。芸大にいた頃は写実的でわかりやすい上手さだったのが、どんどん線が単純化して独自の作風になっていったのが面白かった。『熱海』は色遣いが美しかった。『大巌寺の鵜の森』は黒い木の枝と黒い鵜が灰色の空をバックに描かれていて不気味だった。『大巌寺の鵜の森』との比較で『蟷螂』もよかった。前者は油絵で木の枝のZ軸情報は絵肌の流れる向きで表現されていたが、後者は日本画でZ軸情報は墨の濃淡と重なりによって表現されていた。

市立美術館はイギリス北部の貿易商の絵画コレクションを展示していた。開幕ゴッホ『アレクサンダー・リードの肖像』でびっくり。近づいてみたり遠ざかってみたりしながら点描や色遣いの独特さを楽しんだ。作家ごとにはっきりと作風の違いが現れていて面白かった。僕は平凡な現代人なので描き込みが多い精密な作品が好きだが、そう見えても近づいてみると全然精密には描き込まれていなくて、本当にそう見えるだけであるということもあって驚いた。今なら精密に描いてデジタル処理でブラーをかけそうな絵を、過去の画家たちは絵筆一本で描き上げていたというのは不思議だ。

帰宅後はひたすらアニメを消化していた。