平成が終わる

完全に予想可能なタイトルだけど、今日はこれを書かねば嘘だろう。

僕が「平成」という概念を理解したのは4歳の頃だ。引越しで幼稚園を移ったとき、新しい幼稚園の始業式で「平成」という言葉が使われていて、それがなにか理解していないのは僕だけなのかと焦った記憶がある。

それ以外は特にない。生まれてから今までずっと平成でそれ以外が存在しないので「平成」について語る内容がない。令和になっても僕にとっては24歳までとそれ以降という区分けにしかならないだろう。

もはや元号とは関係ないが、僕の記憶にある出来事とそうでない出来事の区分けならできる。地下鉄サリン事件や消費税導入、阪神・淡路大震災はいずれも僕のエピソード記憶にない出来事だが、実際に僕の生まれる前に起きたのは消費税導入だけだ。また、記憶に残っている最初の総理大臣は森喜朗だが、僕の生まれたときに総理大臣だったのはその4代前の羽田孜だ。今調べて初めて名前を知った。

逆に僕の記憶にある中で大きな出来事と言えばやはりアメリカ同時多発テロ事件だ。このとき僕は小学2年生だった。小学校から帰宅してすぐランドセルを背負ったままでテレビのニュースを見ながら、自分は歴史の転換点に立ち会っているのかもしれないと思った。それはある程度事実だったようだ。民主党への政権交代も大事件のように感じていたが、すぐ自民党に戻ったので大したことはなかったようだ。東日本大震災も大きな出来事だったが、あのときは既に高校生だったのでそれほど衝撃は受けなかった。

ところで政府が元号を使うのは非効率なのでやめて欲しい。日本じゅうの人間に書類を書くたびに換算作業を強いるの正気か?それでは皆さん、れいわ(一発変換できない)で会いましょう。

ニコニコ超会議2019で働いた

プロフィールページにも書いてあるが、私はドワンゴの社員だ1。なのでニコニコ超会議2019でスタッフとして働いていた。担当は『超コスプレエリア』だった。たくさんのコスプレを見られて楽しかった。楽しんでいる人を見るのは楽しい。来てくれた方はありがとうございました。

ニコニコ超会議の面白さは自分が興味を持っていなかったものを知ることができるところだと思う。ネット上でコンテンツを漁っていても予想もしないものが目に入ってくる可能性は低いが、リアルイベントなら聴覚や視覚を通して自分が見たいと思ったもの以外のものが大量に流れ込んでくる。コンテンツだけではなく、そのコンテンツを愛する人々もだ。

万人向けの娯楽だったテレビが存在感を失い、現代人は一人ひとりが自分のスマホの画面と向き合いながら自分の好きなものを見ている。隣にいる人が何を好きなのか聞かなければわからないし、聞いてもピンとこない。そんな時代にいろいろなコンテンツを一箇所に集めて「他人の好きなもの」が見えるお祭りをするというのは面白い。それを雑味に感じる人もいるだろうが、僕はそうやって世の人々が何を考えているのかを知るのは楽しい。まさに『同じってうれしい。違うってたのしい。』だ。

私の職業はエンジニアだが、究極的には人に喜んでもらうことが仕事だ。それを再確認する良い機会となった。足がまだちょっと痛い。

発狂

今日は日記を書いた。その内容は以下の通りだ。

今日は日記を書いた。その内容は以下の通りだ。

今日は日記を書いた。その内容は以下の通りだ。

今日は日記を書いた。その内容は以下の通りだ。

日記を書くという行為は同時に日記に書かれるべき行為でもあるということに気づいて脳内無限ループが発生し発狂した。助けて兵庫県警。

給料が出ますよ/localStorageは文字列限定/右に偏っている

明日が初任給だ。まだ年金も健康保険料も住民税も引かれないので額が大きい。考えたら憂鬱になってきた。とは言っても既に健康保険の恩恵はたっぷり受けている。給料を増やすためにスキルアップするか、資本家になるか、革命を起こすか、どれがいいか考えている。

今日もTodoアプリの作業を進めた。customsをlocalStorageに保存しようと思ったのだが、配列を保存しても勝手に文字列に変換されてしまっていた。文字列しか保存できないらしい。Store.jsというライブラリを使う手を教えてもらったが、ごく単純な文字列の配列を保存したいだけだったので配列を.join(',')して保存し、読み出すときに.split(',')している。

Reactはパフォーマンスのためにリストアイテムにユニークなkeyをつけるよう推奨している。困ったのでmapするときのindexをそのままkeyに放り込んだが、それでよかったのだろうか。

抜歯の跡がまだ気になって右でばかり噛んでいる。明日の午前中に歯医者に行って経過を診てもらう予定だ。食事を気にする必要はないと言われたら体に悪いラーメンでも食べに行きたい。左で噛めるようになったら次は右を抜かなきゃいけないわけだが。

ReactでTodoアプリ/枠を超える笑い/日記が長い

ReactでTodoアプリ

しばらくReactのドキュメントを読んでいたのでそろそろ実践しようと思いTodoアプリを作り始めた。帰宅してから何をするかを整理し、実行できたかをチェックできるものにしたい。Custom欄を設け、毎日やりそうなことはCustom欄からAddAllで一括登録できるようにした。Customの内容は今はハードコーディングしているがCookieから読めるようにしたい。

環境構築にcreate-react-appを使った。デフォルトでeslintが入っていてミスや無作法を懇切丁寧に指摘してくれるし、LiveServerを起動しなくても保存するだけで変更が反映される。これがモダンな開発かと感動した。

読むのと作るのでは当然違うのでよくつまづくが、それが勉強というものだ。楽しい。

枠を超える笑い

お気に入りのユーチューバーでありお笑い芸人でもあるガーリィレコードチャンネルの新作動画が面白い。リアルイベントの映像化だ。

デブ3人が面白いことをするのをガリが撮影するというのがガーリィレコードチャンネルのお決まりの流れであり、この動画は隙間を走り抜けるデブ3人をガリが判別するという遊びだ。

詳しくは自分で見てほしいが、走り抜ける3人を頑張って見て当てる(当てられないように速く走る)というルール通りに遊んでいたのは序盤だけで、中盤以降は予想もつかないルール破りがテンポよく飛び出す。そのたびに大声で笑ってしまった(感情がある)。あらかじめ枠を設定しておいて、それを飛び越えると笑いが生じるのだろう。

日記が長い

最近は妙に読者を意識して長いブログを書いてしまっている。時間がかかってしんどい。

抜かれた歯の気持ち

「今日はどうせ『抜かれた歯の気持ち』とかで日記書くんだろ」と煽られて腹が立ったので、今日は『抜かれた歯の気持ち』で書くことにした。煽った連中は責任を持って最後まで読め。

と言っても、無生物を擬人化するのは得意ではない。というか好きではない。昔はよくやっていた。長く使ったモノを捨てることはモノの「愛」や「信頼」を裏切る行為のように感じていた。このことは以前書いた

ところで動物に人間がアテレコする邪悪テレビ番組があるが、あれは人間の動物への思いを投影しているに過ぎない。同じように、「抜かれた歯の気持ち」と言っても僕の歯への思いを語ることしかできない。

さて、今はモノを捨てることへのためらいは減ったが、身体の一部を捨てるとなるとやはり抵抗はある。本質的な違いはなんだろう。

  1. 生まれたときから持っている
  2. 自己そのものである
  3. 再生不可能

1はあまり本質的とは思えない。生まれたときに包まれていた毛布を今でも持っている人がどれだけいるだろうか。ただ、無理やり持たされていれば身体と同じくらいの愛着は感じるものかもしれない。

2はなかなかおもしろい。デカルトは心身二元論を唱えたそうだが、僕は現代心理学を学んだ人間なので二元論には反対だ。僕が自己=「心」と思い込んでいる情報処理機構は、僕の身体と密接に結びついている。人間の情報処理は感覚入力から運動出力へのマッピングであって、つまり身体と切り離すことはありえない。高齢者の認知能力の低下(に見える現象)は大部分が知覚能力の低下、つまり感覚器官の物理的損耗によるという話もある。そもそも人間の情報処理は全て神経細胞のネットワークによって実現されており、適切に切ったり薬を投与したりすれば、「心」に属するという思われている病気も治ったりする。

書きながら思い出したが、『魔女の宅急便2 キキと新しい魔法』には『中心点行方不明病』という病気が出てくる。カバがライオンに尻尾を食いちぎられたことで心身の不調を訴えるというものだったと記憶している。物理学的にはカバの巨体にとって尻尾の重量など大したことないのだが、ずっとその体で生きてきた本人にとってはそうはいかないということだろう。物理的な損壊が思考の主体である自己すら脅かす。

3も大きなファクターだ。何でもかんでも大量生産されデータ化されている現代では大概のものは捨ててもまた手に入る。だからこそ僕はいろいろなモノをひと思いに捨てることができているが、自分の身体は一度捨てたらもう二度と元通りにはならない。

これは僕にとっては重大な事項なのだが、おそらくヒトにとっては重大ではない。成長や怪我や加齢で身体は絶えず変化し続けているし、それに合わせて常に身体コントロールの調整も行われている。

要は身体に永続性・不変性を求めていることのほうがおかしいのだ。その背景にあるのはいつまでも健康で生きていたいというバカみたいな欲望だ。そういう欲望を持つことと、それが実現しないことは僕が数億年の進化を勝ち抜いてきた生物である以上避けられないことであって、議論するのは無意味だ。存在したいと願った遺伝子が存在している。

医療の発達によって人間はやたらと長生きするようになってしまった。意味ないのに。

アイコンを変えた/明日は抜歯だPart.3

※この記事は『本麒麟』を飲みながら書かれた。

ツイッターなどで使っているアイコンを変えた。就職を機に長く使えてユニーク性の高いものに変えたいと思っていた。また、アイコンに必要なのは何より視認性だ。これらの観点から新アイコンは自分の顔写真をトレスして作った。顔はもちろんユニークだし、流行り廃りもないし、人間は顔に敏感なので視認性も高い(高速で流れるTwitchのチャット欄で顔文字が多用されるのはこれが理由だと思う)。

さて、明日は抜歯だ。今度こそ本当に抜歯だ。そう信じている。