evdevを消してパソコンを漬物石にして直した/デジタル断捨離

※この記事は『のどごしZERO』を飲んで書かれた。

↑所詮発泡酒だが『ぐい麦』に比べればはるかにマシ。甘い香りがある。

Ubuntuでマウスやらキーボードやらを使うときはlibinputとかevdevがドライバとして動いている。それを消すとどうなるかというと、マウスもキーボードも使えないのでログイン画面で詰む。

発端はマウスの不調(体感)だ。カーソルが跳ねたり動きが鈍かったりということがなんとなく増えた気がしていたが、たまに起きるだけだから測定も原因特定もできずにいた。でも何か対策っぽいことをせずにはいられずにドライバ周りをいじっているうちにうっかりevdevを消したままrebootをかけてしまったらログインできなくて詰んだ。

sshでコマンドを実行できないかとか、リカバリーモードなら起動できないかとかいろいろ案はあったが、どれも成功せず(sshはsshdがないからだがなぜリカバリーモードに入れないのか)結局SSDをバックアップしたうえでUbuntu18.04を再インストールした。

一応バックアップはしたが設定は自力で再調整するのが楽しいし、作業用の環境なんかはほとんどクラウドにあるので何も輸送する必要はないかもしれない。いい時代だ。

正直であること/リアクタンス/コペルニクス的転回

正直であること

僕は正直であること、つまり自分が感じたことをなるべくそのまま表現することを美徳としている。それは感情面でも実利面でもメリットが大きいと思っているからだ。また、正直な発言が誰かを傷つけそうなときは何も言わないようにしている。

これは単なる自分ルールに見えて、実は僕の思想の根幹でもある。常にそのときに自分が感じたことを素直に表現していると、過去の自分と一貫しないことがよくある。その場合僕は過去の自分を捨てる。人の感じ方が変わることは当たり前だと思っているので、自分に一貫性は課さないし、他人にも課さない。ただし変化の理由は知りたがる。

自分の感じ方は自分の考え方より前にある。たとえば僕はジェンダーフリーの思想を支持しているが、ふと「男のくせに」「女のくせに」という感じ方をしていることはよくある。しかしそれを発言すると誰かを傷つけうるので発言しないように気をつけている。つまり僕のジェンダーフリー思想は「そういう設定」に過ぎないのだ。そうであることに後ろめたさはない。たぶん思想というよりも行動目標と言ったほうが正確なのだろう。

同時に自分はなぜ「男のくせに」「女のくせに」という感じ方をするのだろうということには興味がある。自分の心はまず制御できないものとして存在していて、後からその理由を探す。そうやって生きていると、万事に後から理由を付けることに慣れ、現状追認や綺麗だが内容のない文章を作るのがうまくなる。

リアクタンス

「やれと言われたことはやりたくなくなる」という現象をリアクタンスと言うらしい。「らしい」というのは、数年前に社会心理学専攻の友人に聞いた言葉だが、手元の信頼できる教科書には載ってなくて不安だからだ。

ともかく、やってもやらなくてもどっちでもいいと思っていることは、「やれ」と言われたら絶対やりたくなくなる。僕はそういう人間。

コペルニクス的転回

僕は基本的に支払いはクレジットカードでする。それは全ての支払いが記録されるのが便利だからだ。あとポイントもつく。

財布にはカードを入れるポケットがあり、そこにクレジットカードを入れている。しかしポケットに入れているとカードの頭の部分が5mm程度しか見えていない状態になり、そこに親指を当てて滑らせて摩擦で取り出すのは結構難しい。となるとポケットに親指を突っ込んで引っ張り出すことになるのだが、これはダサい。

この問題にずっと悩まされてきたのだが、今日唐突に解決法を発見した。クレジットカードを上下逆にポケットに入れればいい。そうするとポケットから飛び出す部分には名前が立体的に印字されている。ここには指の腹がよく引っかかるので、親指を当てて滑らせるだけでカードが取り出せる。カードは上部が見えるようにして入れるという固定観念に囚われてなぜこんな簡単なことに気づかなかったのだろう。

よく喋った

※この記事は『ぐい麦』を1.5本飲んで書かれた。

↑0.5本分同僚に飲ませてフィニッシュ。

今は黙々とプログラムを書くのが仕事だが、今日は昼食・帰り道・帰宅後によく人と喋った。雑談の中にふと人となりが現れるのは面白いし、真剣な話の中でまっすぐに意見をぶつけ合うのも面白い。もしかしたら僕は人間が好きかもしれない。

近所の家が取り壊されている/鉄鍋修行中

※この記事は『ぐい麦』を飲んで書かれた。

↑無価値な酒があと2本残っている。誰か消費しに来てほしい。

今日はのんびり起きて積みアニメを消化。駅前まで行ってランチを食べ、100円ショップでカゴやら磁石式ふきんホルダーやらたわしやらを買い、焼きそばの材料を買って帰った。その後寝て起きてサザエ見て洗濯してアニメ見て日記書いてる。

近所で家を取り壊している。普通は家というのは外観と内装がそれぞれ存在するものだが、取り壊しの最中はその区分が破壊されてごちゃごちゃの資材の塊になるのが面白い。青い空、白い雲、瓦礫の山の中に一部残った壁とそこにかかった12月のカレンダー。全てが同時に視界に入ってくる体験は新鮮だ。

ほしい物リストに鉄鍋を入れておいたら誕生日にうたもく君がプレゼントしてくれた。鉄鍋は頑丈で、火の通りがいい。今度はチャーハンでも作るか。デメリットは重いこと。鉄だからね。

dアニメストアのプレイヤーのコントロールのポップアップが邪魔だ

dアニメストアの問題点

dアニメストアのプレイヤーはこんな感じで、左下の30秒巻き戻り・30秒早送りボタンにカーソルを乗せると下の図のように10秒か30秒を選べるボックスがポップアップする。

このボックスの当たり判定は下図の緑色の領域であり、困ったことに見た目よりかなり大きい。このポップアップが表示されている間は緑色で囲まれた領域のシークバーをクリックすることはできない。また、カーソルが緑色の領域の外に出ない限りこのポップアップは消えない。

この性質は30秒早送りボタン、音量調節ボタン、設定ボタンの全てに共通している。するとどのような問題が起きるか。

シークしたいときにカーソルをシークバーに乗せようとするのだが、シークバーの当たり判定は非常に細い(下図参照)ので間違ってその下にあるボタンにカーソルを乗せてしまう。

動画にすると以下のようなイライラが発生する。

Netflixの場合

Netflixにも同じ問題がある。ただし以下の違いによって体験はそれほど悪くない。

  1. ポップアップの見た目と当たり判定の差が小さい
  2. ポップアップが消えるときにはアニメーションがない
  3. 全体的にUIが大きい

Amazonプライムビデオの場合

AmazonプライムビデオはUIデザインが違うのでこの問題はない。再生エリアの上でマウスを動かすと下図のようにコントロールが画面に重なって表示される。展開を必要とするコントロールは右上にまとめられ、クリックしないと開かない。

操作性は悪くないのだが再生中の動画の上にコントロールが重なって表示されることには賛否があるだろう。僕は嫌いだ。

Youtube・ニコニコ動画の場合

いずれもコントロールはクリックしないと展開されないようになっている。

久々の遅刻投稿

※この記事はなんかビールを多めに飲んで寝て起きて書かれた。

昨日は誕生日だった。仕事が早めに終わったので帰ってゴロゴロしてたら危険人物と名高い同期の女が訪ねてきて、同期の部屋の飲み会に参加した。危険な女と、会社と社会の関わりについて話していた。

午後からいろいろやった

※この記事はサイゼリヤ比でちょっとお高めのワインを飲んで書かれた。

免許更新、抜歯(診てもらったら必要なさそうだったので中止)、買い物、大学の友人との飲酒。

いろいろやった日はいろいろ書きたいことが生じるものだが、全部忘れたので寝ます。人生がさき、日記があと。

思い出したので追記する。誕生日を前にして図々しくも欲しい物リストを充実させようと目論んでいたのだが、欲しいものが特に思いつかなくて困っている。無欲は美徳かもしれないが欲しい本すら思いつかないというのは勉強の意欲に欠けるということだ。困った。

とりあえずメモを載せて貼っておく

東銀座の風と汐留の光

※この記事は『プレミアムモルツ』を飲んで書かれた。

今日は東銀座のスープカレー屋『イエロースパイス』でランチを食べた。のんびり歩いていると春の気持ちいい風がゆっくり吹いてきて、太陽の光も柔らかく、幸せな気分になった。

夜は同僚と飲んで汐留から帰った。汐留シティセンターの地下に潜る階段の前に立つと、目の前には広大な半地下空間が、そして目線を上げると高い高いビルがあり、一つ一つの窓から照明の青白い光が漏れていた。

これだから東京は面白い。