誕生日が迫っている

僕の誕生日は5月17日だ。近づいていることを友人に話したら「欲しい物リストを公開せよ」と言われた。なるほど。Amazonには権力と世界は売っているだろうか。

焼きそばに紅しょうがと青のりをつけることにした。味に立体感が出る。味の立体感ってなに?

五月病の訪れ

はっきりと体感している。いつも通りの労働時間なのだが午後から急に集中力が落ち、腹痛もあった。帰り道もぼーっとしていた。胸が重く気持ちも沈んでいる。

いろいろ理由は思いつくがシンプルに五月病だと思う。4月は緊張感が持続していて疲労を感じにくかったが、そろそろ慣れてきて気持ちで体の消耗をごまかすことができなくなるのだろう。まだ現世で肉体に束縛されているので仕方がない。

今日は早く寝る。この手に限る。

ライブブログ更新

※この記事は『本麒麟』『金麦』を飲んで同期に脅されながら書いている。

同期を部屋に招いて酒を飲んでいたら「ライブブログ更新をしろ」と脅迫されたのでしている。僕の精神的自由の象徴であるべきブログは就職以降同期のオモシロコンテンツとしての役割を求められることで自由度を失い、今はもう執筆すら同期にプレッシャーをかけられながらしている。

さらに悲しいことに、自分が「自由」に書きたいことを書いているよりも読者を意識してウケ狙いで書いた文章の方がウケがいいのだ。ウケようと思ってウケるんだから僕には文章の才能があるのかもしれないが、そういう目的でやっている日記ではない。

ソウルフードの終焉

大学時代のサークルが合宿をやっていたので顔を出してきた。現役時代にサークルでソウルフードとして扱われたラーメン屋があるのだが、今ではそういうポジションは失ったようだ。現役生に聞くと味や衛生面に不満があった。

僕はそれでもそのラーメンが食べたかったので行ったのだが、意識していると確かに洗剤の匂いがするし給水器水漏れしてるし、おしぼりないしチャーシューも不味かった(これは運が悪かった?)。味は昔と変わった気はしないが…

オジサンの懐かしさで生き延びている商売って結構あるんだろうな。

衛星放送月額2230円

NHKの集金のニーチャンが来た。「このマンションにはBSの共同アンテナがあるので衛星放送の料金を払え」とのことだ。月1000円くらい値上げした。前の家はBSは映らなかったし今の家でも映ると思っていなかったので全く見ていない。見ないから払いたくないのだが、NHKのニーチャンの「アンテナあるやん」という理屈もわかる。BSアンテナを設置しているのは「BSを見たい」という意思表示として判断するのが合理的だ。こればかりはアンテナがある家に住んでいる僕が悪い。

とにかく僕はNHKに受信料を払っている。政府からもスポンサーからも独立したメディアが1つくらいあったほうが良いと思っているからだ。それにNHKはアニメも作る。『電脳コイル』『獣の奏者エリン』『エレメントハンター』『ピカイア』『3月のライオン』などなど。NHKがやっている文化事業も意義は大きい。

しかし、月額2230円は高い。払わないのも魅力的だ。それはテレビを捨てるという意味だ。僕はほぼアニメしか見ないし、アニメはほとんど配信サービスで見られる(僕はdアニメストア・Netflix・amazonプライムビデオを利用している)。一方でアニメのリアルタイム視聴や実況はできなくなる。

ここで思い出したのは「NHKだけが映らないアンテナ」の話だ[note]ググったら作ったの掛谷英紀で笑ってる。彼は極めて独創的な世界観を持つ筑波大の准教授だ。なおこの記事にあるようにNHKはテレビの技術をかなり押さえているのでこのアンテナの実現は難しいだろう[/note]。NHKだけが映らず、それゆえ受信料を払う義務のないアンテナがあったら僕は買うだろうか。たぶん買う。でもそれは前述の「NHKの独立性」や「NHKの文化事業」の価値を無視した行為だ。つまるところ、僕は本音ではNHKの価値を認めてないし金を払いたくないが、受信料のニーチャンと戦うのが面倒だったり周囲に偉そうな顔をしたかったりという理由で受信料を払っていて、それっぽい理屈を後付けしているに過ぎない。そうでなければNHKが映らなくたってNHKに金を払うはずじゃないか。

周囲に偉そうな顔をしたい人が文化を作ってきたのは間違いないんだけどね。大仏とか。

話が非常に複雑になってきた。いいたいことはいろいろ浮かんでくるがまとまらない。全部丁寧に書いている時間はないのでざっくりと。

  • NHKには「独立したメディア」「文化のパトロン」という社会全体に対する価値と、「面白いアニメを作って放送する」という僕に対する価値がある
  • 「面白いアニメを作って放送する」価値は配信が発達した現在、低下しつつある
    • ただし放送することと作ること(制作に金を出すこと)の価値は別
  • NHKがテレビの技術を握っていたり法で特権を認められたりしているため、テレビというデバイスとNHKを切り離して論ずることができない
  • アニメのネット配信がどんどん発達してテレビを倒してほしい。テレビの放送網は強いが地方は数日遅れとかザラにある。ネット配信の勝機はそこにある。

ラッシュ回避

GW6日目の下り新幹線は東京駅からなら発車直前にホームに着いても座れた。Uターンラッシュの前に戻って来たい。

「戻ってまた行く」のか「行って戻る」のか。富士山にありがたみのない土地だ。

ようやく連休をエンジョイした/キーボード

※この記事は『本麒麟』を飲んで書かれた。

大型連休と言っても2日間は働いていたし、その次は休養、その次はダラダラして今日はようやく連休らしいことをした。

朝から映画館で『バースデー・ワンダーランド』と『東映まんがまつり』を見た。その後帰宅して掃除・洗濯、さらにキーボードの掃除もした。

僕が使っているキーボードはMistel BAROCCO 日本語配列(ピンク軸)だ。右手と左手が分離しているので自由に配置でき、関節にやさしい。その代わりタイピングは完全に基本に忠実な打ち方しかできなくなる。

基本的には右半分のキーは右手で、左半分のキーは左手で押す。しかし高速タイピングを極める場合同じ指を連続で使わないようあえて基本から逸脱することがある。たとえば「NYU」と入力したいとき、基本形のままだと3つとも右手の人差し指を使うことになるが、これは大きなタイムロスになる。このとき達人は「Y」だけ左手の人差し指で押す。分離キーボードではこのような最適化は行えない。

ピンク軸というのは赤軸の静音バージョンだ。キーを少しずつ押し下げていったとき、反発力が線形に増加し、入力が実行される深さに達しても押し心地が特に変化しないのが特徴だ。これは最初は違和感があるが、どの深さまで押し込めばいいか覚えてしまえば指の負担が軽くむしろ楽だ。

ちなみに私のタイピング速度は10000人中303位だった。

平成が終わる

完全に予想可能なタイトルだけど、今日はこれを書かねば嘘だろう。

僕が「平成」という概念を理解したのは4歳の頃だ。引越しで幼稚園を移ったとき、新しい幼稚園の始業式で「平成」という言葉が使われていて、それがなにか理解していないのは僕だけなのかと焦った記憶がある。

それ以外は特にない。生まれてから今までずっと平成でそれ以外が存在しないので「平成」について語る内容がない。令和になっても僕にとっては24歳までとそれ以降という区分けにしかならないだろう。

もはや元号とは関係ないが、僕の記憶にある出来事とそうでない出来事の区分けならできる。地下鉄サリン事件や消費税導入、阪神・淡路大震災はいずれも僕のエピソード記憶にない出来事だが、実際に僕の生まれる前に起きたのは消費税導入だけだ。また、記憶に残っている最初の総理大臣は森喜朗だが、僕の生まれたときに総理大臣だったのはその4代前の羽田孜だ。今調べて初めて名前を知った。

逆に僕の記憶にある中で大きな出来事と言えばやはりアメリカ同時多発テロ事件だ。このとき僕は小学2年生だった。小学校から帰宅してすぐランドセルを背負ったままでテレビのニュースを見ながら、自分は歴史の転換点に立ち会っているのかもしれないと思った。それはある程度事実だったようだ。民主党への政権交代も大事件のように感じていたが、すぐ自民党に戻ったので大したことはなかったようだ。東日本大震災も大きな出来事だったが、あのときは既に高校生だったのでそれほど衝撃は受けなかった。

ところで政府が元号を使うのは非効率なのでやめて欲しい。日本じゅうの人間に書類を書くたびに換算作業を強いるの正気か?それでは皆さん、れいわ(一発変換できない)で会いましょう。