並木通りを歩くと、僕が、僕の頭部が、僕の眼球が移動するに従って目と木の位置関係が少しずつ変化する。それにしたがって木が異なった角度から少しずつ違った見え方をする。
3DCGを利用したゲームは視点・光源・物体頂点の位置関係を逐一計算して2次元的な見え方を計算しているのだろう。その処理は複雑であり、現実よりはるかに劣るグラフィックを現実より遥かに劣る解像度[1]・現実より遥かに劣るリフレッシュレートで表示するだけでも高価なGPUが必要になり、部屋が暑くなる。
逆に考えて、どうして現実空間はレンダリングが必要ないのか。我々の眼球に入る光はどのような力によって計算されているのか。そうして考えてみると、最終的には光が直進する性質に行き着く。光は光源から一度放たれれば物理法則に従って自力で飛んでくれる。だから我々人間は眼球を用意して飛んでくる光を受けるだけで済む。とすると太陽という巨大な核融合炉が現実世界のGPUということになる。
私は心理学を専攻しながらプログラミングを学び修了後はエンジニアになるが、そもそも現代の心理学は情報科学に強く影響されている。人間をコンピュータと同じ情報処理装置とみなすことによって多くの発見がなされた。その代表的なものが短期記憶(メモリ)と長期記憶(ストレージ)という概念だろう。
それにしても、私はこのブログを心理学啓蒙ブログにしようとは思っていないのだが、なんとなく思い浮かんだことを書いていくと自然と心理学の話になっている。専門分野を持つことの肯定的な意義は世の中のあらゆることを自分の専門分野というものさしによって見られるようになることである。もちろんそれでは測れないものもあるだろうが、測れない・違うということがわかるための基準を持っているのは良いことだと思う。
[1]なお眼球から出力される神経の数は10^6(1000×1000)程度しかない。しかしこれは視覚の貧弱さというよりもむしろ網膜で既に高度な圧縮が行われていることを意味する。詳しくは網膜神経節細胞でググれ。