ハード目な労働、それを埋め合わせるためのお菓子購入外出、迫る閉店、鍵落とし、蹴躓き、筋肉痛
洗濯物乾かず。
労働は人生に意味を与えてくれるものであり、30代独身男性の僕が「「「社会」」」に貢献した気になれる唯一の窓口だ。自分で手を動かす仕事であるからアウトプット量のレバレッジに限界はあるものの、細部まで行き届いた必要十分なものを作れたときは美的満足感も得られる。
しかしながら、頑張って働くことがどこに通じているのかわからなくなるときがある。石油を掘ったり野菜を育てたりする職業なら努力した分だけ世界の富が増えるだろう。しかし僕の仕事はそうは思えない。人間の時間という有限のリソースを誰かと奪い合っているだけなのではないか。僕の努力による顧客の増加は、そのまま他の誰かの顧客の減少なのではないか。誰かの「今日は仕事を頑張った」というツイートを見たとき、自分が遅れを取っているのではないかと焦る。ライバルよりわずかでも速く走るために、全員が身体と精神をすり減らしながら働くのは、端的に言って何かが狂っているのではないだろうか。
居室で加湿器を動かしながら浴室乾燥機を動かすんだ。笑えよ。おしまい。