モーツァルト『ピアノ協奏曲第20番』

※この日記は『アサヒ スーパードライ』を飲みながら書かれた。

モーツァルトは天才作曲家である。彼は貴族の家のBGMを作曲するのが主な仕事だったので、楽しく華やかな曲が多い。そんな中にあって、短調の暗い曲の中にも『交響曲第25番』『交響曲第40番』など優れた作品がある。僕が一番好きなのは『ピアノ協奏曲第20番』だ。

第1楽章は伝統的な協奏曲の形式に則り、まずオーケストラのみで第1主題・第2主題を提示する。その後おもむろにピアノソロが入り、再び第1主題・第2主題を提示する。僕はピアノソロが入ったあとの第1主題の提示部分が大好きだ。4小節遅れて入ってくるピアノの16分音符の緊張感といったらない。

以下の演奏はモーツァルトの大家である内田光子のものだ。入りの部分で非常に気をつけて小さい音でオーケストラにそっと寄り添いつつ、シンコペーションで拍感が弱いオーケストラに対して16分音符という最も細かい音符を一つ一つ明確に鳴らすことで音楽の流れを支配している。僕はこの部分を聞くと、疾走する夜行列車(オーケストラ)の後ろを異形の怪物(内田光子ピアノ)がたくさんの足を蠢かせながら音もなく追ってくる情景を思い浮かべる。

内田光子の演奏ではピアノが入ってから4小節間の起承転結が綿密に計算されている。弱く入って少しずつ存在感を増すが、3小節目の最後でわずかに力を抜いてスピードも落とすことで4小節目の主和音への解決を促す。ただし4小節目でも音量を落とし過ぎないことで次の4小節間に自然に繋がるようになっている。

第3楽章の話もしたかったが、分量が多いのでそのうちする。それにしても内田光子の演奏中の顔は迫力がある。人間はいろんな機能が雑にくっついちゃってるので、指先で複雑な表現をしようと思ったら顔まで動いてしまうのだろう。

散漫

今日は妙に集中を欠いた一日だった。つまり散漫だった。

研究発表を聞いても全然理解できなかったし、自分の発表準備も進まなかった。残念だがそういう日もある。研究は頭を使う作業であり、その効率を無理やり上げようとするのは難しい。集中力を用いずとも何かしら手を動かせば研究が進むというのならそれをしてお茶を濁すが、現段階ではそういうタスクはない。

その原因は昼のミーティングが英語だったからかもしれない。僕は日本語に比べて英語が苦手だ。英語を理解するためには集中を必要とするし、英語を話すためには準備時間を必要とする。母語が英語でないというのは不便なことだ。

昨日大きなことを言ったばかりだが、ブログに何を書くべきかわからなくなってきた。6月から書き始めてそろそろ3週間になる。目新しい話題もない。かと言ってこのままブログをフェードアウトしてしまうのは惜しい。というわけで音楽の話をしようと思う。僕という人間が出涸らしになるまではすこしずつ新しいネタを出していく。その先に何かが見つかるかもしれないので。

最近よく聴いているのはラフマニノフのピアノ協奏曲第3番だ。

この曲で最も有名なのは第3楽章のラスト、ピアノがA→Dの和音を連打する感動的なフィナーレの部分だ。最後の盛り上がりの部分なのでピアニストは最大限の情感を込めてテンポを揺らすが、楽譜を確認してみると面白いことがわかった。

この部分は6/4拍子、つまり2拍子と3拍子の複合なのだ。貼ったブロンフマンの演奏はこの3拍子の感覚をあまり捉えてはいない。A→Dが遅すぎるし、D→Aは速すぎる。ここで作曲者であるラフマニノフ自身の演奏を聴いてみる。

テンポを揺らさずに正確なリズムで和音を打っており、それによって4回のA→Dがひとつの連続体として聴き取れる。

もちろんブロンフマンが巨体を浮かせながら鳴らす爆音はそれ自体がエモーショナルで、一つ一つの和音の充実した響きを存分に聞かせる彼の演奏にも魅力はある。しかし僕は繰り返し打ち鳴らされる和音の間にしっかりと時間の流れ、3拍子ならではの前に進んでいくエネルギーを感じさせるタイプの演奏のほうが好きだ。