概念的理解と本質の分解

※この記事はサイゼワインの残り物を飲みながら書かれた。

今日は結構長く(当社比)大学にいた。大学院ゼミの担当箇所が非常に重い。発表から5年も経っていない新しいグラフ理論の論文を頑張って読んでいる。

僕は区分上は文系だ。高校では数学はⅡBまでしか学んでいない。心理学で広く求められるのは統計の能力だが、統計は完全に理解しようと思うと大学数学レベルでも足りないし、かと言って数式を全部諦めて概念的理解だけでお茶を濁していると高度な手法に差し掛かったときに限界が来る。結局なんとなくわかるところまでちゃんと学んであとは必要に応じてという雑な感じになる。

勉強にBGMが必要かどうかというのは興味深い問いだ。基本的には無い方がいいと思っている。意識していなくても脳のリソースは使っているので、効率は落ちる。しかし音楽を聴くことがモチベーションや習慣になっているという人にはBGMは有効だろう。そもそも僕は脳が頑張らないとできない作業というものをあまり信頼していない。研究や学習の成果というのは論理的に説明可能であるべきだ。そして論理というのは丁寧に一行ずつ書き進めていく限りは特に頑張らなくても理解できる。つまり頑張って脳をはたらかせないと理解できない状態は、まだ対象を十分に分解できていないのだ。分解できていなくて1つのステップが大量の情報処理を含むから脳のCPUもメモリもたくさん必要になる。

あまり筆が進まない日だ。

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