正直であること/リアクタンス/コペルニクス的転回

正直であること

僕は正直であること、つまり自分が感じたことをなるべくそのまま表現することを美徳としている。それは感情面でも実利面でもメリットが大きいと思っているからだ。また、正直な発言が誰かを傷つけそうなときは何も言わないようにしている。

これは単なる自分ルールに見えて、実は僕の思想の根幹でもある。常にそのときに自分が感じたことを素直に表現していると、過去の自分と一貫しないことがよくある。その場合僕は過去の自分を捨てる。人の感じ方が変わることは当たり前だと思っているので、自分に一貫性は課さないし、他人にも課さない。ただし変化の理由は知りたがる。

自分の感じ方は自分の考え方より前にある。たとえば僕はジェンダーフリーの思想を支持しているが、ふと「男のくせに」「女のくせに」という感じ方をしていることはよくある。しかしそれを発言すると誰かを傷つけうるので発言しないように気をつけている。つまり僕のジェンダーフリー思想は「そういう設定」に過ぎないのだ。そうであることに後ろめたさはない。たぶん思想というよりも行動目標と言ったほうが正確なのだろう。

同時に自分はなぜ「男のくせに」「女のくせに」という感じ方をするのだろうということには興味がある。自分の心はまず制御できないものとして存在していて、後からその理由を探す。そうやって生きていると、万事に後から理由を付けることに慣れ、現状追認や綺麗だが内容のない文章を作るのがうまくなる。

リアクタンス

「やれと言われたことはやりたくなくなる」という現象をリアクタンスと言うらしい。「らしい」というのは、数年前に社会心理学専攻の友人に聞いた言葉だが、手元の信頼できる教科書には載ってなくて不安だからだ。

ともかく、やってもやらなくてもどっちでもいいと思っていることは、「やれ」と言われたら絶対やりたくなくなる。僕はそういう人間。

コペルニクス的転回

僕は基本的に支払いはクレジットカードでする。それは全ての支払いが記録されるのが便利だからだ。あとポイントもつく。

財布にはカードを入れるポケットがあり、そこにクレジットカードを入れている。しかしポケットに入れているとカードの頭の部分が5mm程度しか見えていない状態になり、そこに親指を当てて滑らせて摩擦で取り出すのは結構難しい。となるとポケットに親指を突っ込んで引っ張り出すことになるのだが、これはダサい。

この問題にずっと悩まされてきたのだが、今日唐突に解決法を発見した。クレジットカードを上下逆にポケットに入れればいい。そうするとポケットから飛び出す部分には名前が立体的に印字されている。ここには指の腹がよく引っかかるので、親指を当てて滑らせるだけでカードが取り出せる。カードは上部が見えるようにして入れるという固定観念に囚われてなぜこんな簡単なことに気づかなかったのだろう。

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