大分無理

おおいたではない。僕は特に大分県に関わりはない。正直に言えば場所も正確には覚えていない。小学生の頃には都道府県の場所は覚えていたし、県庁所在地も主要な山河も覚えていたが、もう忘れた。

今日は大分辛かった。長く研究室にいても進捗は微々たるもの。特に進められない理由があるわけではないが、集中できない。食堂で食うものは選べないし、階段は登れないし、いつもはなんとも思わない暗い廊下が怖いし、なんでもないことでものを放り投げて暴れたくなるし、帰り道は自転車で小さい子供を轢いてしまえば救われる(何から?)のではないかと考えていた。

自分が病気なのかどうかはどうでもいい。真っ当なことを考えて真っ当に作業を進められるようになりたい。昔のことが思い出せない。僕は普通に生きていた気がするんだが。

今日のUI心理学

1.3は目標によって知覚が変わるという話。元気がないので有名なアレを貼って終わりにする。白のチームが何回パスするか数える。

人間、見ようと思ってないものはマジで全然見えてない。注意の「目標の情報処理を加速する」という機能はそれ以外の情報処理を切り捨てることと表裏一体だからだ。「change blindness」「choice blindness」でも面白い現象が見つかるのでググッて。

図書館

※この記事は『氷結 Mango』を飲みながら書かれた。

今日も大学に行きたくなかったので道中図書館に寄った。

地域の図書館で心理学コーナーを見に行くと、真っ当な心理学に関する本が数冊、そして残りは全部うさんくさい詐欺まがいの本だった。辛い。

雑誌の新刊が一通り置いてあるのは良い。アニメージュを読んだ。

この歳になって、児童文学を読み返したくなることがよくある。稚拙に感じてしまうこともあれば、新しい発見もある。森絵都の『カラフル』を読んだ。キャラクターの心情をダイレクトに書けるのは小説ならではの魅力だと思う。

今日のUI心理学

1.2 コンテクスト・錯視・視聴覚統合

結構いろんなネタが同時に語られてて難しい。コンテクストの効果と言いつつコンテクストに関係ないミューラーリヤー錯視や連合学習によって語られるべき犬の行動の習慣の話が挙げられていて、正直言ってこの章はかなりとっちらかっている。

ミューラーリヤー錯視は非常に有名だ。図形がシンプルで、効果が大きく頑健だからだ。

「長く見える左の図形は遠くに出現する状況が多いが、遠くにあるものは小さく目に映るのでそれを補償するように過大に知覚する」というのが有力な説明だが、それを否定するような実験結果もあり、よくわからない。

物理的な量と知覚する量がずれているというのはよくある話で、その関係を記述しようとする心理学の分野は心理物理学と呼ばれる。

多感覚統合も心理学ではよく研究されている。視聴覚統合の話が多い。視覚と聴覚にはそれぞれ得意分野があり、状況に応じてどちらかの情報が優先される。

腹話術効果は聴覚によってキャッチするはずの音源の位置情報が視覚によってずらされる現象だ。実際の声は腹話術師の口から出ているのに、人形の口が動くせいでそちらから声が出ているように感じてしまう。物体の位置を知る情報源としては聴覚より視覚のほうが優れているからだ。

ダブルフラッシュ錯覚は1度の視覚刺激に2度の音声刺激を合わせると、視覚刺激まで2度呈示されたように感じてしまう現象だ(NTT コミュニケーション科学基礎研究所によるデモンストレーション)。時間解像度では聴覚が視覚を上回っているので、聴覚の情報を信用してしまう。

最近ホットな話で言えば、バーチャルなアバターによって身体感覚と視覚が整合しなくなるのも多感覚統合の一種と言えるだろうか。

ストロング破滅

※この記事は『STRONG9 グレープ』を飲んで書かれた。

何をどうするべきか、どうやってやるべきかわからず、わかっても不安で手がつかなかった。

昔はこんなではなかったはずだ。ときおり不安が押し寄せるようになったのは大学3年生の頃で、学期のはじめが多かった。学内の精神科はいつも満員御礼で、医者にかかれたころにはすでに時間経過で治まっていることが多かった。原因は環境の変化によるストレスだろうと言われた。

大学院に入ってからは悪化した。数週間の間大学に行けない時期もあった。2年計画の修論のプレッシャーを受けつつ、それに寄与しない目先のタスクをこなさねばならない状況が辛かった。壊れたり治ったりを繰り返しつつ今年度は大学にずっと来ているが、それは修論を書かねばならないからだ。不安は収まらない。むしろ常に不安とともにある。

僕の不安は環境によるものであってほしいが、ストレスは脳を永続的に変化させることもあるので「大学院にメンタルを破壊された男」として一生生きていくのかもしれない(言ってみたかっただけ)。

こういう記事は「なんだかんだ言って修論提出できました!」という状況で書きたいものだが、残念ながら修論はまだ書けてないしなんならデータもこれから取る。先行きは不透明だ。研究は結果が保証されていないからこそ研究であるにもかかわらず、なぜか修士は2年が標準修業年限となっている。不思議なことだ。

アカデミックの世界に生きている人間は尋常ではない。専門知のみならず自己管理能力や事務処理能力だって格段に優れているにもかかわらず、この世界に残るためにそれに見合わない待遇で働いている。理不尽にもじっと耐え、金になるわけでもない「業績」のために血道をあげる。

僕はそうは生きられない。僕に彼らの気持ちはわからないし、たぶん彼らにも僕の気持ちは分からないと思う。

猛烈にしんどかったのでいつもどおり破滅願望を充足するために強い酒を買ってきた。心のどこかでは急性アルコール中毒でうっかり死んでしまわないかという期待もあったが、どうにも上手く行かなかった。

帰ってくるともう夜で、明日起きたら大学に行かなければならない。やるべきことは無限にあるが、途方もない無限の壁に立ち向かう力がないので壁に手をかけることすらできない。僕はその程度の人物だ。一生こんな調子で生きていくのだろう。もとより自分が特別な天才でないことはとっくに知っている。大学入試は得意だったが、多くのことを記憶する能力や制限時間内で所定の回答に接近する能力は研究や仕事の能力に関係がない。

今日のUI心理学

1.1.4 注意の瞬き(attentional blink)

何かに注意が向いた直後に500ms程度の情報処理ができない時間が生じる。たくさんの画像を連続的に表示するRSVP課題(Rapid Serial Visual Presentation)を用いて研究されている。

この動画のタスクは簡略化してある。もとのタスク(Raymond, Shapiro & Arnell, 1992)は

  1. ひとつだけ表示される白い文字はなんだったか(他は全て黒)
  2. Xは表示されたか(Xは白い文字の後に表示される)

を同時に課すと、白い文字のあと180ms~450msのあいだXの見落としが多いというものだった。270msが最も見落としが多く、半分ほど見落とす。

複数の情報処理が並行するとパフォーマンスが低下するという現象を説明するために認知資源という言葉が使われる。有限の情報処理のリソースを配分しているという意味だ。もちろん脳にはCPU時間のような明確な情報処理リソースの指標があるわけではなく、これはアナロジーにすぎない。

参考文献

名前の意味

※この記事は『クリアアサヒ』を飲みながら書かれた。

帰り道、「佐藤」という苗字の意味について中国人に説明するのを脳内でシミュレーションしていた。藤原氏を助けた人々という意味なので全国にメッチャいるという話だと思っていたのだが、帰宅して確認したらそう単純でもなかった。

『詩季織々』の登場人物にシャオユ(小雨)という女性がいる。雨は冷たいし外出できないし、一般に憂鬱なイメージがある言葉なので日本人の名前に使われることは少ない。「晴」が含まれる名前が多いのと対照的だ。

ふと、名前の意味というものを考えたくなった。僕の名前には物事をよく理解するという意味がある。本当は同じ読みの別の字を当てるつもりだったらしいが、姓名判断師に総理大臣になる名前だと言われて今の字にしたらしい。ちなみに妹は季節にちなんだ名前だ。

姓名判断は眉唾だと思うが、名前の語感が印象に影響し、長い目で見て人生を変えていくというのは事実だと思う。ブーバ・キキ効果というものがある。言語や文化にかかわらず、丸っこいものにブーバ、トゲトゲのものにキキと名付けたがるという傾向だ。形態と音の関係に何かしらユニバーサルなものがあるということだろう。

日記に書くネタがないのと自分の研究ではない勉強が全く進んでいないのが辛いので、今日から教科書を少しずつ読み進めることにする。教科書はこれだ。

UIデザインの心理学

1.1.1では知覚のトップダウン処理の話をしている。トップダウンとボトムアップというのは心理学でよく使う言葉だ。ボトムアップは知覚情報が徐々に統合され高次の意味が付与されるという情報処理の流れをいう。トップダウンは逆に、高次の意味の知識・経験・文脈・期待などが低次の知覚処理に影響するという話だ。トップダウンとボトムアップの相互作用によって知覚が形成されることを示す研究例は枚挙に暇がない。

たとえばある視覚刺激に注意を向けるときにも、突然出現した刺激に自動的(意図とは関係なく)に注意が向くボトムアップの注意制御もあれば、矢印によって指示された場所に注意を向けるという、それなりの意味処理を要するトップダウンの注意制御もある。これらは効果の注意の持続時間が異なるし、同時に別の課題を行ったときのパフォーマンスの悪化度合いも違う。

もっとわかりやすい例で言えば、真・三國無双で甘寧を持ちキャラにしている人間は「甘露煮」とか「丁寧」という単語が目につきやすいし、場合によってはそれらを「甘寧」と空目する。

率直に言えばトップダウンはマジカルワードというか、要は計算していない効果が発生したときに「それはその人が○○と考えていてその効果がトップダウン的に作用したのだ」というエクスキューズ的な使われ方をすることが多いように思う。だからこそ、逆にトップダウン処理がほとんど介在しないような現象が見つかると面白い。トップダウン処理が介在しない現象とは自分の意志で制御できない現象、つまり反射である。

参考文献

村上郁也編 イラストレクチャー認知神経科学

広報活動

高校生向けの広報活動をしてきた。そもそも文学部を見に来たのに「実験のデモンストレーションします」と言われた時点で意味不明だったと思うので反応が鈍いのは予想していたが、なかなかに難しかった。「フロイトやらないんですか」と聞かれたら平静を保てる自信がなかったが、聞かれなかった。

東大文学部のビブスをもらったが使いみちがない(本当にない)。メルカリに出そうか。

そのあとは研究のための文献調査などをしていた。ちょっと調べるだけでなんでこれを読んでいなかったんだろうという論文がわんさか出てくるので恐ろしい。

JavaScriptでタイピングゲームを作りたいと思っているんだが、なかなかまとまった時間を取れそうもない。そういえばホームページのSSL証明書の期限がもうすぐ更新しなくてはならない。最近したばかりだと思っていたんだが期限の設定が間違っていたのだろうか。SSLの仕組みを理解したい。

ドビュッシー

※この記事は『極搾り ピーチ』を飲みながら書かれた。

今日は友人がドビュッシーのフルート・ヴィオラ・ピアノのためのソナタを演奏するというのでそれを聞きに行ったあと、大学に行って作業をした。防音室は暑いし酸素が薄い。危険。

参考になるろくな論文が見つからなくてキレそうだが適当にセッティング変えたらそれっぽいような、でもやっぱりおかしいデータが出てきて首をひねっている。

トンネルを抜けると完成であった

※この記事は『アサヒ スーパードライ』を飲んで腹痛に耐えながら書かれた。

ずっと小さい不具合に悩まされ続けてきた実験プログラムだが、今日唐突に完成した。シリアル通信に関する小さい問題を一つ修正した後、次は何をすべきだろうと考えたのだが、何も見つからなかった。なにか見落としがある気もするが、まあこんなもんだろう。

と言ってもプログラムが書けたら終わりではない。自分や身内で何度か実験を行ってパラメータを調整、実験参加者への説明方法などを確定させたうえで、先行研究から予想される効果の大きさを確実にキャッチするために必要な参加者数を計算、リクルート、謝金支払い。そして実験が終わったら分析してまとめてさらなる実験が必要かどうか判断する。

気が遠くなるほど遠い道のりだ。ガチで気が遠くなるというか率直に言って不安になる。研究は怖い。早く大学院を脱出したい。

kawango2525氏のインターネット観

利他行動は社会心理学の重要なトピックだが(専門ではない)、包括適応度という概念が重要らしい。素朴に自分の遺伝子を残すことだけを考えると利他行動は全く無意味で、利他行動を取るような個体は裏切られ続けて子孫を残さず死ぬので、利他行動は次世代に継承されない。しかし自分自身の遺伝子ではなくても、自分と遺伝子を多く共有するような他個体を援助する行動は、結果的にそのような行動を引き起こす遺伝子が次世代に継承される確率を高める。だから利他行動は存在するのだという。この手の話は『複雑さに挑む社会心理学 改訂版–適応エージェントとしての人間 』に詳しい。

上記のツイートはプラグマティックで科学的な考え方だが、kawango2525氏は以下のように続けている。

こういう思考の飛躍は好きだ。kawango2525氏の政治的なスタンスには賛成できないものもあるが、彼のインターネットの使い方はクールだと思う。科学的でしっかりした話をしたかと思えば、次は哲学的な含みのある話をする。そこには隙がある。後者のツイートには「科学的根拠はあるんですか?」というクソリプがついてもおかしくない。しかし彼は恐れない。

インターネットの発言は文字ベースで曖昧さがなく、しかもログが永久に残る。誰が読むかもわからない。いつ誰からどんな理由で攻撃されるかわからないので、自然とディフェンシブな投稿をしてしまう。あるいは、匿名を選んで攻撃する側にまわる。インターネットってそういう場所でいいんだろうか。

インターネットは人類を試している。

実験プログラム

いい加減研究しないとまずい(してないわけではない)ので最近は実験プログラムをゴリゴリ書いている。pygameをベースに、特殊な刺激を呈示するときはpsychopyを使ったり、マイクを拾うためにpyaudioを使ったりしている。コンピュータは便利だ。たくさんの実験参加者に全く同じ刺激を呈示することも、参加者の行動をミリ秒単位で記録することもコンピュータなしでは不可能だっただろう。

よく考えると、人間に何かを見せてそれに応じて何かを入力させるのはゲームと同じだ。だからゲームプログラミングのライブラリを使うのは理にかなっている。Pythonは遅いので一般論としてゲームプログラミングには向かないが、僕の研究では3DCGのレンダリングをするわけではないし、タイミングを記録することを考えても100fps出れば十分なのでPythonで事足りる。

マイクやらスピーカーやら圧力センサやらのデバイスを使うとなると低レイヤーで問題が発生することが多い。windows上でその手の問題を地道に解決していくのは正直かなりしんどい。

うん。しんどい。

元気になった

※この記事は『金麦 RICH MALT』を飲みながら書かれた。

昨夜は発表が不安だったが、寝て起きたらどうでもよくなっていて、どうせならと二度寝してから大学に行った。なお前の担当者の発表が長引いたので僕の発表箇所は1/3ほど終わったところで次回持ち越しとなった。

睡眠は偉大だ。僕の人生のプライオリティは

  1. 1日1度の食事
  2. 睡眠
  3. 2度目以降の食事

となっている。1日1度の食事さえとれればあとは無限に寝ていたい。さらに睡眠には眠気がとれるという副産物まである。また、睡眠は認知症のリスクを減らす数少ないエビデンスのある予防法でもある。

夕方からは駒場キャンパスに行った。研究室メンバーが駒場にあるMRIを使った実験をするにあたって、頭部を固定する新しい器具の使い勝手を確認する実験台になった。自分が実験台になるのは好きだ。実験参加者になっているときの僕はいっさいの知的行動をしなくてよい。実験者の指示に正確に従い、下手な勘ぐりをせず素朴に行動することが求められる。実験中に何か事故が起きたとしても、その責任は100%実験者の側にある。従属の快感というのは自分でものを考えなくてもいいという安心感や気楽さに起因するのかなとふと思った。

電車での帰り道は将棋の名人戦を見ていた。「見ていた」と言っても4G回線でニコ生を見ていたわけではなく、ツイッターや5chで情報収集していただけだ。お互い残り時間が減ってきて、しかも形勢はほぼ互角というアツい状況で5chの実況スレをリロードしたとき、事件は起きた。

コイツだ。半年ほど前から認知され始めた迷惑系広告である。戻るを連打しても元のページに戻れない。1分1秒を争う緊迫した勝負の情報を集めているときに邪魔されるのは本当に迷惑だ。神奈川県警は早くこれの配信元を逮捕してくれ。あくしろよ。

名人戦は佐藤名人の防衛に終わった。