一寸の虫にも五分の魂

出勤して2時間ほど作業をしてから左手に違和感があって見たら尺取り虫が歩いていた。驚いてデコピンで机に飛ばしてしまったのだが、彼もこんなところに来たくて来たわけではなかろうと思い、昼食に出るついでに道端の植え込みに逃してきた。

僕は生き物を殺すのが苦手だ。でも蚊は殺す。自分に対する言い訳としては「蚊は病気を媒介するので自衛のために仕方ない」ということになっているが、これはほぼ嘘だ。実際は蚊は肉の部分が少なく死体を見ても大して罪悪感が湧かないからだ。人間なので殺しても触覚や視覚の刺激が弱ければ罪悪感は湧かない。

この考え方は捕鯨やイルカ漁に反対する勢力と同じだ。少なくとも僕は見た目のかわいさで生き物を殺したり殺さなかったりする。そしてそんな自分の身勝手さを覆い隠すために、あの生き物は殺してよかったんだ、殺す正当な理由があったんだと適当な理屈をこねる。

読書速度

最近は通勤電車で読書をしている。ドライアイのせいで実質的に一日に目を使える時間に制限があるので、スマホ画面ほどは瞬きを減少させないと思われる読書をしている。

ディスプレイを凝視していると瞬きが減るのがドライアイの原因であるとあちこちに書いてあるが、よくわからない。瞬きが減る理由がわからないし、瞬きが減るとドライアイになる(涙の成分バランスが崩れて膜を維持できなくなる)理由もわからない。誰か知ってたら教えてほしい。

自分なりに考えたのは、ディスプレイは視線を移動させなくても表示される情報が次々変化していくという点だ。それゆえに視線を移動する必要がなく、視線の移動中にどうせ見えてない(サッケード抑制でググって)からと瞬きをしていたのがなくなってしまうのではないか。そう考えると本の発する光情報は変化しないので瞬きは減少しないことになる。

最近は健康のことばかり考えていて嫌になってしまうね。早く死んで苦しみから解放されたいにゃん。何か人生に目的があれば違うのかもしれないが、どうせそのうち死ぬしな。

以前読んでいた本は読み終わるのに3週間ほどかかったが、その次に読んだ本はなんと2日で読めてしまった。ページ数や文字サイズの差を勘案してもあまりにも早すぎる。読書の速度というのは何に規定されているんだろう。

明日は静岡に行く。

京都アニメーション放火事件

※この記事は『キリン 一番搾り』を飲んで書かれた。

さすがに今日はこれを書かねばならない。

1人の人間が33人を殺すなどということが可能なのか。ガソリンを撒くタイプの放火は強烈らしい。

異常な人間が出現するのは避けられない。だが構造的な問題を敢えて挙げるとすればこのツイートの指摘は正しいように思う。

ネットにイライラ

最近自宅のネットが遅い。具体的には22時にgoogleのスピードテストで1Mbpsを切る。さすがにこれは不便だ。ニコ生は最高3Mbps(視聴側)なのに。

僕が契約しているプロバイダは速度を保証していない。速度が保証されている回線もなくはないのだが、10Mbps保証で月額17万円だ。とても払えない。インターネットのトラフィックはこれから先減る要因が思いつかないのでどんどん増えるだろう。社会インフラなのだから税金突っ込んででも強化してほしいものだ。現状は余裕のある業者と契約するというゲームになってしまっている。

それにネット回線の情報を検索するとステマが多すぎる。不自然なURLやタイトルのブログがお決まりのようにNURO光を勧めてきて怪しい。

似たようなケースに新幹線宿泊パックがある。新幹線とホテルをセットで予約すると結構安くなるという、それ自体は知っておくとオトクなパックなのだが、これも検索するとステマっぽいブログがヒットする。「新幹線宿泊パック」という特定の商品を紹介するためだけにブログを立ち上げるやつがどこにいるんだよ。

amazonはクソ出品者サクラレビューが横行し、医療情報をググればWELQ、料理のレシピをググればクックパッドの素人レシピがヒットする世の中になってしまった。悲しい。

ちなみに僕は医療情報検索を作ってみたQuugleをよく使う。Google検索にはデフォルトで「-いかがでしたか -調べてみました」を付加しているし、uBlacklistでトレンドブログと侍エンジニア塾は非表示にしている。自衛が大事だし、だからこそこの手のフィルターを使えない物理郵便のスパムが許せないのだ。

洗濯システムの不具合を発見した/歯科と眼科に行った

僕の家の洗濯システムでは衣類は

  • 着用
  • 洗濯槽
  • 乾燥(浴室orベランダ)
  • ハンガーラック
  • 着用

をループする。このとき、ハンガーラック→着用の段階で両足分揃っていない靴下を弾くバリデーションがある。しかし洗濯槽→乾燥の段階でも洗濯物ハンガーに靴下は揃えて掛けていて、揃っていないときは洗濯槽の中に残す処理をしていた。その結果、洗濯槽とハンガーラックに引き裂かれた靴下は二度と揃うことがなくなっていた。これからは洗濯槽→乾燥でのバリデーションを廃止する。

歯科に行って歯のクリーニングをしてもらってきた。右上親知らずに関してはそのうち抜く必要があるが、それ以外はとても良い状態というお墨付きをもらえたのでよかった。自分の習慣が良いのか悪いのか定期的なフィードバックをもらうため、特に異常がなくてもクリーニングには行くことにしている。健康保険料を結構取られているので、全額とは言わないまでもそれなりに回収できる程度には体のメンテナンスにお金を使っていきたい。

続いて眼科に行った。というのも、ここ数日ドライアイの自覚症状があったからだ。検査の結果涙が乾きやすい状態になっているとのことで、目薬の処方を受けた。目薬を使ってみるといい感じだが、医者には1ヶ月後に来いと言われたのに薬は一週間持つかどうかという量で意図をはかりかねている。特に目にヤバい傷や病気があるというわけではなかったのでそれはよかった。

野生動物を狩って40歳くらいで死ぬ人生なら体は消耗品と割り切っても良かったのだろうが(ホンマか?)、僕は一日中椅子に座ってPCを睨みつけることで価値を生産していて、しかもその生活を60歳くらいまではやるつもりでいる。そういう生き方を選んだ以上、それに付随する身体への負担は自分でケアしなければならない。

目の調子が悪い

目が乾き、瞬きが重い。一日中PC見てるからそりゃあドライアイにもなるわ。

土曜は眼科かな。仕事をおいそれと変えられない以上まっとうな対策があるとも思えないが。

なんとなく体が重い感覚もあって今日は帰宅してからあまり何もしていない。

ゆく人くる人

※この記事はビールを2本飲んで書かれた。

という気分になっているのだなあ。

mesoさんには2017年のインターンのときに初めてお会いした。中間発表会に遅れてきたとき、席は用意してあったのに入り口の近くの床に座っていた。当時人事部長という立場にありながら偉ぶらず人を緊張させない振る舞いとしてとても印象に残った。フランクな人柄と組織の中核としての毅然とした態度の両方を尊敬している。

kmizuさんは新卒Scala研修の講師だった。Scalaのことなら何でも知っている。言語の第一人者から教わることで、細かな仕様にも妥当性や事情があることがわかった。動けばいいやのアマチュアではなく、隅々まで理解し尽くしたプロとしての仕事を求められることを実感した。

お二人とも新天地でのご活躍を祈っています。

くる人は誰かって?それは僕です。

キャベツの千切り

酒を飲んでないからだろうが、あまり日記を書くモチベーションが上がらない。

複雑な事情によって千切りキャベツが1袋分あるのでそれをサンドイッチにして食べるためにパンと具を買ってきたのだが、パンが小さいせいで全然キャベツを詰められなくて半分も食べられなかった。辛い。

『アイ・アム・マザー』を見た

※この記事は『Asahi DRY ZERO』を飲んで書かれた(!)。

ブラウザをVivaldiに切り替えることにした。Chromeの独自機能は使えなくなるのでパスワード管理をBitwardenに移行し、いろいろなサービスのパスワードを登録していった。その作業中にNetflixを開いたら面白そうな映画がサジェストされ、そのまま一気に見てしまった。

アイ・アム・マザー』はつい最近Netflixで公開された映画だ。

人類滅亡後に始まったヒト再生作業。そのすべては、1人の少女から始まった。そして、彼女はアンドロイドを母と呼ぶ。

冒頭、保存されていた胚が育成機に入れられ、女の子が誕生する。その子が機械で完全に制御されたシェルターの中でアンドロイドの「母」に育てられるシークエンスが素晴らしかった[note]冒頭8分くらいまでなので見てから読んでもらったほうがいいかも知れない[/note]。なおキャラクターに名前はないので「母」「娘」と表記する。

「娘」が泣き止まないときは「母」の腕に埋め込まれた音楽プレイヤーで子守唄を流す。どの曲が気に入るかわからないので少し聞かせては別の曲に切り替えていく。一緒に折り紙をすると「母」は素早く複雑な動物を折るが、「娘」は下手だ。しかしこの巧緻も人間とロボットという対比にならない。なぜならシェルターには「娘」と「母」しかいないからだ。一個体ずつしかいないのだから「娘」と「母」の違いにしかならない。

泣き止まない「娘」に人形を与えるときに、「母」が人形を飾り気のないビニールの包装から取り出すシーンも印象的だ。布で作られた人形は「母」やシェルターの内装とは全く違う質感を持っている[note]直後に「娘」が機械の体の「母」に抱かれているカットにつながる落差がすごい[/note]。そんな柔らかで情緒的なイメージを持つ人形というアイテムすらここでは消費される道具であり、機械によって必要となることを見越して備蓄されていたのだ。

僕は普段から人間の価値を疑っている。人間は自然の法則に従ってタンパク質やら何やらが組み合わさっただけの存在であって、その行動も全て自然の法則から演繹的に理解可能だ。ただそれが複雑すぎて「まだ」解明できていないにすぎない。つまり科学のレベルを上限値まで引き上げていいSF作品ならば人間を完全に理解し管理することは可能だ。[note]ちなみに大学院の指導教員に「いずれ人間は完全に理解されるのではないか」と質問したら「そんな世界で人間は生きられるのだろうか」と答えられたことは強く印象に残っている。[/note]

アンドロイドが子育てをするシーンは、そしてもっと広く言えば機械化されたシェルターで人間が生きるという描写はまさにそれだ。機械化とは合理化であってそこでは必要なものと不要なものが峻別されるのだが、その過程で「必要とは何のための『必要』なのか」という疑問に巻き戻される。その疑問に無理やり答えを出そうとすると、人間存在に目的を設定し、手段として扱うことになるだろう。(たとえば家畜には肉や卵を生産するという目的がある。それができなければ殺しちゃうよね)。誰かがこんな話をしていたと思って軽くググったらカントだった。

本作で言えば優しい子守唄も楽しい折り紙遊びも健全な成長という目的に回収される。「娘」の育成にはさらに隠された「目的」があるだがそれは自分の目で確かめてほしい。

僕は職業柄技術ファーストでものを考えがちだが、倫理的な視点も兼ね備えていないと人間にできることの幅を広げても人間を幸せにはできないのかもしれない。

目的のない行動をとれる不合理性こそが人間らしさである、そう結論づけるのは簡単だ。しかしNetflixのAIにレコメンドされるままに映画を見て感想を書いている(書かされている?)僕にそれを言う資格があるのだろうか。