髪も切れなかった

※この記事は『クリアアサヒ』を飲んで書かれた。

前住んでいた土地では1274円で髪を切っていたが、今の住居の周りで床屋を探しても3000円とかする。ついつい錦糸町まで足を伸ばしてようやく1200円の店を見つけたが、サザエさんの時間に間に合わないので切らずに帰宅せざるを得なかった。

思うに僕は相場を間違っていたのだ。散髪の適正な対価は1000円台ではないのだろう。技術に金を払うことを拒否するなら、それは僕自身の職業を否定することになる。

24歳、歯も抜けず、髪も切れない。誰も俺を愛さない。

親知らずを抜けなかった

まず歯茎の表面に麻酔を塗り、効いてきたらさらに麻酔を注射して奥に届かせるのだが、この段階でひどく気分が悪くなり意識を失った。もとより注射は自分の体を損壊するイメージがあって苦手で、10年ほど前にも予防接種のあとに意識を失ったことがある。

どのくらい時間が経ったのかわからないが、意識が戻った後も手足の筋肉が引きつっていて動かせなかった。看護師についてもらいながら深呼吸を続け、おそらく10分くらいで体は動くようになった。その後もかなり長く(おそらく30分間)看護師の目の届くところで寝かされていた。

原因はきちんと説明してくれたのだが、あまり覚えていない。麻酔に伴う血圧の低下だとか精神的な不安によるものだとかそんな説明を受けた気がする。落ち着いたら治療を再開するものと思っていたが、モニタリング設備の整った大きい病院でやったほうが良いとのことで紹介状をもらった。

虫歯が痛むようになると麻酔の効きが悪化する。つまり虫歯が進行する前になるべく早く抜歯する必要がある。しかし会社員なので土日にしか動けない。幸い推奨された隣町の総合病院は土曜診療をやっているが、土曜は予約できず先着順になる。朝8:30に行かねばならない。

自分の身体の問題なので誰かを責めることはできないし、麻酔で気絶するのは自由意志とは関係ない症状なので責任を感じることもない(虫歯が自分の責任と言えばそうだが、それを言うなら磨きにくい位置に親知らずが生えてくるのは俺の責任か?人体の本来の耐用年数を大幅に越えて生きるために毎日歯をメンテナンスしなければいけないのは俺の責任か?)。ただ痛いのは嫌なので治療はしなければならない。物理身体はまことに不便なもので、不具合は今後も増え続けるだろう。そしていつしか身体的苦痛を避けることが人生の目的になってしまう。いや、そうでなかったことがあるか?

泣く

※この記事は名前を忘れた酒を飲んで書かれた。

自分でも整理しきれない理由でひどく泣いた。

ヒトの体は生きにくいな。早く卒業したい。

ただ生きて生殖すること以外に生命の本質などありはしないのに、人間は単なる栄養補給以上に美味い飯を作り、単なる体温維持以上に華美な服を作る。絵を描き、歌を歌い、ニコニコ動画にBB先輩劇場を投稿する。

心理学は人間の情報処理に迫る学問だ。進化はシビアなので大抵の人間の機能には生存か生殖に有利なものだ。しかしなぜか人間はニコニコ動画に排泄音と喘ぎ声をリズミカルに配置した動画を投稿してしまう。この奇妙なミッシングリンクは興味深い。

コンビニの欲望

ここ数日は気分が落ち込んでいるのでほとんど外出していない。空腹が限界になったらコンビニに食料を買いに行く。そのときのコンビニに陳列された食べ物は本当に美味しそうに見えて惨めだ。

空腹によって食欲が増した状態でコンビニの商品を見ると、驚くほどあけすけに人間の欲を刺激している。食べ物の美味しさが、量が、健康への配慮が魅力的にアピールされている。

自分の欲望を刺激されていることを自覚するのは居心地が悪い。

頭が痛い。

感情の麻酔としての酒

※この記事は『キリン 一番搾り』『ほろよい』のなんかゆずのやつを飲んで書かれた。

僕は不安がりだ。あらゆる締め切りにひどく不安になる。そんなときに効くのが酒だ。酒は感情を鈍らせ、不安が緩和される。能力を低下させる酒を飲むという行為自体が、不安の原因を恐れていないと自分に言い聞かせることにもなる。単純に自分を傷めつけるのが楽しいというのもある。

良くない習慣だ。なんでもかんでも不安になる脳の方が良くない。カス。人生終了。もしメンタルが強靭だったら研究でこんなに苦しんでないよ。最初の興味のあったテーマで貫徹していたはずだ。多分。Dの先輩のやってることを聞くと面白そうだし俺がM1の頃に検討していたテーマに近くて「どうしてそれをやっているのが俺じゃないんだ」という気になる。気合が足りなかった。

8時間後に修論発表だ。研究無理無理って思って諦めようとしたのに周囲の人に止められて続けて今に至るので、今更修論不合格になろうとなんとも思わない。僕に言わせれば順当な結果だ。あんな研究。アルコールを切らすな(カメラを止めるなではない)。

家は買うべきか

ルーチン通りに洗濯に行こうと思ったが、前回の洗濯が遅れたために洗濯物の量が少ない。そこで布団のカバーを洗うことにした。かさばるが適当に放り込めば洗える。

洗濯の間に食事をしようと思って歩いていたら、道端で家を売る人たちが今日もいた。道端で家を売るというのはどういうことかというと、道端に立って近所のマンションに興味はないか声を掛けて回るのだ。そんなマッチみたいなノリで道端で家買う人間いるわけねえだろと思って毎日眺めていた。そんな彼らが今日もいたので思わず笑ってしまったのだが、それが悪かったようで歩いてきて声を掛けられた。特に急ぐ用事もなかったので興味本位で話を聞いた。

オープンハウスという不動産会社の若手社員だった。彼の言うところでは、若い会社員でもマンションを買うべきだというのだ。他人の持ち物に家賃を払うくらいなら毎月ローンを払う方がいい、のちのち貸せるという主張らしい。もちろんそれは道理なのだが、人に貸せるように家をメンテナンスし家賃を徴収するのも楽ではない。

「だから家を買う気はない」と書こうと思ったのだが、調べてみると老後は賃貸が借りにくくなるというリスクがあるらしい。率直に言って老後のことなどほとんど考えていなかった。どうしたものか…

もうちょっといろいろ書くことがあったのだが、自分はどうやって死ぬのか考え始めたらド鬱になってきて無理だ…

厳罰化を望む人々/明日は茶番の卒論発表会

※この記事は『STRONG ハードレモン』を飲みながら書かれた。

↑不味い。非常に不味い。そのくせアルコールは強い。最悪だ。

自分が犯罪被害にあったわけでもないのに「厳罰に処せ」「厳罰化しろ」などと主張する人間がネット民には大変多いが、理解できない。自分と関係ない人間が厳罰に処されることで何の利益がある?おそらく社会心理学の視点から説明可能なのだろうが。何でもかんでも厳罰化を主張する人間は自分が罰される側になることは決してないと思っているのだろうか。それは思い上がりだ。国家はいつあなたに牙を剥くかわからないし、その気になればあなたを(そして私を)殺すことくらい簡単にできる。

僕は警察を信用していない。法律を理解しているかも怪しい人間が拳銃を持って歩いているのが怖い。ろくにものを知らないままで人を逮捕するし、取り調べも不透明だ。でも泥棒に入られたら警察呼ぶんでそのときはよろしく。税金から給料もらってるんだからちゃんと働けよな。

そんな警察に個人情報を漏らしている企業があるらしい。よってTカードは解約し、CCCには個人情報の削除を要求する。書類を郵送しないと受け付けてくれないとのことで、手続きのハードルを上げることでその手続きをさせまいとする姿勢はまさしくカスだと思うが(ビジネスとしては正しい)、時間があるうちにやる。悪を許すな。

明日は10時から18時まで学部生の卒論発表会を聞く。大学院生は積極的に質問することが期待されているようだが、正直言って興味はないし憂鬱だ。本気で卒論生を潰して良くてそれで金がもらえるなら少しはやる気も出るが…。現状では卒論生を落とすことで誰にも利益が発生しない。それは卒業生の質保証を誰も信用していないからだ。もし生半可な成果では卒業できないことが保証されている学科があれば企業はその卒業証書を信用して採用するだろうが、そんな企業はほとんどない。大学の卒業証書なんかに価値はなくて、だから企業独自に採用プロセスを設けている。僕だって卒業が確定してないのに内定出てるし。

心理学にもそういうところはある。伝統的な研究法が再現性のない研究を量産しているにもかかわらず、心理学の作法に則ることが重視され、実質的に人類にとって価値のある科学的貢献をしているかどうかは気にされない。心理学のことも研究のこともわからないまま修士だけ取って(予定)就職する(予定)人間の戯言だから忘れてくれ。

卒論なんてものは時間が限られている以上まともな成果は出ない。卒論発表会の質疑応答というのはそれをわかった上でやりすぎないようにプロレスをするもので、下らない。成果が出るとすればそれはラボがガチガチにサポートしたテーマに限るし、そんなものは今更聞いても面白くない。卒論ならではの遊び心のあるテーマの発表が多く聞けたら嬉しい。

僕は研究をする人間ではなかった。せいぜい新書か教科書を読んで面白い知識を身に着けて自己満足に浸るのが関の山だ。研究は大変だ。世界中の研究者が好き勝手な切り口で行った実験を読んで理解するのも大変だし、参加者を集めてくるのも大変だし、ろくな結果が出なくても修論は書かなければならないのも大変だ。金ももらえないし。

今日もまとまりのない日記になった。生き方に締りがないからこういうことになる。酒が不味い。

河原の石をひっくり返すとなんか気持ち悪い虫がいっぱいいる

それと同じようにツイッターも物議を醸しそうなツイートのリプ欄を見ると異常者がいっぱいいる。世には僕と同じ一票を持った異常者がこれだけいるのかと思うと気が遠くなる。

もう隠す必要もないと思うが、僕はそういう人間を見下しているし、消えてほしいと思っている。自分と意見が合わないから消えろというわけではない。ものを知らない・調べない・嘘でも気にしないというような人間が許せない。あとついでに僕の生命・財産・社会的地位を脅かす人間も(これは誰でもそうだろう)。

実際に人を「消す」と国家によって僕が殺されるので我慢しているが、ツイッターの提供する機能を使って実質的にたくさんの人を消している。この国だけでも1億人以上、この地球には75億の独立した思考体が存在しているなんて信じられないし絶望的な気持ちになる。人が人を簡単に殺せる以上、この75億のうち誰か1人でも僕を殺したいと思ったら僕は死ぬ。それにうまい具合に協力しないと今度は気候変動とか核戦争とかで全員死ぬ。何もしなくてもあと50年くらいで死ぬ。この世界で生きていける自信がまったくない。

そろそろお気づきかと思いますが、異常者は僕だよ。

友達

※この記事は『チューハイ気分 グレープフルーツ』を飲んで書かれた。

今の僕は友達が少ない。1・2年生の頃は2つのサークルを掛け持ちしていて人間関係には恵まれていたが、3年生になるとキャンパスが変わる関係でどちらのサークルからも疎遠になってしまった。大学院生になると同級生は就職したり、他のキャンパスに行ったりしてさらに遠ざかってしまった。それと入れ替わりに研究室で過ごす時間は増大したが、同室の研究室のメンバーは僕含め去年2人、今年3.4人(1人は週2日なので)だ。

なぜこんなことを言い出したかというと、実験の参加者集めの過程で昔の友達に多く声をかけているからだ。「昔の友達」という言い方は微妙だが、かつては週に複数回会っていたのに現在では特に会う用事がなく、数カ月に1度偶然会うだけになってしまった人間を「昔の友達」と呼ぶのは間違っていないだろう。

学年が上がるに伴って状況が変化したのはそうだが、僕が友達と友達であり続けるための努力を怠ったのも現状の一因だろう。もう少し努力しておくべきだったと後悔している。

孤独は危険だ。イギリスには孤独担当大臣がいるとかいう冗談かマジかわからないニュースを聞いたことがあるが、下手をすると全く音声言語を使わずに1日が終わったりしてそれはやっぱりヤバいと思う。

一人暮らしもよくない。異性でも同性でもいいので、とりあえず一緒に暮らして精神を支え合える人が欲しい。人類史的にはそういう役割は異性がメジャーらしいが僕はどっちでもいい。