※今は18日の47時だ。
会社の古株の人たちと食事をする機会があり、昔の話や今がどう見えているかなどを聞いた。僕の長所も視野の狭いところも指摘してもらって勉強になった。
12時過ぎに帰宅した。帰り道を歩くのはそれほど苦ではなかったが、それでアルコールが回ったのだろうか、帰宅してからかなり酷いことになってしまった。まず1時間床で寝て、その後猛烈な悪寒と乾き、吐き気に襲われた。真面目に救急車を呼ぼうかと考えたが、そんな大事ではないだろうと迷いつつひたすら水を飲み続けたら1時間くらいで落ち着いてきて、朝には軽い頭痛が残るだけだった。
ここまで酷い酔い方をしたのはM1の秋に助教と限界紹興酒バトルをしたとき以来だ。ちなみにそのときは同期にタクシーで家まで送ってもらった。しばらく酒をやめようとも思うが、毎日平和な量を飲むことを避ける必要はなく、むしろ3ヶ月に1度であっても健康を害するレベルで飲むことがよくないのだ。これは習慣ではなく確率の問題であり、回避するのは難しい。
25歳になって酒の飲み方もわからないのが僕だし、命の危険を感じても救急車を呼ぶという行動すら起こせないのが僕だ。極限の体験はその人間の限界を浮かび上がらせる。
「浮かび上がらせる」で思い出したことがある。中学生の頃、吹奏楽部でドビュッシーの『喜びの島』という曲を演奏した。ドビュッシーはフランス人なので楽譜の指示にもフランス語が使われていて、そこに「dehors」という言葉があった。馬鹿正直に調べると「外側で」という意味だが、演奏の指示で「外側で」では意味が通らない。
翌日先輩の楽譜を見ると「浮き立たせて」とメモしてあった。なるほど、わからなくもない。翻訳というのは面白いものだと思った。
『喜びの島』は本来はピアノの曲だ。吹奏楽は比較的新しいジャンルなので吹奏楽のために書かれた曲というのは少なく、それゆえクラシックの名曲を吹奏楽に編曲して演奏することがよくある。編曲は悪いこととは思わないが、しばしばコンクールの時間制限のために原曲の意図を無視したカットが行われる。これは良くない。良くも悪くも吹奏楽というのは学校の部活が中心であり、学校の部活というのはコンクールが中心になる。その弊害だ。
この曲の特徴は全音音階だ。普通音階というのは1オクターブを12音に区切って7音を取り出して使うのだが、全音音階では1音飛ばしで6音を取り出して使う。すると全ての音と音の間隔が同じになり、独特な雰囲気が生じる。
ニコ動で適当に探していたら素晴らしい演奏を見つけたので貼っておく。フランスの曲というのは本気にならず気まぐれな態度で演奏するのが良いんだ。