グリーグ:組曲「ホルベアの時代より」/モーツァルト:アイネ・クライネ・ナハトムジーク/チャイコフスキー:弦楽セレナード(モスクワ・ソロイスツ/バシュメット)

Spotifyで聞いたアルバムのレビューをしようと思ったんだが、いざタイトルを決めようというときにググラビリティを考えるとこうせざるを得なかった。
弦楽合奏のための曲が3曲収録されている。僕は3曲とも高校時代に演奏した。

グリーグ『ホルベアの時代より』

好きな演奏ではなかった。まず出だしの印象が悪い。第一楽章ははつらつとした曲なのに生き急いでいるような、それでいて陰のある表現になっていてなるほど新鮮ではあるのだが、この曲の魅力を引き出していない。ド→ソ→ド→ソと上昇してパートごとにスケールで急降下し、ヴァイオリンがユニゾンでメロディを演奏する最大の盛り上がりも奇妙に神経質な表現になっており爽快感がない。期待を外す面白みというのも確かに存在するが、ここではハマらなかった。

全曲を通して言えることだが、複雑なリズムパターンが正確に組み合わせることによって音楽が完成する仕組みになっているのにもかかわらず、速い演奏に固執して弾きとばしている箇所が多いのがよくない。

チャイコフスキー『弦楽セレナード』

細部への過剰なこだわりが鼻につく。だが第二楽章はそのこだわりがいい方向に作用している。パート内で統制が取れているがゆえにパート間の細かな掛け合いが高いレベルで完成している。低弦にメロディーが移ったときもスピード感があってよい。音楽の流れを重視するスタイルがロシアワルツに合っている。第三楽章も響きの美しさがプラスに作用していた。第四楽章はパワー不足だった。

モーツァルト『アイネ・クライネ・ナハトムジーク』

ここまでの評を見れば予想できるかもしれないが、この楽団のスタイルはモーツァルトに合う。おそらく各パートの人数が少ないのだろうが、透明感のある音色や正確な音程が流麗な音楽をよく具現化している。特に第四楽章はすべての刻みが明瞭に聞こえてきて気持ちが良い。

この部分の2ndの合いの手を弦を擦るゴリゴリとした音まで聞こえてくるほど強調していて驚いた。モーツァルトの技巧が隅々まで感じ取れるいい演奏だ。

Spotifyとクラシック

Spotifyはいい。曲数はApple Musicにやや劣るが、WebプレイヤーやLinux用のデスクトップアプリケーションが提供されている。「アニメ」ジャンルが存在しないのが不便だが、ユーザー間でプレイリストを共有する仕組みが発達しており、それで補っている。デスクトップアプリケーションで日本語入力ができないのは腹立つので早く直してほしい。

クラシック音楽はやたらと配信サービスに積極的だ。日本のポピュラー音楽だと2曲に1曲くらいは未収録だったり独自の配信サービスで独占していたりするが、クラシック音楽は95%くらいは探せば見つかる。調べたわけではないが、2つの要因が思い当たる。

第一の要因は物理CDが売れないことだ。クラシック音楽のファンはポピュラー音楽に比べれば少ない。一方で言語に依存しないので同じ演奏が世界中で売れる。となると流通のコストが抑えられる配信サービスのメリットが大きい。

第二の要因は過去の演奏の価値が減らないことだ。クラシック音楽はそもそも時代の流れに耐えた曲だけが残っているので、古い曲の価値が減るということはない。熱心なオタクはいろいろな演奏を渉猟して比較検討するのでどの演奏も細々とした需要が長く存在する。となると昔のCDを少しずつ生産し続けるよりは配信にしてしまったほうがやはりコストが抑えられる。過去の演奏の音質が悪いことは既に受け入れられているので配信音質でも問題がない。

河原の石をひっくり返すとなんか気持ち悪い虫がいっぱいいる

それと同じようにツイッターも物議を醸しそうなツイートのリプ欄を見ると異常者がいっぱいいる。世には僕と同じ一票を持った異常者がこれだけいるのかと思うと気が遠くなる。

もう隠す必要もないと思うが、僕はそういう人間を見下しているし、消えてほしいと思っている。自分と意見が合わないから消えろというわけではない。ものを知らない・調べない・嘘でも気にしないというような人間が許せない。あとついでに僕の生命・財産・社会的地位を脅かす人間も(これは誰でもそうだろう)。

実際に人を「消す」と国家によって僕が殺されるので我慢しているが、ツイッターの提供する機能を使って実質的にたくさんの人を消している。この国だけでも1億人以上、この地球には75億の独立した思考体が存在しているなんて信じられないし絶望的な気持ちになる。人が人を簡単に殺せる以上、この75億のうち誰か1人でも僕を殺したいと思ったら僕は死ぬ。それにうまい具合に協力しないと今度は気候変動とか核戦争とかで全員死ぬ。何もしなくてもあと50年くらいで死ぬ。この世界で生きていける自信がまったくない。

そろそろお気づきかと思いますが、異常者は僕だよ。

Ingress復帰

Ingressは2015年ごろプレイしていた。自宅の前にアイテムを置く嫌がらせ(偶然?)を受けてやめていたが、僕の個人情報に対する感覚が変わってきたので再開してみた。

ポータルをレベル8にするためには刺さっている8本のレゾネーターが全てレベル8でなくてはならない。このためにはレベル8以上のエージェントが8人必要になる。これがなかなか難しく、レベル8のポータルは少ない。活動頻度や実績で他人に及ばなくても、レベル8になっているだけでポータルのレベルアップに貢献できるのが楽しい。

Ingressの画期的なところは世界が違って見えるということだ。言い換えれば普段の生活で僕は周囲の街並みをほとんど見ていない。ポータルに指定されるのは史跡や文化施設など、人々の精神的な営み?が行われる場所だが、大抵はIngressのアプリを通さないと存在すら気づいていない。現実の面白さに気づかせるのは位置情報ゲームの元祖にして(本当か?)本質的な面白さだと思う。

テクテクテクテクのターゲット

※僕はIngressを1年、ポケモンGOは1週間ほどプレイした。あと僕はドワンゴの利害関係者だ。

テクテクテクテクが発表された。

位置情報ゲームのビッグタイトルIngressからは5年遅れ、ポケモンGOからは2年遅れであり、位置情報ゲームはもう新しくない。そのタイミングでこれを出してきた狙いはIngressの徹底的なローカライズのようだ。

興味深いのは予約塗り機能だ。高速移動中でも通過したエリアを予約状態にでき、あとから塗れる。Ingressは高速移動中は操作が制限されるので車や電車で通勤している間はなにもできない。本格的にプレイしようと思ったらIngressのために外出して歩き回らねばならない。IngressはGoogleハングアウトを中心にしたコミュニティが形成されており、大規模イベントから簡単な情報交換まで交流が豊富だ。テクテクテクテクではソロでスキマ時間を利用したプレイがやりやすいというのは面白いが、忙しく人間関係に奥手な日本人に合わせてこのような仕様になったのだろうかと思うと悲しい。

プロモーションムービーでは人気キャラクターとのコラボがプッシュされていた。262秒のPVのうちに48%にあたる127秒をコラボキャラクターの紹介に割いている。

  • サキエル(新世紀エヴァンゲリオン)
  • 小林幸子
  • ポプ子&ピピ美
  • 大原優乃
  • シン・ゴジラ

エヴァのサキエルやシン・ゴジラはコンセプトに合致していて面白いが、これらに並べて小林幸子やポプテピピックを出してくる辺りに「ニコニコの文化に浸っている人間を狙い撃ちする」という強い意志を感じる。先日発表されたARTILIFEはシステムやビジュアルからテクノロジーに裏付けられた新しさへの意欲を感じたが、こちらはかなり過去の遺産を重視しているようだ。

大原優乃はグラビア女優で水着で登場する。MCが「水着をビルで遮蔽すると裸に見える」とか言い出して完全にブチギレた。本当に下らない発言だし気持ちが悪い。男子校じゃねえんだよ。いや、男子校センスの持ち主に向けたゲームですよというアピールなんだろうか。

公開されたらプレイしてみようと思うが、今使っている安物のスマホはGPSでかなり発熱するのであまり快適にはできなさそうだ。

ひろゆき唐澤問答に一言申したかった

今は1日の47時だ。

ひろゆき氏と唐澤貴洋氏の論戦?の動画を見たんだけど、全体見直して論点を整理する余裕がないので大雑把な感想だけ。ちなみに僕はひろゆき氏は嫌いだし、アジテーターとテレビ対談して勝ったように見せることができなくてもそれは唐澤氏の弁護士としての能力を疑う理由にはならないと思う。

ひろゆき氏は唐澤氏に対して「ネットを専門とする弁護士は多くいるのになぜあなたがここまで狙われるのかわからない」と述べ、暗に「お前に原因あるだろ」と主張している。

その後ひろゆき氏は「2ch(5ch?)の取締を強化してもみんなツイッターとかフェイスブックで同じことをやるから意味がない」とも述べ、場ではなく人が原因であると主張するとともに、そういう人を訴えて排除するほうが効果があると主張した。

ひろゆき氏は一貫して2chの管理者としての責任に触れなかった。自分の弱点だから触れないのは当然だろうが、私は彼自身の話法を用いてこう問い返したくなった。

「ネットの言論空間は多くあるのになぜ2chで犯罪行為が起きるのかわからない」

ツイッターやフェイスブックが自分のサービスで犯罪行為を行わせないためにしている努力に比べれば2chの努力などないも同然だろう。場ではなく人が悪いといいたいのなら、ツイッターやフェイスブックと同等の努力をしてからにすべきだ。

レスバトルで負けない話法とか学んでも本当に何も生み出さないんでしょうもない。「はい論破」という言葉は大嫌いだ。

カメラを止めるなを見られなかった

ふと思いついて見に行こうかと思ったが、大人気らしく当日いきなり行っても無理そうだった。

最近気づいたのだが、Netflixは他のユーザーの存在がほとんど見えない。作品のユーザーレビューはかなり深い場所に隠されており、積極的に読みたがる人しか読まない。SNSシェアボタンもない。多くのwebサービスが「コメント欄」を実装しているなかでちょっと異色に思える。と思ったけどdアニメストアもなかった。

連続再生を意識したOP・ED自動スキップもそうだが、Netflixはユーザーをコンテンツに没頭させ、まとまった時間を使わせることを目指しているようだ。SNSによる口コミ拡散を狙わないのはオリジナル作品に注力していることとも結びつく。

Netflixのビジネスモデルは加入させることと退会させないことが両輪になっていると思う。次はそういう視点からも考えてみたい。

Netflixの話数選択

今日はNetflixで『ビッグバン・セオリー』と『3月のライオン』を見ていた。

NetflixのUIはスタイリッシュだが、不便な点もある。どの作品のどのシーズンのどの話数を見たいのかすでに決まっているとき、導線が長い(そういえば手元のツールだとNetflixのトップページはReact使ってるって表示されるんだけど、ググるとReactやめたって記事がヒットするんだよね。どうなってるんだ)。

  1. 作品サムネイルをクリック
  2. エピソードをクリック
  3. シーズンを選択
  4. エピソードを選択

また、サムネイルが横方向に並ぶので画面上に同時に表示できる話数が少ない。

逆に視聴済み話数の続きから見たい場合、導線は非常に短い。トップページの作品にマウスオーバーすると最新話数のサムネイル動画の再生が開始されるので、そこから見たければ再生ボタンを押すだけ。

なおサムネイル動画再生時の音声は主題歌のこともあるが、大抵はNetflix側が用意したと思われる謎BGM。ちょっと面白い。

このような設計から考えると、どうやら1話から順番に見ていくという使い方を想定しているらしい。逆にテレビ放送を1度見たあと、気になるシーンを見直すために特定の話数だけ見に来るという使い方は想定外のようだ。Netflixはオリジナル作品を推しているので、それにあった設計をしているとも言える。

OP・ED自動カットもアニメオタクには評判が悪いが、これもジャパニメーションを基準にサービスを設計していないのだろう。アニメのOPがストーリーの進行に合わせて意味がわかるようになったり差し替えられたりと重要なものであるのに対して、ドラマは出演者の顔見せくらいの意味しかないし尺も短い。EDもアニメのそれはスタッフクレジットの表示や余韻を感じさせるなどの意味があるが、ドラマは表示が短くてクレジットはとても読めない。

休日とか結構な時間PCの前に座ってるのに何食ったとか洗濯したとかそういう話題しか書かないからネタが見つからないってことになる。素直に自分が時間を投じているものを書くのが楽しいし内容も充実するので、こういう記事は増えていくと思う。